第1296話・時の狭間
Side:久遠一馬
「大丈夫か?」
今日は出産を控えているリンメイのいる津島の屋敷に来ている。もういつ生まれてもいいくらいなんだよね。
「大丈夫ネ。元気な子よ」
お腹を愛おしそうに撫でるリンメイの姿に変わったなと少し思う。今までには見せたことのない表情だ。
この屋敷に来ると、尾張に来たばかりの頃を思い出す。良かったことも反省するべきこともたくさんあるんだよね。
知識や歴史だけでは上手くいかないこともあった。そもそもオレたちの知る歴史と元の世界が最適な正解とは限らない。きっと遥か未来ではオレたちのことを同じように見るのかもしれないね。
「あれ、これって……」
「姫様がもってきてくれたネ」
ふとリンメイの部屋を見ると、祈禱してもらった御札がたくさんあった。誰からの頂き物かと思ったらお市ちゃんか。誰に似たのか行動的なんだよね。馬車の一台が完全にお市ちゃん専用になりつつあるほどだ。
「寺領の問題、飛騨と東三河の一部でまだ交渉が続いているけど、あとは終わりそうだよ」
「それはよかったネ」
リンメイについさっき入った知らせを教えると、少しホッとしたように笑みを見せた。
まだ検地が完全に終わっていない飛騨と東三河を除き、寺社の領地は神田や一部の山岳地を除き一律なくすことでほぼ話が付いた。
寺社は今後、税を徴収する側から納める側になる。これは日本史上で最も画期的なことかもしれない。
最後の一押しは無量寿院の末路だろう。大筋では予想通りとはいえ、領民に謀叛を起こされての瓦解と寺院の陥落には衝撃も大きかったようだ。
寺社奉行である堀田さんと千秋さんが本当に精力的に動いた結果でもある。今後、寺社は旅人の宿泊・地域の教育と医療。その中核を担うことになるだろう。
正直、オレとしてはこの結果は必ずしも望んだものではない。宗教と教育は少なくとも切り離したかった。ただ、現実的に寺社にはそのノウハウがあり、また彼らにも生きる糧が必要だった。
教育と医療は宗教色を出来るだけなくす方向で進めていて、公儀で監査もする。地域に学校を建てていくのは次代以降の課題になるのかもしれない。
余談だが、寺社には大まかにふたつの方向性がある。理想主義といえるだろう古い戒律を守るなりして、現実社会と違う理を大切にして信仰と祈りに特化させることか、史実のように世の中に溶け込ませて世の一部として大衆化させるかだ。
オレたちもこの件に関してはどちらがいいとは言えない。清貧で人のために祈るだけの奇特な宗教家は多くない。大半は己の人生で目の前にあることを祈り生きる人々だ。
一般論だが、社会から隔離させた宗教は過激な方向に進む恐れもあり、神仏が信じられているこの時代では危険な芽になりかねない。
村や町の人と共に生きるお坊さんのような人たちを守り、増やしていくべきだ。これが現状ではベターな選択肢だと思っている。
これは他ならぬ尾張の宗教関係者と相談して話した結果だ。彼らも悟りを開いて俗世と乖離するよりも、新しい世を望んでいて世の中で生きたいという人が圧倒的に多い。
寺社に預けなければ生きていけない時代をなくさない限りは、急激な改革は害になるだろう。あとは後々に望んで出家する者がいなくなった時代に、俗世の仕事をする者を俗世化していくなり、寺社の統廃合なりしていく必要があるのかもしれない。
「マリアとテレサもお願いね」
「お任せください」
「任せて!」
町を歩くといろんな人に出会う。津島はだいぶ旧来の町の部分の区画整理も進んだな。一部は郊外に移転させていて、道が広くまっすぐになった。
火除け地でもある公園にはヒマワリが咲いている。旅人が物珍しげに見物に来るようで、屋台が出ているね。
平和になると自然と発展するんだなと教えられる気がするよ。
Side:三木直頼
三木家の行く末に安堵したからであろうか。わしは倒れてしまい、気が付くと寝かされておった。あまり良うないとのことで、しばらく静養することになった。
嫡男の四郎次郎は京極家を継ぐ。三木家も子の誰かに継がせねばなるまいな。
加賀との境にある白山が火を噴いたという知らせに、織田に臣従しておらねばいかがなったのであろうかと考えることもあるが、織田が飛騨の民が飢えぬようにと避難させると知った時には逆らわずに良かったと思うたものよ。
江馬では領内の村が離反する気配を見せておると騒いでおるようだ。また内ヶ島では山が火を噴いたことで米が穫れるか分からんと聞く。
巷では織田に仏罰が下ったと騒ぐ輩がおると聞くが、わしには織田に従わぬ江馬と内ヶ島に罰が下ったのだとしか思えぬ。
「御屋形様、かような姿で申し訳ございませぬ」
「よいよい、寝ておれ」
久遠殿の奥方である光の方からは安静にしておるように言われておる。動けぬわけではないが、横になっておると御屋形様が見舞いに来てくださった。
「尾張の医術は恐らく日ノ本一であろう。静養しておれば良うなる」
初めてお目にかかる頃と比べると穏やかになられたな。
「三木の家と倅らは案ずるな。悪いようにはせぬ」
「はっ、良しなにお願い致します」
「わしもそなたも若くはないからの。あるがままに受け入れ生きるしかあるまい」
秋には親王様が尾張に来られ、来年には帝が譲位してまで来られるという。御屋形様もお忙しい日々だ。時折、役目など貰わず隠居すればよかったと笑うておられるほど。
我が手で飛騨を統一してやろうと夢を見たこともあるが、この辺りがわしの運命と言えような。
「江馬と内ヶ島は今頃、苦しんでおりましょう。それと比べると良かったと安堵しております」
「降るのか意地を張るのか。いずれにしても遅い。わしも人のことを笑えんがの」
内ヶ島は北美濃の東家と血縁があったはず。それに一向宗と近しい。助けを求めるとすれば臣従もあり得るか? 織田からするといかようでもよいというのが本音であろう。されど両家はそれを理解しておらん。
いずれにしても年を越せまいな。飛騨は織田の下で統一されるであろう。
その先は?
無念だが、わしは見ることは叶わぬのであろうな。それだけが残念でならん。
◆◆
作中の御屋形様は京極高吉のことになります。
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