第1282話・養子として

Side:朝倉景紀


 まさか父上が尾張に残ると言われるとは思わなんだが、それ以上に驚いたのは薬師殿の診察の結果であろう。


 『静養が必要。嘘偽りなく』と言われた時には信じられぬと思いもしたが、父上は齢七十八だ。当然のことであろう。ここ数年は衰えを感じると自ら認めておられたこともある。


 父上は朝倉家にとって替えの利かぬ御方なれど、同時にいつまでも父上が差配することに疎ましく思う者も少なからずおる。人とは身勝手なものよな。


 このような形で父上が越前に戻らぬことで朝倉家はいかがなるのであろうか。


「これを殿に、直にお渡しして、必ずのご披見ひけんを願え。仔細はすべて書いてある」


「はっ」


「よいか、孫九郎。戦はやってみなければ分からぬなどと安易に思うてはならんぞ。織田が本気になれば朝倉家は丸裸にされる。一族からも寝返る者も、戦に出ぬ者も出よう。一族を割るのを恐れて戦をするなどもっての外ぞ」


 あの父上がこれほど戦をする前から勝てぬと言い切るとは。家中では宗滴も年老いたと陰口があるほどだ。


「戦はならぬと仰せでございまするか?」


「加賀や若狭とは違う。織田は戦では倒せぬ。仮に一度の戦で勝ったとしても、朝倉家は斯波と因縁がある。一度戦端を開くと退くに退けなくなるのじゃ。さらに国力の大きい織田と越前一国の朝倉とでは戦をする負担がまったく違う。行き着くところは朝倉家の滅亡であろう」


 背筋に冷たいモノが流れる。確かにそうであろう。かつて朝倉家は北美濃を何度か攻めておるが、すべて退いておる。今はそれに織田が兵を出すことになるのだ。


 金色砲など恐るるに足らずと豪語する者もおるが、織田はここ数年の戦で負け知らずだと聞く。野戦でも籠城でも結果は同じだ。そう容易いことではない。


「それとな、織田と争えば海から攻められる。敦賀も三国湊もな。あの南蛮船をいかにして防ぐのじゃ?」


 人のよい内匠助殿の顔が浮かぶ。父上のこともなにかと気にかけてくれる御仁だ。珍しき薬も送ってくれることに家中でも驚く者がおるほど。されど、戦になれば容赦ないとも言われておる。


 三河では一槍も交えることを許さず敵を敗走させ、伊勢では瞬く間に城を落としてしまったとか。


「斯波との因縁はわしがこの命に代えても軽うしてみせる。そなたは殿をお支えして朝倉家を守れ」


「畏まりました」


 そこまで言うと父上はわしを手招きして、さらに近こう寄れと命じた。


「もし、わしが死したのちに家中が織田との戦で固まったら、殿とそなたと異を唱える者らで織田に降れ。わしには出来ぬが、そなたなら別ぞ。わしが死する前に織田に頼んでおくから案ずるな」


「父上……」


「家を滅ぼすことより大きな恥はないと思え」


 養子として家に入って以降、多くの教えを受けた。思えば随分と歳を取られた。隠居させてやれなんだことは偏にわしの不徳。実の子のように教え導いてくれたというのに。


 薬師殿の話では静養して薬を飲めばすぐに命に係わることもないとか。医術は確実に尾張が上だ。因縁を軽うするという役目で残られたほうが父上も穏やかな余生を過ごせるであろう。


 内匠助殿にはよう頼んでおかねばならぬな。




Side:久遠一馬


 宗滴さんは結局ウチで預かることにした。場所は牧場だ。病院からもほど近いことと、政治的な意味を持たせないためにも、静養には穏やかなところがいいかと思ったからだ。


 あと、北畠家の晴具さんが本格的に引っ越しをするようで船で荷物を運んでいる。本人は隠居した身故に気が楽だと婚礼で言っていたが、無量寿院の一件でも晴具さんの力は衰えてないことを証明している。


 一言でいえば、新しい世を見据えているんだろう。


 招待客も帰り始めていて、残るのは次の船を待っている北条家の皆さんと、宗滴さんと晴具さんだ。北畠と六角の人たちは幾らか残って実務的な話をしているけどね。


「凄いですね」


 この日、オレは新九郎君と蟹江に来ている。婚礼後、尾張のあちこちを見て歩いたようで、僅か数年で変わったと驚いていた。今日は直接案内する時間が出来たんだ。


「しかし、まさか武士から土地を召し上げるなんて」


 賑わい珍しいものもある蟹江を興味深げに見ていた新九郎君だが、話題は国の治め方になった。まあ、それはオレたちにとっても難易度が高かったからね。


「土地を治めるのも悪くないんですけどね。道を整え河川を整備したりするにはいろいろな利害が絡むので不向きかなと思うんですよ。田畑もこちらでは四角く整えて収穫を増やすべく試しています。みんなで国を富ませていこうとしているんですよ」


 領地はね。この時代の武士の根幹といえるところだから。改めて言われるとよく変えられたなとオレでも思う。


「今後もこれを続けるおつもりですか?」


「ええ、そうなるでしょう。私たちはこれ以上の領地を求めていませんが。臣従を望む者には領地は召し上げになると明言していますので」


 新九郎君。こちらを見てなにかを言いたげな顔で言葉を飲み込んでいた。


 両属は認めないし、土地を守りたいならば臣従は不要とも言ってある。それでも臣従したいというところが続いているのが現状だ。


 北条からすると信じられないというところだろうか。暮らしの格差が目に見えて違うということが一番大きい。斯波家の権威やら織田の力もあるけど。


「相模も豊かな地になるのでしょうか?」


 聞きたいのはそこか。


「なると思いますよ。土地を整えて人が住みやすい国にすれば。ただ、もとより肥沃な地である尾張と相模だと一概に同じにすればいいというわけではありませんけどね」


 なにかを変えようとすることは本当に難しい。北条はこの時代にしては善政を敷いているけど、でも国人や土豪からすると余所者であり、権威や名がある人たちの言葉に従うほうが正しいとなる。


 そもそも民に善政を敷くことが、この時代では必ずしも最良というわけではない。権威や地位、旧来からの秩序を守る者こそ最良という見方のほうが多いだろう。


 領民は財産のようなものではあるけど、それ以上ではないんだ。


 国を豊かにしたい。尾張に来た者はそう思うだろうが、一方で自分が豊かになるのはいいけど、家臣や領民が豊かになるとろくなことをしないと考える人もいる。


 自分の地位が揺らぐくらいなら今のままでいい。そんな人は織田家にもいるだろう。信秀さんがそんな人を相手にしないので表沙汰になっていないけどね。


 ただ信秀さんには、信じて付いていけば家や自分が楽に暮らせるようになるという信頼がある。北条だとなかなかね。


 今川が臣従をするかもしれないことは申し訳ないけど言えない。それを知ると北条としては動きが変わる可能性もあるけど。


 今川が落ちれば北条とは国境を接することになる。新九郎君は織田と自ら対峙する必要が出てくるのかもしれない。


 出来れば協力したいけど。どうなるかなぁ。




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