第1324話・時計塔を眺めて
Side:北条氏康
ふと、世が広いと新九郎が言うておったことを思い出す。
親王殿下がご臨席なされての歌会か。かような場に出るならば、もう少し和歌も学ぶべきであったな。
公方様からは上杉のことでお叱りを受けるかと懸念したものの、『よう励んでおるな』とまさかのお褒めの言葉をいただき、上杉や古河公方の名など一切口にされなかったことには驚かされた。
親王殿下が尾張まで参られたというのに、この場に呼ばれもしておらぬとは。古河公方も関東管領も公方様はあまりお好きではないらしい。
管領である細川晴元もお嫌いだと聞く。公方様のお立場からすると管領職そのものがお気に召さぬのかもしれぬ。
「武田、今川、小笠原は悲壮よな。互いに相手に先を越されては困るというのが見ておって哀れなほどよ」
それと気になるのはその三家だ。今川など斯波と織田を敵と定めて、三河の半ばまで進攻し尾張も攻めてくれようぞという勢いがあったのが嘘のようだ。
小笠原もまた難しき立場のようだ。武田は許せぬが、今川も信じられぬらしい。斯波の助けでなんとか体裁を保ち、守護として生きておるようなものだ。
これはまことに織田と領地を接することを考えておかねばなるまいな。駿河が容易く落ちるとは思わぬが、斯波と織田がその気になれば今川は終わる。
さらに公方様や公家衆が武衛殿や内匠頭殿ばかりか、久遠殿とも親しげに話す姿には寒気すら覚えた。
六角・北畠との友誼も盤石。朝倉ですら当主が来ておるのだ。その気になれば一気に天下に挑めるのではないか。
ただ……。
「関東も直に変わることになるかもしれぬの」
歌会も終わり、一息つくと時計塔が見えた。
頼朝公以来、関東は畿内とは違うのだと考える者が坂東武者には多い。公方様が日ノ本を治めても、関東は関東公方が立ち、京の都からの
されど、それは関東の言い分だ。果たしてそれがいつまでもまかり通るのか怪しいものだ。
織田の政を真似ることがいかに難しいか、関東ではわしが一番知っておる。北条ですらほぼ真似ることが出来ておらぬのだ。
土着の武士がいかに織田に従わぬと声高に叫んだところで、飢えぬ国がとなりにあれば、民は逃げ出し武士に従わなくなる。
鐘の音が鳴る時計塔に、かつて尾張介殿と久遠殿が見せてくれた花火を思い出した。
関東とて放っておいてはくれぬのであろう? 久遠家にとって日ノ本など狭い島と同じなのだ。あの地球儀というものを見ればな。
わしは運が良いのかもしれぬ。今から覚悟をしておけば、変わることも出来よう。
土岐や北伊勢の愚か者どものように消え失せるなどごめんだ。
Side:久遠一馬
方仁親王殿下は学校に続き、病院と工業村も同じ日に御覧になられた。病院は穢れとなる血などを方仁親王殿下が触れないように、この日だけは外科治療を那古野城で行うようにしていた。
病院では曲直瀬さんとパメラやお清ちゃんが主にいて、特に女性の診察をパメラがしていたことに驚き、感心されていたことが印象深い。
看護師。この時代だとウチで使っている造語となるけど、医師を助けて患者と医師をつなぐみんなのこともだいぶいろいろと聞かれたなぁ。
工業村では高炉や精錬する反射炉をご覧になられている。職人のトップである清兵衛さんはガチガチに固まっていたね。事前に説明を頼んでいたんだけど、身分が違うと困っていたほどだ。
ここではガラス工房や大八車と馬車の組み立て工房もご覧になられた。
朝廷や公家だと献上した瓶詰に使った硝子瓶を壺のように飾っているそうだ。工業村ではまだ保存用の硝子瓶は生産していないけど、硝子の盃や小物は生産をしている。特に質問などはなかったものの楽しそうにされていたと思う。
予期せぬことがあったのは大八車と馬車の工房だ。完成品を見本として用意していたこともあり、親王殿下の要望で試乗されたんだ。硝子がはめてある最高ランクの馬車に試乗をされて、工業村の中をぐるりと一周された。
翌日は歌会や蹴鞠などで歓迎している。
方仁親王殿下。予定が結構詰まっているんだよね。もっとのんびりするのかと思ったけど、空いている時間には時計塔の近くまで行って眺めておられたりと活動的だ。あとコスモスをお気に召したようで、側近から人を幾人も介してあれはどんなものなのかと問い合わせもあった。
帰りにお土産に種でも送ろうかと考えているところだ。育てるのも大して難しくないし。
それと今川氏真さんと武田義信さん。初めて来たふたりの評判が聞こえてきた。
氏真さんはコミュニケーション能力抜群で人柄を評価する声が多く、義信さんは武士らしい様子に次期当主としての評価はさておき、武門の人としての評価がいい。
尾張もそろそろコミュニケーション能力の大切さを理解している人が多いので、氏真さんの評価がいいのは当然だろう。
一方で武士としては義信さんもまた評判はよかった。尾張でも武士としての価値観や理想が大きく変わったわけではない。寡黙で礼儀作法が出来るという姿は評判がいいらしい。
個人としてみると双方とも初めての外交デビューとすると成功だろうね。信長さんも出会った頃はそこまで社交性があったわけじゃないし。
もっとも今川家と武田家という家単位でみると、やはり氏真さんのほうが上か。関係が悪化している小笠原さんにでさえ笑顔で話しかけていたほどだ。小笠原さんもそれには驚いたようだが、相応に大人の対応をした。集まった人たちと着実に親交を深めているからね。
義信さん。評価はされるんだけど、形式以上のことをしないし話にもあまり加わらないので親しくなれていないんだ。まあ、他国は敵だというこの時代だとそれが普通なんだろうけどね。
まあ、今回ですべて理解するのは無理だろう。氏真さんも義信さんもこれをきっかけに考えて変わるかもしれない。
難しいなぁ。歴史にないことをするって。
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