第1298話・変わりゆく尾張の夏
Side:千秋季光
「夏場に熱い茶もよいものですな」
久遠家の熱田屋敷で桔梗の方と茶を共にする。先日には仕事に
「ええ、暑い時に熱いものというのも趣向がよいと思いますわ」
近頃では茶の飲み方の教えを請おうと、あちこちから人が訪ねてくることもあるとか。ただ、当人は美味しい茶の淹れ方は教えるが、作法になるようなことは言わぬと聞く。
ところが面白きもので、人はそのような桔梗の方を見て学ぶのだとか。真意は見て学べということではない。各々で考えろというところであろう。失態から学べという久遠家の教えにも通じることだな。
「しかし、寺社が所領を手放す世が来るとは、思いもしませんでしたな」
ちょくちょく顔を合わせておるせいか、あまり他所では言えぬことも話すようになった。内匠助殿はいささか忙しい御仁だからな。役儀であらねば、なかなか会うことも出来ぬ。
「それほど変わりませんわ。寺社が人々の心の拠り所であることは変える必要のないこと。ただ今後は読み書きを教え、病を治し、人々の暮らしに寄り添う。今のところそれが理想ですわね」
それほどおかしきことを致せと言われることはなかったな。多少役目は増えたが、今までとあまり変わらぬ。変わったのは宗派により交わることがなかった寺社を織田は公儀の名でひとつにまとめたことか。
「真宗の者らも安堵しております。廃寺もありえるのではと恐れておりましたからな」
今の織田ならばあり得ると誰もが思うた。三河本證寺の先例もある故にな。
「領内に寺社がいささか多すぎるとは思いますわ。ですが勅願寺を潰すのは利になりませんもの」
その一言に少し背筋が冷たくなる。神仏と寺社は別だと考える久遠家らしいといえばそうだが、悪徳な寺は潰しても構わぬと考えるのは織田でも増えてきたからな。
無量寿院の者らの処遇もあちこちの寺社から献策が上がっておったが、死罪としてしまうと寺に殉じて死した、殉死として見る者がいずれ出かねぬという懸念が大きかった。
近頃では罪人を地の果てに送る日ノ本からの放逐が罰に加わったこともあり、それでいいのではないかというのが、皆が納得する落としどころであった。
「民が安易に争わぬように、寺社は自らが手本として見せねばなりませぬ。まだまだ道半ばですな」
尾張の寺社は久遠家の考え方や知恵と触れるにつれて変わった。信心教えのためならば一揆も辞さずという考えはだいぶなくなった。敵とした者と戦わずとも生きていける知恵を身に付けつつあると言うべきか。
己らの教えを守るという大義名分の下で同じ仏門の者らと争い血を流す。それが罪深いことだと知ることが出来たのだからな。
懸念は叡山などのことか。いずれかの者らとは争う時がくるやもしれん。
それだけは案じてしまうわ。
Side:久遠一馬
親王殿下と帝が譲位後に尾張に来た際に滞在する場所。行宮という名の仮の宿泊所を設ける準備は着々と進んでいる。
あくまでも仮だ。御所とも見えるものを造るのはいけない。これは近衛さんにもしっかりと言われている。この時代より少し昔にあった南北朝時代に、ふたりの帝がいたことで争いになった先例がある。
二重権力になる院政の懸念はなるべく減らしたいという意向が、公家にはあるみたいなんだ。特に既存の統治と違う尾張で院政でもされると、対立するのが目に見えているのもあるからね。
そもそも譲位自体が長いこと出来ずにいるので、現在の朝廷も公家も未経験な部分がある。慎重になっていて当然なんだろう。
あとは言い方が適切か分からないけど、公家衆からすると尾張を自分たちの権威の下位に常に置いておきたいのだろう。かつて新皇を称した平将門のこともある。
ただまあ、この一件はとにかくお金がかかることだね。譲位だけで五千貫は最低必要そうだし。御幸やらなにやらとあるから、もっとかかる。とはいえ上洛して畿内を平定すると考えると桁がひとつ変わるくらいは掛かるんだけど。
「結局、畿内の経済の面倒もある程度は見るしかないか」
「仕方ありませんね。そもそも尾張の経済は弱小で、畿内に付随した同じ経済圏だったところですから。遅かれ早かれこうなったことです」
津島に行く馬車の中でエルと少し話をするけど、堺の問題や、諸勢力との関係など面倒なことが多すぎるんだけどね。畿内は。
今まではなるべく関わらないで済むように動いていた。ただ、向こうからやってくるようになると仕方ないのかもしれない。
堺の銭の粗悪な問題も解決していないし、畿内の寺社や商人は必ずしも織田を喜んではいない。これは肝に銘じておかなくてはならないことだ。
まあ、朝廷を盛り立てていく方針は考えるまでもない。現状ではあくまでも朝廷を中心として支援していくだけだろう。
それと、リンメイの赤ちゃんの名前は
政秀さん、最初は遠慮していたんだけどね。是非にと頼み込んだ。
「ちー!」
今日も武鈴丸に会いに行くので大武丸たちも連れていくんだが、抱っこしていた
「輝?」
「ちーち!」
馬車の外に見える景色を見ながら、オレの着物を掴み、何気なく発したその一言にオレもエルも驚いてしまった。
「初めてのはずですよ」
あー、ジュリアのいないところで言葉をしゃべっちゃったなぁ。大武丸たちの言葉を聞いて覚えたんだろうけどね。
スッキリした顔ではしゃぐように着物を引っ張る輝に、エルと一緒に笑ってしまう。
子育てって、こうして予想外のことが多いんだろうな。ウチは面倒を見てくれる人が多いから負担もすくないけどさ。
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