天文24年(1555年)

第1378話・新年

Side:真田幸綱


 まさか御屋形様が甲斐を捨てる覚悟を決めるとはな。信濃では五分の戦をしたと聞き及ぶ。さぞご無念であられよう。


 小笠原は意地の一念で織田に降り、今川は因縁故に生き残るために降った。武田家は両家と比べて、忍び寄る時勢に追い込まれる、そのことに気付いておらなんだことが出遅れたゆえ仕儀しぎか。


「あけましておめでとうございまする!」


 若殿らは当面清洲城で客人として滞在されることになった。新年明けたことで西保三郎様と共に若殿に挨拶に出向いた。


「すまぬな。そなたらの帰る地を失うてしもうた」


 若殿のお言葉に西保三郎様が驚き答えに窮しておられる。嫡男と三男では立場がまったく違う。若殿に謝罪をされるなどあろうはずがない。


「僭越ながら、これも武家の習いというもの。致し方ありませぬ。さらに織田は一族ですら領地どころか城すら捨てております。恥入ることなどございませぬ」


 わしが答えるしかあるまい。新参者なのだ。少々の無礼があったとて、こうべれて謝罪すれば、傲慢ごうまん古参こさんが満足する。それでいいだけのことだ。


 しかし、織田が信濃に領地を得て、甲斐では御屋形様が領地を捨てる。いずれは織田が信濃に来ることもあろうかと思うておったが、これほど早うこのような時が来るとはな。


「新年の祝いとして馳走を頂いた。皆で食うか」


 皆、落ち込んでおるようだな。流浪の身がいかに辛いかはわしとて知っておる。斯波と織田は良くしてくれておろうが、所詮は他家の城だからな。


「なんとも豪気ごうきはなやいだ膳でございますな」


 若い者を鼓舞するように努めて明るく振る舞うのは年寄りか。さすがは歳の功というところであろう。


「尾張料理は天下一とも称されるもの。久遠殿より教えを受けた明や天竺の料理すらあると聞き及びまする。都の公家衆ですら望んでも食えぬとか」


「おお、それは凄いの」


 誰かが盛り上げていかねばならぬ。我ら尾張に慣れた者同士で目配せして年寄りの話を盛り上げていく。


 このそうい、酒を飲むと多少なりとも安堵するはずだ。事実、清洲城の料理は公家衆ですら驚き、都でしょくせぬことをかなしみ、尾張を恋しくなると言われておったと聞き及ぶほどなのだ。


 それに、これで仕舞しまいではないのだ。公方様のご不興を買った京極殿ですら、その働きから織田家で一気にその力を示した。


 特に久遠殿が京極殿に感謝して喜んでおられたというのは有名な話。


 武田とてまだまだ再起の機会はある。


 真田の所領は……、諦めねばなるまいな。苦労して取り返したのだが。最早、所領を守り生きる世ではない。一族の者らはすぐには納得するまいがな。




Side:今川氏真


 まさか三河で新年を迎えるとは思わなんだな。朝比奈が気を使うてくれて正月の祝いの席を設けてくれた。


「困ったことになりましたな」


 その朝比奈の表情が正月だというのに芳しくない。数日前、年の瀬も迫った日に尾張に置いてきた家臣からの知らせが今川を追い詰めておるのだ。


「本貫地を捨てるとは思い切ったものよ」


 武田の嫡男が一族と主立った者の女子供を連れて、ほぼ着の身着のままで尾張に辿たどり着き、織田に臣従をするという。


 甲斐は穴山と小山田が離反する動きを見せておるが、それでも武田に刃を向けたわけではない。頃合いをみて晴信の隠居を迫るつもりであろうが、その前に晴信が動いてしまった。


