第1202話・流れは止まらず
Side:千秋
「こうして話すとは世が変わっておると感じまするな」
津島神社の宮司である堀田殿は無言のまま頷いた。熱田と津島。共に古くからある神社であることに変わりはない。されど双方の主立った者が一堂に会して話すなど、そうあることではない。
堀田殿はわしと同じ寺社奉行であり、津島の大橋殿は評定衆でもある。故にこの場が必要ということではわしと同じ考えであろう。
「頃合いであろう。願証寺も動いた。我らが変わらねば、寺社の立場が良うなることはあるまい」
そんな堀田殿は出された茶を一口飲んでそう口にした。
ここは蟹江にある織田家の屋敷だ。津島と熱田の双方の間にあるということで、ここで会うことになったのだ。
争いの世が変わろうとは思わなんだ。武士であろうが僧であろうが神職であろうが、戦い守らねばならぬのが今までの世の中であった。
「食うのに必要な田畑は残しても構うまい。あとは献上するしかあるまいな」
神田また各々の神社で必要な分を作る田畑は残したい。そこまで召し上げるとは言うまい。要は民から税を取る立場を捨てればよいのだ。久遠殿の牧場に倣えばよいはずだ。
「祈るべきは神仏であるか」
ふと大橋殿がそんな言葉を漏らした。久遠殿の言葉であろう。真理だな。当然の考えだ。とはいえそれを表立って口に出せるのは久遠殿くらいしかおるまい。
「大橋殿は久遠殿と最初に会うたとか?」
わしは以前から聞いてみたいと思うておったことを大橋殿に問うてみた。見たこともないほど大きな黒い船で来た日ノ本の外の民。よくもまあ争いにならなんだなと思う。
「うむ、今とあまり変わらなかったの。争いを求めず、珍しき品も気前良く融通してくれたが、されど利は確かに押さえておった。今は立身出世をして少し窮屈そうに見えるがな」
その言葉に誰からともなく笑いが起きた。なにひとつ求めるでもないように見えて、必要なものは得ておるように見える。さらに得たものを皆に分け与えて、国を、尾張を豊かに大きゅうしておる。
いったいいかなる明日を見ておるのか、本音を聞いてみたいものよ。
「無量寿院の一件でひとつはっきりした。久遠殿はたとえ叡山であろうとも道理がなくば決して退くまい。むしろ堕落した叡山など良しとはせぬはずだ」
わしの問いかけに異を唱える者はおらなんだ。勅願寺であり真宗の総本山を自認する無量寿院でさえ、久遠殿は格別な配慮をするべきではないと考えておった。
今後織田が領地を広げていくと必ず叡山や高野山とぶつかるはず。
危ういと思う。『神仏と坊主は別だ』とは久遠殿が言うたと聞き及ぶが、あまりにも危うい。
誰もが、祟りに恐れを抱き神仏を信じる。その神仏を祀り俗世に血縁や大きな力を持つ寺社に配慮をする。それが当然なのだ。
各々で主張も違う寺社の、いずこが正しいかなどわしにも分からぬからの。久遠殿はそのような寺社の内々まで見抜いておるようじゃ。
唐天竺まで知るのだ。当然といえば当然か。何故、日ノ本の寺社は神仏が禁じるはずの人を殺めることをするのかと驚いておったという話は有名だ。
「寺社は本来の神仏を祈り祀る者に立ち戻らねばならぬの」
しばし無言であったが、堀田殿がそう言うと皆が頷いた。
日ノ本のため、民のため。祈り守るのが本来の寺社の役目。争い戦わずとも生きられるならば、本来の役目に戻らねばならぬ。
本音をいえば願証寺に先を越されるわけにはいかぬ。織田において寺社を束ねるは我らの役目。願証寺が自らの寺領を差し出すという前にこちらが動かねば、寺社奉行でもある我らの立場がなくなる。それだけは避けねばならぬ。
頃合いなのであろう。その一言に尽きる。悪う考える必要はない。熱田も津島も神社の権威は今以上に守られるはずだ。
変わるべきところは変え、守るべきところは守る。それこそ生き残るための処世の術だ。
織田領においては、各地で領民に寄り添う寺社、貧しい小さな寺社に一番寄進しておるのが久遠殿だということこそ、確かな証。
寺社のことは我らが先んじて動かねば。新たな世で寺社の生きる場が狭まってしまうわ。
Side:久遠一馬
赤ちゃんは元気だ。名前は信秀さんにお願いすることにした。特に誰かに言われたわけではない。
ただ、こういうのはきちんとしたほうがいいと思うし、お市ちゃんの乳母である冬さんが、信秀さんが子供の名づけを頼まれるかもしれないからと、名前の候補を考えているとこっそり教えてくれたんだ。
無論、シンディとはよく話していて、むしろ信秀さんに頼みたいと言っていた。子供たちを守る縁は多いほうがいい。それもまた事実だろう。
男の子だし幼名だからね。それにシンディもまだまだ子供が生まれるかもしれない。男の子は二人目だから、信秀さんにお願いするというのが筋だろうということだ。
それとロボとブランカの最後の子供。比翼連理の四匹。あの子たちの里親も決まった。慶次とソフィアさんにメスの
滝川家にはすでにオスの
今でも少し寂しさはあるけど、最初のころよりは安心できる部分もある。命を大切にしようということ、理解してくれる人が増えたんだよね。
『忠義は生きて尽くせ』なんかオレが言った言葉として広まっているせいもあるし、学校でそういう教育をしてくれていることもある。
命を懸けてとか、命で償うということ自体は否定はしないけど、出来れば生きて頑張ってほしい。あと犬や馬を大切にして、家族のように扱ってほしい。これもまあ里子に出す人たちは結構理解してくれているんだ。
どうも久遠諸島を見て理解したっぽいけど。
「ああ、若様にもお礼を贈らないとなぁ」
「そうですね。なににしましょうか?」
今日もエルと共に赤ちゃんに会いに来た。たくさんの祝いの使者が那古野と熱田に来るから忙しいけどね。今は熱田に一益さんが滞在していて、来客の応対をしてくれている。
滝川家の名前って有名だから使者の応対にぴったりなんだよね。一益さんは嫡男なので失礼にならないし。
オレは赤ちゃんを抱きつつ、あちこちへの返礼の話をエルとシンディとする。若様、吉法師君のことだ。吉法師君、政秀さんと一緒に那古野神社に何度も参って、赤ちゃんとシンディの無事を祈ってくれたらしいんだ。本当にありがたいことだね。
最近だとエルの手編みのマフラーと手袋と帽子がお気に入りらしく、その三点セットを身に着けてウチにもよく来るんだ。
ほかの人への返礼はある程度決まっているけど、吉法師君のは悩むんだよね。
本人が喜んでくれるものがいいし。何を贈ろうかな。
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