第1468話・夏の午後・その二

Side:久遠一馬


 将軍の役目をしているのに飽きていたんだろう。今日は予定もなかったこともあって、義輝さんから菊丸さんにチェンジして与一郎さんと二人でウチにやってきた。


「殿下が珍しく落ち込んでおったな。東国と朝廷の関わりがここまで良うないと理解されておられなんだのだろう。まあ公卿と公家にはいい薬だ」


 井戸で冷やした麦茶を飲むと、菊丸さんは最近の状況について口にした。思ったより気にしていないというか、将軍の政治とはこのくらい緊張感のあるものなんだろうな。


「北畠の大御所様の一言が大きかったんですよ」


「あれにはオレも驚いたわ。だが、武衛の言い分共々、よう分かる。良いではないか。そなたらが動かぬ以上は戦にはならぬ。ならば言いたいことは言えばいい」


 近衛さんは自身の周囲の人よりも少し先を見ている。尾張を誰よりも評価する故に、いち早く朝廷と都もそれに続きまさって、名実めいじつ共に至上しじょうの座につくべきだと思ったんだろう。ただ、状況があまりにも恵まれていない。


 あまり対立構造になると近衛さんや三好が困ることになる。そこの配慮は要るだろう。献上品と献金は思ったほど減らせないかもしれない。


 三好に関しては長慶さんから、内々にではあるが、銭の問題で良質な銭を造るべきだという助言を生かせなかったと事実上の謝罪を受けた。堺が思った以上に抵抗したのと鋳銭のノウハウもない三好では仕方ないだろう。尾張も苦労をしていますよと答えておいたけどね。


「懸案は山積みだ。都にまつわるもの、それだけにかまけておれぬ」


 朝廷との交渉は苦労をしているものの、これまでの日ノ本の常識で考えれば、近衛さんたちがわがままを言っているわけではない。義輝さんを通すだけでもそれだけ苦労があるということだ。


 幕臣と織田家臣の関係も、まあ上手くいくところもいかないところもある。ここでも京極さんが頑張ってくれている。先日には公式の席で義輝さんが直々にお褒めの言葉を与えたくらいだ。


 隠居したのに立場が変わったことで再評価された。おかしなものだが、誰かが傷付くわけでもないし良かったんじゃないかなと思う。


 あと六角、三好、幕臣と天下についての話し合いもある。正確には織田は天下の政に口を出す立場にないんだけど、経済的にも軍事的にも調整が必要になってしまったことがたくさんある。


 我慢強い義統さんをしての不満の発露はつろはそんな面倒事が増えたことも一因だろうね。


「そういえば、院を海にお連れすると聞いたが?」


「はい、当家のことを御知りになりたいとの仰せがありましたので……」


 菊丸さんが来たのは、この件もあったのか。実は上皇陛下を海水浴にお連れしようかと思って、内々に打診したんだ。


 プリシアの案もあってみんなで検討して、幾つかある打診のひとつが海水浴なんだよね。あれこれと格差を見せても焦るだけになりかねないし、もう余暇としての海水浴にお連れするのでどうかなって。


「ふむ、良いかもしれぬ。久遠の遊びと申せば、目くじらを立てる者もおるまい。蹴鞠や歌会は日ノ本の流儀だ。それを一馬にやらせたのだ。ならば次は久遠の流儀で遊ぶのも悪うない」


 どうもオレの真意を知りたかったみたいだね。あまり刺激をしたくない。菊丸さんにはそんな意図があるように思える。むしろ上皇陛下より公卿や公家のことを考えてだろうけど。


 とにかくオレたちは朝廷との付き合い方を覚えないといけない。調和のある交渉と節度ある対立と友好を深めることを含めて。


「さて、大武丸たちの顔を見るか。今日はあまり長居出来ぬからな」


 一通り話が終わると、菊丸さんは子供たちのところに行く。


「きく!」


「よいち!」


 ああ、今日は吉法師君もいたね。みんな二人をよく遊んでくれる人だと認識している。


「ハハハッ、なにをしようか?」


「うーんとね!」


 偉い人なんだけどなぁ。菊丸さんばかりか与一郎さんも結構楽しんでいるっぽいのが、なんか面白い。


 気を抜ける場所がいるんだろうね。将軍様にも。




Side:リーファ


「アタシも暇じゃないんだけどねぇ。院やら公家のお守は日ノ本の連中でやってくれないかね」


 院と公卿と公家のお守のためにアタシは蟹江に留め置かれている。院が望んだ時に御座船がいると近侍きんじどもがほざいたということだ。ずっと港にいるのも性に合わないので、大湊への定期便として客船タイプの大鯨船を使っているが、少し飽きてきた。


「仕方ないわ。なにかあったら一大事になるんですもの。それに久遠一の船乗りと言われるリーファがいないと、それはそれで騒ぐ輩が出かねないわ」


 自分たちを最優先にしないと気が済まないか。ほんと面倒な連中だよ。誰か言ってやればいいんだけどね。ここではアンタたちの価値は低いと。


「なかなか辛辣でございますな。もっとも織田家中も似たようなものですぞ」


 雪乃と一緒に港で海を眺めていると、近寄ってきた佐治殿に聞かれたか。まあ、聞こえるように愚痴をこぼしたんだけどね。


 利と負担。利を得ているうちはいいが、負担が増えると相手が誰であれ不満に思う。人はいつの時代も変わらないね。アタシが言えることじゃないけど。


 畏れ多いというのは性に合わない。帝も院もアタシは興味ない。


「とまあ、ここで海を眺めても面白うありますまい。新参の者らに操船を見せてやってくれませぬか? 愚か者や荒くれ者も多うございます。お好きに鍛えてくださって構いませぬ」


「ほう、それは面白そうだね」


「名門やら血筋やらで厚遇されると勘違いしておる愚か者が幾人かおりましてな。こちらとしても困っておるところ。多少減っても構いませぬ」


 駿河や遠江の連中か。名前と縁で生きたければ陸に上がって宮仕えでもするんだね。すでに水軍と海軍は実力重視にいち早くシフトしている。そりゃあ、多少は旧来の主従も残っているけどさ。久遠船の船長止まりだからね。それだと。


 恵比寿船だとすでに実力重視の抜擢なのさ。


「そうだね。ここで海を見ているのも飽きた。それもいいかもね」


 臣従すれば利を得られる、役職も与えられるものだと、勘違いしている輩の鼻っ柱をへし折るのもいいね。いつ裏切るか分からない連中にウチの技術は与えられない。やる時は徹底的にやらないと。


 最早、旧来の価値観は通用しないと早く叩き込む。そうしないと誰のためにもならないんだよね。その意味では都からの連中は、自分たちが今まさに坂道を転がり落ちているのが分かってないんだろうね。


 しかし、佐治殿。海賊の将くらいかと思っていたけど、なかなか勉強しているじゃないのさ。人を見て適材適所に動かす。理想は分かっていてもなかなか出来ることじゃない。


 尾張は確実に変わっている。それだけ新領地や畿内に不満が出るんだろうね。


 まあ、アタシには関係ないけど。



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