第1323話・宗滴の遺言

Side:朝倉義景


 いずこからか幼子の楽しげな声が聞こえる。堀と塀もあり、堅固な城のようなところだ。元は久遠殿が拝領した所領だったらしく、今も久遠殿の屋敷になっておるとのこと。


 宗滴がかようなところにおるのは、斯波と織田の配慮であろう。猶子とはいえ、久遠と朝倉に因縁はない。


 越前では久遠の預かりとなったことで、人質にする気かと怒り、軽んじるのかと怒る者が多かった。されど尾張に知見ちけんのある公家衆が、気遣いであると家中を説き伏せる手助けをしてくれたのだ。


 武衛殿や内匠頭殿に異を唱えられるのは、かの者しかおらぬとな。学徳を積んでおり、かの者ならば決して粗末に扱わぬと言うてくれなんだら、大変なことになっておったのやもしれぬ。


「遠路はるばる、お越しくださり恐悦至極に存じます。久遠一馬の妻。リリーでございます。宗滴様。私どもはしばらく離れております。ご用向きの件がございましたらお呼びください」


 出迎えてくれたのは久遠殿の奥方か。例に漏れず日ノ本の女ではないが、聡明なのは見ただけで分かる。


 宗滴のほうは穏やかな隠居そのものであった。顔つきも心なしか和らいだように思える。


「かたじけない、慈母殿。気を使わせて済まぬの」


 慈母……、かつて土岐家家臣から身を挺して見知らぬ幼子を守ったという慈母の方か!? なるほど。聡明に見えるわけだ。


「お久しゅうございます」


「息災そうだな。退屈しておるのではと案じたぞ」


 慈母殿が下がると一息つく。


 思うたより顔色も良く安堵した。されど、少し見ぬうちに歳なのだなと改めて思い知らされる。顔の皺や白髪が穏やかな顔になると宗滴の生きた年月の長さを感じさせるのだ。


「ハハハ、ここでは退屈だけは致しませぬな。内匠助殿や奥方らもよう参られまする。あとは孤児らと共に畑仕事をしたり、馬や牛の世話をしたりもしておりますな。文字の読み書きを教えることもありまする」


 近頃の様子を楽しげに語る宗滴に、かつて皆が畏怖した面影はない。よき日々を送っておるようだな。


「羨ましい限りだ」


「行啓でございますか」


 宗滴の顔が武士のそれに変わる。今更、愚痴などこぼす気はなかったが、宗滴がわしの苦悩を見抜けぬはずもないか。


「ああ、朝倉には一切声がかからなんだ。さらに来年には譲位があるそうだ。越前におる公家衆が、慌てておったわ」


「帝が即位なされた時には費用が工面出来ずに、数年即位の礼が出来ませなんだ。それが、なんの前触れもなく帝の突然の譲位と親王殿下の行啓。すべては繋がっておりましょう」


 そう言えば公家衆も言うておったな。費用をいかがしたのやらと。


「まさか……」


「織田が工面したのでございましょう。六角・北畠・三好も出したのやもしれませぬがな」


 宗滴の言葉に背筋が寒うなる気がした。


「そこまでやれるならば、天下に号令すらかけられると同じぞ!?」


「殿。それが今の斯波と織田でございます。公方様の織田贔屓は以前からありましたが、最早、かような話ではないかと。織田の政を理解しお認めになられておると見るべきでございましょう」


 信じられぬ。いまだ畿内に手を出しておらぬ斯波と織田が天下に号令をかけるなど、考えもせなんだ。


「良き時に殿は参られました。今なら某が遺言を直にお伝え出来まする」


「なにを世迷い言を」


「某は来年には七十八になりまする。いつ死してもおかしくありませぬ」


 己の体は知っておるということか。久遠殿からは無理をさせれば、余命を縮めると言われた。天地神明に誓い嘘偽りがないともな。


 確かに、もう歳なのは認めねばならぬが……。


「殿、戦とは勝ち負けにかかわらず終わらせる術を持たぬうちはしてはなりませぬぞ。一戦いっせん勝ったところで和睦がならねば引くに引けなくなりまする」


 若い頃を思い出す。わしは宗滴から多くの教えを受けた。今にして思えば、何故もっと学ばなかったのかと悔いる日々だ。


「それと織田との戦はしてはなりませぬ。我らとは戦の仕方から勝ち方まですべてが違いまする」


「されど相手があることだ。織田が帝や公方様の許しを得て攻めてきたらいかがするのだ?」


「越前など捨ててしまえばよろしい。元は斯波家が守護だったところ。時の公方様と管領殿の思惑で得た地でございますれば、公方様にお返ししてしまえばいい」


 なっ……なんということを。


「朝倉の家は割れましょう。されど殿に従わぬ者など守るに値しませぬ。朝倉の家は、今は亡き、先達で築き上げたもの。愚か者が潰してよい家ではありませぬ」


 年老いて皺の増えた宗滴の顔に、幼き頃に見た宗滴の姿が重なって見える。


 わしは……、わしは宗滴のようになりたかった。華々しく戦場を駈けておった宗滴のようになりたかったのだ。


「孫九郎には言うておりまする。家中が戦をすると言うならば、孫九郎と殿に従う者だけで織田に降りなされ。家を滅ぼす以上の恥はありませぬ」


「宗滴……」


 涙が込み上げてくる。


「ここにおりますと、太平の世が朧気ながら見えまする。殿は必ずやお気に召す世になりましょう。面目や意地などに惑わされず、朝倉の家をお残しくださいませ。以上が某の遺言でございまする」


 この歳まで戦を重ねて尽くしたのちに、自ら朝倉家のために尾張に留まり因縁を軽くしようとした宗滴の遺言がかようなものだとは。


「……案ずるな。必ずや家は残そう。長きに亘り朝倉家に尽くしたこと、まことにあっぱれであったな。大儀であった」


「はっ、ありがとうございまする」


 最後の教えか。家のために、わしの面目や恥など捨てよということか。


「体を労り、長生きするのだぞ」


 いつの間にやら穏やかな顔に戻っておる宗滴に、主君として労いの言葉をかける。


 達者でな。宗滴。


 まことに大儀であったな。




◆◆

 天文二十三年、九月。朝倉義景は尾張にて体調を崩して療養していた朝倉宗滴を見舞っている。


 尾張来訪の理由は、方仁親王や足利義輝と会うためであった。


 宗滴は久遠家の牧場村で療養していて、慈母の方こと久遠リリーが出迎えたとある。


 この時、義景は宗滴から遺言を託されたと朝倉家家伝である『朝倉記』にはあるが、その内容に関しては終世明かさず謎のままになっている。




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