 小笠原に先を越され、今また武田に先を越されるか。


 今川は臣従を誓ってはおるが、臣従をしたわけではない。父上も駿河と遠江をまとめて臣従をするおつもりだからな。


「秋までには遠江をまとめてと思うておりましたが……」


 思案する朝比奈が悪いわけではない。まとめることが出来る、出来ぬの如何いかんかかわらず、甲斐を早々に捨てると決めた晴信が我らの思惑を超えたのだ。


 出来るものなのか? 上手くやれば甲斐はまとめられるはずなのだぞ。


 こちらは遠江が揺れるは業腹ごうはらなれど、三河は致し方なしと思うたが、思いの外、安泰だ。織田が今川領への品物の値を一気に下げたからだ。これで三河において今川領だけ値が高かった品がなくなった。


 今川に従う国人や土豪も表向き戸惑うておるようだが、安堵したのが本音であろうな。


 織田は日和見ひよりみ数増かずましの兵を求めておらぬというのに、相も変わらず動きが早い。これで後顧の憂いもなく遠江を鎮められると喜んでおったのだが。


 父上はいかにするのであろうか?




Side:久遠一馬


 年末は久々にのんびりと過ごすことが出来た。


 この世界に来て八回目の正月。肉体を自然に成長していく設定にして以降、オレたちも多少の変化はある。もっともこの時代の人とはスキンケアとか生活スタイルが微妙に違うので、同年代よりは若く見られがちだけどね。


 みんなは、それぞれに自分の生き方を見つけつつある。嬉しいような寂しいような、少しだけ複雑なこともある。


 ただ、世の中を変えている責任はみんなで共有しているものだと思う。


 オレたちは決して世のため人のためだけに生きているんじゃない。自分たちが、自分たちの子供や孫達が生きる場所を作るために動いている。なるべく穏便にね。


 もっとも、この時代だとそれが当然で、誰憚ることもない。


 そんな年末とお正月だけど、今年も年末年始は孤児院の子供たちと一緒に過ごす、身寄りのない子供と大人しかいないので一緒にお祝いしている。


 子供なので徹夜は厳しいし、近いので夜は牧場の孤児院に戻っているけどね。


「みんな、上手だなぁ」


「はい! 一所懸命というほどではありませんが、でもそれくらい、修練をしました!」


 のんびりと元日を過ごしていると、子供たちが楽器で演奏をしてくれた。年少さんたちは太鼓とかで年長さんたちは笛やリュートなどを弾いていた。


 楽曲自体は尾張で祭りとかに奏でているものと、ウチの音楽として知られている元の世界の音楽などだった。


 間違う子もいるけど、それもご愛敬だ。やっぱり音楽があると華やかになっていいね。


「さあ、みんな。たくさん食べてね」


 一仕事終えた子供たちは誇らしげにしていた。そんな子供たちにお清ちゃんたちがお汁粉を運んできた。


「うわぁーい」


「ゆっくり食べるのですよ。餅が喉に詰まったら大変ですわ」


 お清ちゃんと一緒に、千代女さんと数人の妻たちが子供たちにお汁粉を手渡していく。ウチは他家よりも甘い物とか食べさせているとは思うけど、それでも砂糖をたくさん使ったお汁粉はご馳走だ。


「そう、よく働いたわね。偉いわ~」


「はい、お袋様。孤児院の者たちも皆、よう働いております」


 ああ、すでに元服して働いている孤児院出身の家臣も一緒だ。彼らは孤児院が実家だからね。リリーが戻るように文を出したんだ。遠慮して戻らない子がいたら可哀想だからさ。


 特に美濃の牧場に行っていた家臣たちには、向こうの様子も聞くことが出来た。まだ規模は小さいけど、孤児院出身の家臣たち主導で向こうでも孤児院を始めたんだよね。


 美濃の牧場の孤児院には織田家から援助も入っているけど、なるべく自給自足出来るようにといろいろと考えて頑張ってくれているみたいだ。ただ、リリーの様に幼い子供達の心の拠り所として、揺るぎない女性。はっきり言って母性が必要だろう。これは大事な懸案だ。


「おしるこ、おいしい」


「あまいね」


 子供たちはニコニコだ。無論、大武丸と希美とかもね。


 今年は御幸がある。去年に引き続き大変だろう。この子たちの笑顔のためにも頑張ろう。




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