第1284話・崩壊の序曲

Side:無量寿院の寺領の領民


「またか」


 村から逃げた奴が捕まって首を刎ねられたか。お坊様はわざわざ首を村の中に晒しに来た。


 近頃じゃ勝手に村から出たら罰すると御触れがあるくらいだ。それでも逃げる奴が後を絶たねえ。なんで逃げるかって?


 食うものがねえんだ。塩の雑炊すらご馳走になったくらいだ。


 米はおろか雑穀も塩も、なにもかもが値が一昔前よりさらに高くなった。お坊様らは織田が悪いとばかり言うが、それが怪しいことは皆、知っていることだ。


 お坊様は直に織田には仏罰が下ると言うが、一向にそんな話は聞かねえ。


「お坊様! いつになったらおらたちは飯が食えるんだ!」


 首を晒したお坊様に村の男が声を上げた。


「下郎が。己の信心が足りぬから食えぬのだ。飯が食いたければ信心を持てばよい」


 汚らわしいものを見るかの如く顔をしかめたお坊様の言葉に、ため息も出なくなった。お坊様と僧兵は飯を食うておるんだろう。村の誰よりも顔色がいい。


 お坊様になれば飯が食えるのか? もう村には口に出来る草すら生えてねえ。みんな食っちまうからな。


 年寄りは若い者に食えと飯を食わなくなったことで、次々と死んだ。


 なんでおらたちがこんなに苦しまなきゃならねえんだ? すぐ近くの織田様の村は飯が食えてるって聞くのに。


 なんで首を刎ねられなきゃならねえんだ?


 なんで……。




Side:無量寿院の高僧


「おのれ、あの古狸め!!」


 北畠の大御所に謀られたと寺院内は大騒ぎだ。我らと織田の双方にいい顔をして勝つほうに味方する。公家と称しておってもそこらの武士と変わらぬではないか。


 かつて南朝の大将軍であった北畠の名は大きい。織田とてそれは承知のことだ。動いて当然ということだな。


「六角はいかがした!?」


「あそこは千種の一件以来、織田の禁制の荷を隠し売る以外は話にも応じておらんわ!」


 六角も同じと見るべきであろうな。武衛家の嫡男の婚礼に六角家当主が出たという。わざわざ尾張に行ったのだ。こちらにも相当な銭が渡ったと見るべきであろう。


 怒り荒れる者らを見つつわしは数人の者に目配せをして場を辞する。


「いかがした?」


「関東に戻るぞ。ここにおっても先はない」


 わしらは関東の専修寺から参ったのだ。伊勢のこの寺など命を懸けて守りたいとも思わぬ。専修寺も焼け落ちてしまったが、ここで死ぬわけにはいかん。


「されどな……」


「我らの役目は信心を教え、守り広めることだ。伊勢の寺など知るか」


 尭慧上人が寺に戻られなかった時に寺を出るべきであったな。専修寺が駄目ならば、いずこの地でもいい。新たに寺を探して本山とすればいい。元々伊勢の土着の者らは信心の教えを理解しておらぬ愚か者も多い。


 国人や土豪の小倅の分際で、本山の高僧となったと勝手な振る舞いには我慢がならなかったところだ。


 それに、早う出ねばあやつらと共に殺されるやもしれん。




Side:久遠一馬


 この日の評定の主要な議題は無量寿院の一件だった。


 この件、急いだ理由が帝の譲位と御幸もある。その先触れ、地均じならしという意味合いもあり、方仁親王が尾張に行啓ぎょうげいされる。


 平たく言うと方仁親王が先に尾張に来訪されるんだよね。日取りは今年の武芸大会を予定している。その準備などはすでに取り掛かっていて、桐竹鳳凰文様を施した仮の御座所も用意しているんだ。


 すでに朝廷御用達の職人が尾張に来ている。帝が譲位と尾張御幸を望まれなかった場合は、職人にはしばらく技術指導をしてもらうことになっている。時間の関係上、来訪されてもいいように仕事をしてもらっているけど。


 方仁親王が来訪される前に無量寿院を片付けたいのが一番の理由になるだろう。さすがに親王殿下や上皇陛下相手におかしな行動をしないと思うけど、用心するに越したことはない。


「無量寿院の寺領はもう危ういところでございます」


 それと急いだ理由がこれだ。無量寿院そのものより寺領が限界だった。弱者から貧しいものから苦しみ飢えていく。この時代では当然だ。


 いや、元の世界でも同じか。弱肉強食なのは時代が進んでも結局変わらなかった。


 懸念は寺領の民の生き死にのことではない。彼らの怒りがこちらに向きかねないことだ。死を覚悟した一揆など御免だ。


 可哀想だとは思うが、オレも現状で無量寿院の領民をどうこうする気はない。織田領の人たちを第一に守る立場なんだ。


 自由も食べ物も自分たちで勝ち取るしかない。それがこの時代だ。


「無量寿院からは幾人かの僧が寺を離れておりまする。尾張真宗の者の話では関東の専修寺より来た者らだということ。尾張真宗の者らにも挨拶に来たようで関東に戻るとのことでございます」


 寺社奉行の千秋さんの報告にどよめきがおきた。無量寿院の内部事情。幾つかルートがある。忍び衆のルートや、商人ルート。他にも尾張高田派が繋がりから探っているルートがあるんだが、今回は尾張高田派のルートがもっとも情報がある。


 もともと無量寿院にも内部には複雑な権力争いや派閥がある。トップ争いをした応真派と真智派から続く争いや、伊勢土着の者と関東専修寺から来た者の争いなど、確認されているところでもいろいろある。


 どうやら専修寺派が逃げ出し始めたようだ。もともと理性的な温和派は飛鳥井さんの一件などで逃げ出しているが、過激派にも少しは情勢が見えるようになったらしい。


「かず、逃がしてよいのか?」


「構いませんよ。勝てないと理解して逃げる。結構なことじゃないですか。力を怖れ、力で従うなら、いずれは大人しくなりますよ」


 信長さん、逃げた人に少しイラついたらしいね。まあ、顔にださないだけ成長したみたいだけど。こちらは逃げる者を追うほど暇じゃない。


「まったくですな」


 あれ、武闘派の面々がもっともだと頷いている。そこまで強硬論のつもりはないんだけど。


「ということは直に荒れまするな」


 織田では出兵がこの時代の他家と違う。武器弾薬と兵糧などは基本的には織田家で用意する。ウチの武器は一部独自に用意しているけど。


 兵は武官と賦役の民から集める黒鍬隊が主力だ。その気になると即日でも千やそこらの兵なら派遣できる。


 無量寿院が暴発するのか、一揆が起きるのかは未だ分からないけど、遅れを取ることはないだろう。末寺のほうは、どうしようもない状態のところが多いし。


 末寺に入った北伊勢の国人の残党。とうとう逃げだし始めたんだ。婚礼の影響だろう。北畠と斯波と織田が縁続きになる。六角は北伊勢から撤退したようなものだし。


 からになってた寺領の領民にと無量寿院が送った人たちも逃げ出したし、どうしようもなくなったというのが実情だろうけど。


 あとは被害をいかに抑えるか。それだけだ。




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