第1258話・熱田祭り・その二

side:梅戸高実


 ふと千種の隠居殿の顔が見えた。いかんとも言えぬ顔だな。無理もない。隠居して新たな主に仕えねばならぬなど喜んでおるはずがない。


 家を残すため。ただその一点と言えよう。わしも変わらぬがな。


「たいそうな賑わいでございますな」


 後藤家から婿に入った三郎左衛門殿がそんな義父を労わるように声を掛けた。さほど上手くいっていたとは聞いておらぬ。されどお互いに変わりゆく日々に思うところもあるのであろう。


 千種を含む我が梅戸家の主立った者らは、織田内匠頭様の招きで尾張を訪れておる。熱田神社の祭り見物への招きだ。


 この後、梅戸と千種は臣従することになる。所領もそのまま織田に渡すことになった。


 すでに罪人どもは織田へ売り渡したが、所領が織田と比べて貧しいことに変わりはない。さらに東海道が使えるようになり八風街道や千種街道を使う者も減った。


 既に六角からの助力はなく、いつまでも所領を持っておっても六角と織田に疑われるだけだからな。


 致し方ない。その一言に尽きる。家中にも思うところがある者はおろうが、千種の謀叛人を討伐した織田と六角を見て逆らおうという者はおらぬ。


 幸いなことに織田の示した禄は思うたより良かった。今の暮らしが悪うなることはないと知ったことも理由にあろうな。


「少し休んでいかれるか」


 案内は神戸殿だ。この人選にはいささか驚いた。


「ここは……」


 神戸殿が止まったところで、何故ここなのだと言いそうになるも理由はすぐに分かった。日ノ本では尾張にしかおらぬ容姿の女がおったからだ。


「いらっしゃいませ!」


 民が列をなす後ろに並ぶと、小さな子が紙を持って参った。


「品書きか」


 売り物の品書きがある。驚いたことに絵も描かれておるわ。これが噂の久遠の商いか。施しに近いと聞いたことがある。


「はい! どれもおいしゅうございます」


 ああ、身なりも良く顔色も良い子らだ。商家の丁稚でもここまでの者はそうおるまい。


 わしはよう分からぬので神戸殿の勧めるものを頼んだ。椅子なるものに座り、卓なるもので食うか。頼んだものは金色酒と明麺と串こんにゃくと大福というものだ。


「さあ、召し上がられよ。毒など入っておらん」


 明麺か。城に出入りする商人が八屋なる飯屋で食うたというのを聞いたことがある。


「なんと!!」


 尾張には幾度か来ておる。飯が美味いのは承知であったが、かような味のものがまだあったのか。城で出された料理に負けておらん。


 澄んだ汁と麺に肉と海苔か。それとなにか分からぬ具が入っておる。なんという味だ。一言では言い表せぬ複雑なものだ。箸が止まらぬ。


 ふと周りでは民が同じく座って楽しげに食うておる。我らなど尾張に来ねば食えぬものを。


 一心不乱に我を忘れて食う我らが情けなく思えた。


「思うところがあろうが、悪い話ではない。美濃、三河、飛騨、伊勢、志摩と多くの者が新たに織田に仕えておる。家や血筋もある。梅戸殿らは他よりは恵まれておろう」


 考えても仕方ないとわしも食うておると、何故このような季節にこんにゃくがあるのか。そんなことが頭に浮かぶ。


 そこに神戸殿が金色酒を飲み、そのようなことを我らに話してくれた。


 そうか。北畠の血縁がある神戸殿は我らと立場が同じか。それで案内役となったのか。


「されど、同盟などと言うてもいついかがなるか……」


「あまり案ずることはないと思うておる。外から見れば分からぬであろうがな。織田は戦で物事が動かぬ。六角と織田が争うことはよほどのことがなければあるまい」


 ひとりの家臣がつい本音をこぼすが、神戸殿は笑ってかようなことはありえぬであろうと言うてくれる。


 皆、その言葉を噛みしめるように静かに食うていた。




Side:神戸利盛


 わしもかつては同じような顔をしておったのであろうな。取り繕うように平静を装う梅戸殿らを見て、ふとそう思うた。


 そう悪いこともない。今にしてそう思う。働けば家禄とは別に役職に応じた禄がもらえるのだ。


 されど、生まれた時から領地で暮らしておる者からすると、己の面目を失うような心情になるのは致し方ないことだ。


 だからこそ、周りをよう見てほしい。民ですら励めば祭りでこのような美味いものが食える国なのだ。我らが励めばそれ以上を得られる。今までと同じままで得られるものではあるまい。


「そういえば……、北伊勢の者らが無量寿院の末寺にて勝手をしておるが……」


「ああ、そのことか」


 飯を食うて熱田様に祈りを捧げた帰り道、千種の隠居殿がやっと口を開いたと思うたら、そのことか。


 四十八家の者や土豪の者が無量寿院の末寺に入った。元当主から嫡男やそうでない者まで様々だ。織田に従うのを良しとせず、争うつもりで野に降った者らだ。


「織田に降った者がそれで罰を受けることはないようだ。なんとかしろと言われてもおらぬ。無論、庇うならばそれなりの配慮は要るであろうがな」


 織田に降った者らの血縁が無量寿院に加担しておることで、肩身の狭い思いをしておる者もおる。されど大殿や重臣の方々からは、なにか言われることもない。


 先日、久遠家の春殿と会うた際にそれとなく聞いてみたが、織田に従う者に累が及ぶことはないだろうと教えられた。一言でいえば興味がないそうだ。


 織田や斯波の面目を傷つけると許すことは出来ぬが、従わぬ者が蜂起したとて、いちいち血縁の者を裁くなど無駄だとまで言われた。そればかりか降らせるなら頃合いを見定めよとまで教えられたわ。


 もっともわしの血縁の者は無量寿院になど加担しておらぬので関わりはないがな。北伊勢衆が困っておることを見越した助言であろう。


 実際、その言葉で血縁の者を説得して末寺から退去させた者が数名おったな。退去した者が罰を受けたとは聞いておらぬ。


「大殿は慈悲深い御方だ。道理に背かねばそうそう怒られることはないと聞いておる。千種殿のことも難儀であったと仰せだと聞いたぞ」


「そうであったか。かたじけない」


 失態は恥ではない。久遠家の掟だという。織田ではよう使われる言葉だ。失態から学べ。そう言われるのだとか。


 隠居殿ならばやれるであろう。己で長年仕えた家臣を厳しく罰したことは織田でも話題となっておった。そう容易く出来ることではない。


 人手が足りぬからな。案外すぐに重用される気がするわ。




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