第1195話・宴の終わりに

Side:久遠一馬


 そろそろ鍋の締めになるけど、今日はうどんだ。とろみが出過ぎるのを防ぐために一度軽く茹でた麺を使う。


 エルは宴に参加しているので、代わりというわけではないけどウチの料理人たちが用意したうどんを入れて少し煮込む。


 菊丸さんがいるからか、酔っぱらうほど飲んだ人はいないね。


「こういう食べ方もよいの」


「民は皆で囲炉裏の鍋を囲んで家族団欒しますからね」


 晴具さん、ふたをした土鍋を興味深げに見ている。この人も公家だからね。みんなで鍋を囲むとかしたことがないんだろう。庶民だと囲炉裏で調理してそのまま囲んで食べるとかあるけど、晴具さんの身分だと毒見とか必要だから通常はあり得ないんだよね。


 少し煮ると卵を落として目の前で調理して盛り付ける。細かく切ったネギも入れた。これがまた美味いんだ。


「ほう、これは美味いの」


 余熱でほどよく卵に火が入ったうどんをすすると、晴具さんは熱さからハフハフとしながらも顔が綻んだ。


 割と細身のうどんは汁を吸っていていい味になっている。程よい歯ごたえと小麦の味もいいね。


 結構な量を食べたはずが、多めに作った締めのうどんは瞬く間になくなっていく。この時代の人は一日二食だから一食でよく食べるけど、それでも見ているだけで気持ちがいい食べっぷりだ。


「では次が最後の菓子となります」


 予想してなかったのか、少しざわついた。


 運ばれてきたのは白磁の少し深みがあるお皿だ。中身はフルーツグラタンになる。プリン生地に程よい焦げ目があるんだ。酸味が強い果物も火を通すと甘くなるしね。


「添えてあるのは氷菓子ですので、早めにお召し上がりください」


 一緒に添えてあるのはバニラアイスだ。熱々のフルーツグラタンと冷たいバニラアイスのコンビネーションはこの時代では他では絶対に食べられないと断言出来る。


 飲み物は紅茶を用意した。


「なんと水菓子を温かく煮たのか? 信じられぬが甘うて美味いの。……ああ、こちらは冷たいではないか!」


 晴具さんが少し饒舌になった。それだけデザートが驚きなのか? それとも菊丸さんのことを自分なりに納得したのかな? まあ悪い反応ではないね。


 この時代だとほんと高級品なんだよね。果物ってさ。しかも生のものだと尚更だ。今回はウチの硝子の温室産の生の果物とシロップ漬けを使った。


「変わるということは良きことも多いということだな」


 そこまで会話は多くないけど、それでも空気が悪いわけではない。まあ落ち着いている様子ではある。そこまで警戒して探り合いをしているわけでもないしね。


 そんな中、口を開いたのは義賢さんだ。


「良いことも悪いこともありますよ。ただ今よりは良いことを増やしたいですね」


「悪いこともあるのか?」


「何事もそうだと思いますよ。得るものもあれば失うものもある。当家の本領は島ですので大国が攻めてくると勝てません。だからこそ、その前に備えないと駄目だと思うんですよ」


 義賢さんの問いかけとも言えない呟きに答えると、具教さんが更に問いかけてくれた。いいタイミングで声を掛けてくれるね。ほんと助かる。


 利点や都合のいいことしか言わないのはだめだ。ちゃんとリスクや失うものも教える必要がある。


 ただ、その言葉に北畠、六角両家の皆さんは少し驚いているようだ。古今東西、都合がいいことばかり言う人が多いんだろう。


「島か。わしも行ってみたいものだな」


「船が沈めば命を落としかねません。そのお覚悟があるならば歓迎いたしますよ」


 少しウチの話もしておこうとゆっくりとデザートを食べながら語る。先ほど地球儀で見せたけど、あれには載せていないんだ。小さい島だし精度がそこまでないものだからね。片道十日程度だということや諸島が本領であることくらいは教えても構わないだろう。


 具教さんがウチの本領に興味があるようだけど、現状では難しいだろうね。万が一なにかがあれば北畠家の一大事になる。斯波家と織田家ではそれを覚悟で行ったし、義藤さんも同様だ。


 ただ、北畠家は未だに国人や土豪の連合領主でしかないからね。家臣の反発が大きいだろう。


 とりあえず今夜はゆっくりと眠って考えるといいと思う。いろいろあって皆さん自分の中で消化する時間が必要だろうしね。




Side:とある蟹江の領民


「おやじ、酒だ」


「へい、すぐに」


 外はすっかり日も暮れちまった。安酒を飲ませる飯屋に入って火鉢で暖を取る。椅子と食卓か。狭いところにこいつが幾つも並ぶ飯屋も蟹江だとよく見るようになった。


 銭を出せばもっといいところもあるが、その日暮らしのおれなんかにゃ、このくらいの店でいい。


 少し冷たい麦酒を飲んで料理も頼む。ここで食うのは魚のごった煮だ。下魚や売れ残りの魚を味噌で煮ただけのものだが、寒い冬は身体が温まってこれが美味えんだ。


「そういや北畠様の屋敷が出来たらしいな」


「ああ、絵師が入って襖絵を描いて終わったそうだ」


 近くで話す職人の話が耳に入る。ここにはあちこちから集まった奴らがいるから、三河訛りや伊勢訛りも多い。職人は伊勢訛りだな。


「伊勢の殿様なのに他国に屋敷持つなんて、珍しいな」


「あそこの殿様、よく尾張に来ておるそうだからな。そのせいだろう」


 ああ、美味え。骨に付いた身をしゃぶるように食って酒をくいっと呷ると、それだけで幸せだと思える。


「そういや昼間に塚原様、見かけたなぁ。久遠様の馬車に乗られていたが、今年は鹿島に戻られなかったのかな?」


「へぇ。そうか。清洲に屋敷を構えたと聞いたからな」


 また別のところでは塚原様の話をしていた。蟹江でもたまに見かける御方だ。武芸で右に出る者なしと言われるだけに強そうなお人だったな。


「皆の者、よく聞け! 伊勢無量寿院では仏の名を騙り……」


 またか。飯屋に入ってきた真宗の坊主が、頼んでもねえ説法をはじめやがった。ここのところ真宗の坊主が無量寿院とやらの堕落と悪政を訴える説法をして歩いてやがる。


 大勢の者が肩身を寄せ合う飯屋に時折やってくるんだ。先日なんて伊勢からきた真宗の坊主と言い争いになって、危うく殺しあいになるところを警備兵に止められていたっけな。


 いずれの言い分が正しいのかねぇ。坊主の言うことが人によってまったく違うって誰かが笑い話にしていたな。


 昔は村に来る坊主なんてほとんどいなかったしな。坊主同士が争うこともなかった。


 ところが今の尾張だとあちこちの坊主がそれぞれに違う説法をするもんだから、いずれの話を信じればいいのかってみんな言っている。


「ご苦労様でございます」


 店のおやじが少しばかりの銭を渡すと坊主が念仏を唱えて出ていった。やっとうるさいのがいなくなったな。


 誰かが言っていたな。拝むのは仏様であって坊主じゃないって。なんでも久遠様がそうおっしゃっていたとか。


 確かにその通りだって思うよ。



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