第1440話・御幸

Side:久遠一馬


 伊勢大湊には湊の外にまで船が待機するほど多くの船が集まっている。上皇陛下の出迎えにと大湊に集まった船だ。


「まったく、図に乗ると手に負えぬの」


 共に尾張から出迎えに来た晴具さんのご機嫌があまり良くない。昨日こちらに来て泊まっていたのだが、宇治と山田の主要な商人たちの一部が、晴具さんに織田の荷の値段を下げて、禁制にされた品も解除してほしいなどと嘆願に来たらしい。


 近隣であそこだけ別扱いであることに我慢出来なくなったようだ。先触れの使者に来訪を断ったものの、それを無視して滞在先である北畠家の代官屋敷にまで押しかけたみたい。


 決して許されない無礼な行動なのは明らかなんだけど、それだけ切羽詰まっているのだろう。ここしばらくは晴具さんも嘆願を無視していたみたいだし。


 宇治と山田に関しては、両町にある一部の寺なんかも仲介を頼まれたらしく、そろそろ許してはどうかと進言する使者がこちらにも内々に来たりする。伊勢神宮は静観して動かないけど。


 勝手な抜け荷の事実を突きつけて、値上げはあっても値下げはない、禁制の追加は有っても解除はしないというのが、織田のスタンスだ。


 というかこの忙しい時に宇治山田の処分と正常化をしている暇はない。まあ、今川の臣従が彼らをより追い詰めたらしいけど。


「そろそろ刻限か」


 今回は晴具さんと信長さんとで来航している。今日、大湊に到着する上皇陛下を出迎えて、明日には船で尾張入りだ。


 ただ、信長さんは相変わらず少しせっかちだな。近くに来たら知らせの使いが来る手筈になっているのに。


「そなたらは聞かれたことを答えておればよい。あとはわしや他の者がなんとかする」


「ありがとうございます」


 晴具さんの言葉が心強い。正直、オレと信長さんだとなにを話したらいいか分からないくらいだ。


 それなりに勉強はしてある。とはいえ、形式を外れたことを為される可能性があることも行啓で分かった。まあ、オレひとりが恥を掻くならいいけど、織田家と斯波家にも迷惑が掛かるからね。


 もっとも、事前に過剰な待遇やもてなしは不要だという話が来ている。上皇陛下には朝廷や自身の威信を高めようとか、そんな意思はあまりお持ちでないらしい。


 ご自身の目で尾張を見たい。それに尽きるようだ。


 近衛さんからは、あまり御心を煩わせることは控えてほしいという文も先日届いた。おそらく献上品のルート変更など、こちらが少し不満といとわしさを露わとしたことに関係があるんだろう。


 義輝さんたちと近衛さんの話し合いで、朝廷と尾張の懸案に上皇陛下を巻き込まないようにしようということは決まったらしい。


「あとはなるようにしかなりませんね」


 やれることはやった。今夜上皇陛下は大湊にお泊りになられるが、そこの応対も含めてこちらは万全だ。


 道中、十日以上をかけてゆっくりとここまで来ており六角家は大変だったと思う。料理などはウチも少し手助けをしたけど大きなトラブルもなくホッとしているだろうね。




Side:足利義輝


 ああ、やっと大湊に着いたか。旅は気心の知れた限られた者らで致すに限るな。院の警護をしての旅というのは気が抜けず疲れたわ。


 院に尾張をご照覧いただくのは必要なれど、かような苦労があるとはな。足利家最後の将軍として面目は立ったと思うしかないか。


「あれが……、海か」


 輿を降りられた院は、海をご覧になるなり足を止められた。日差しを受け青きに煌めく伊勢の内海と黒き船。この光景をご覧になりたかったのであろう。


 堺も一時、黒き船を造っておったが、仕損じたと聞く。一馬は黒色のもとは日ノ本にはない代物であり、真似するのは難しいと言うておったな。


「いずれが恵比寿船か?」


「主に大きな船らが恵比寿船でございます。あの一際ひときわ大きな船は久遠の恵比寿大鯨船の上位船じょういせんとなり、明日には院の御座乗を賜る船でございましょう」


 海岸から少し離れておるが、それでも分かるくらいに黒船は大きい。都からお出になられたことのない御方だ。近淡海ですらあまりの大きさに輿をお止めになり、しばしご照覧されておったほど。


 驚かれるのも無理はない。


「何故……、畿内は争いが絶えぬのであろうか」


 海と船をご覧になりながら、呟かれた一言に答える者はおらぬ。近衛殿下でさえも、なにも言えぬらしい。


 オレも言えぬ。将軍である余の不徳と致すところだ。


 本音を言えば、誰もが同じことを思うておろう。院だけではないのだ。何故、尾張は争いが無くなり、畿内では無くならぬと皆が思うのだ。


 されど、誰も己の利や面目を捨てて世のために動こうとせぬ。これでは一馬らに見捨てられても文句は言えまいな。




Side:斯波義統


「そうか、今川が降ったか」


 大湊に到着して一息吐く。


 尾張介と一馬と留守中のことを話すが、義元が臣従をしたか。これで亡き父上に顔向け出来るの。


 最早、喜ぶことも出来ぬ状況だ。院が尾張に御幸なされ、朝廷は我らの国と今後に懸念と欲心よくしんちかしい期待を抱いておる。


 いっそ、敵として兵を挙げたほうが楽ではという思いが僅かに過ぎる。帝と院を残し、公家や公卿や寺社は一度叩いてしまったほうがよいのではと思わずにおれぬが、わしは戦など出来ぬからの。


「懸念はないと思います。駿河遠江は、当面は検地と人の数を調べるくらいしか出来ませんけど」


 今川には懸念などあるまい。懸念するとすれば公家と公卿だ。また騒ぐの。領国の数が増えると、それだけで強く豊かになると考えておる者すらおる。収奪しゅうだつ献納けんのうの違いも分からぬ者たちじゃ。


 近衛殿下が同行する者の数を絞り、愚か者が来ぬようにと苦労をなされたようだが。上の者よりも下の者、身分低きと言えど、廷臣ていしんを名乗る者のほうが理解しておらぬからな。


 むしろ、院のほうが我らに気を使ってくださっておられる。度重なる献上と譲位。それが軽うないことを誰よりもご存じであるからの。


「尾張滞在中は心穏やかにお過ごしいただきたいものよの」


「畏まりました」


 あまり過剰な宴などは、せぬほうがよいのかもしれぬと道中で思うた。六角家でももてなしを受けて喜ばれておったものの、元来そういった贅沢をしておられぬ御方。少し戸惑うておるのではとお見受けするところもあった。


 ただでさえ尾張での宴は他国とまったく違うのだからな。


 

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