第1172話・師走のこと
Side:久遠一馬
暦は師走に入った。年末ということもあり、織田家は相変わらず忙しい。
六角家の蒲生さんからは、北近江三郡がようやく一息吐けたと文が届いた。冬場の大根の収穫がきっかけだという。因縁もあるし、まだまだ油断は出来ないようだけど、収穫と食いつなげることでだいぶ変わりつつあるようだ。
一方で飛騨や東三河では早くも経済格差が知れ渡り始めている。隣近所の暮らしが楽になって自分たちだけ苦しい。この時代だとこれは争いの元であり致命的だ。
東三河は今川の直轄領と、それに囲まれた国人と土豪くらいしか残っていない。飛騨も大きなところは江馬と内ケ島だけだ。それらは脅威にはならないけど、領境にある一部の村が織田側の村にちょっかいを出しているところはある。
この時代の村は独自に判断して動くのが当たり前だからな。仕方ない。
特に領境にある係争地の扱いなどは完全に決めたわけではないので、当然と言えば当然だ。ただし、それを座して見ているわけにはいかない。
武官と警備兵を派遣して係争地の確保や反撃に出ざるを得ない。相手の村を領有している武士が出てくると小競り合いから小規模でも戦になる。それが上へ上へと上がっていくと歴史に残るような本格的な戦になるんだけど。
まあ、ある程度で止まるとは思う。今川や江馬や内ケ島が出てくるとは思えない。もし出て行って織田に負けたら臣従か滅亡になりかねないからね。
そもそも水利や入会地の係争なんて、話し合いでという綺麗ごとは通用しない。力で確保していかないと実効支配されるだけだ。元の世界の領土紛争と同じだね。
あと志摩半島に水軍の拠点を造るべく候補地の選定が進んでいる。こちらは検地と人口調査と合わせて進めていたものだ。志摩国も現時点では南側の紀伊に近い英虞郡の海岸線のあたりは織田に臣従していない独立勢力だ。
特に敵対していないけど、紀伊は高野山や熊野三山といった寺社勢力に雑賀衆などの土豪が割拠する面倒な地だ。海でも熊野水軍という海賊衆がいるので盤石の体制を構築しておく必要がある。
「京極はよう働くわ。もっと早う働いておれば変わったであろうに」
今オレとエルは清洲城にて義統さんとお茶をしている。いろいろと最近の話をすると、京極高吉さんの話題となった。少し前に信秀さんに申し出て自ら働くようになったらしい。
名門であり、幕府の運営も知っていて苦労もしている。義統さんの下に置いて働かせることにしたんだけど、思った以上に使える人材だったみたい。
無量寿院のことで騒がしい尾張高田派や伊勢の高田派の寺を相手に、のらりくらりとかわしつつなだめているとのこと。本人曰く面倒事の対処は慣れているとか。
「寺社の本分に目覚めたというのはありがたいのですけど……」
寺社の関係者も自分たちの居場所がなくなることはないと理解してくれたのは助かる。だけど寺社の在り方について改めて考え変わっていくスピードが思った以上に早い。
しかも過激なんだよねぇ。思考が。堕落した無量寿院を許すべからずと騒ぐくらいに。
「北畠と六角の支援のためにわざと残しておるとも言えぬからの」
義統さんも苦笑いした。言えることと言えないことがある。無量寿院の財力で北畠と六角の改革を進めようとしているとはさすがに言えない。
「数年は残して蓄財を取り上げたかったのですが、あまり長くは保ちませんね。次の策と無量寿院の始末を考えておくべきでしょう。それと朝廷には、無量寿院のことで領内の寺が不満を持っていることをお伝えするべきでしょうか」
すっとお茶を飲んだエルが、少し困った様子でそう口にした。
出来れば三年は無量寿院の資金で北畠と六角の開発をしたかったんだよね。だけど、どう考えても無理だ。
「こちらが我慢しておることは伝えるべきか。潰れた時に要らぬ詮索や口出しはされとうないしの」
勅願寺の権威も思ったほどじゃないみたいだ。少なくとも今の体制を変えてやると息巻く者にはね。高僧などを愚か者として見ているくらいだ。
そもそも仏教自体もね。堕落と改革が史実でも何度かあった。尾張から始まる新しい価値観の流れは既存の仏教にも影響を及ぼしていくだろう。
宗教勢力との見えない戦いは始まっているのかもしれない。
Side:真田幸綱
「よう参ったな。源五郎」
「はい!」
信濃から三男の源五郎が到着した。寒い冬の旅は七歳の身では難儀したであろうが、そのような素振りも見せぬ。しばらく見ぬうちに大きゅうなったな。
斜陽の武田家と共に真田の家を潰すわけにはいかぬ。嫡男と次男は武田家に仕えておるので致し方ないが、三男の源五郎だけは生き延びてもらわねばならぬ。そのためにわざわざ尾張に呼んだのだ。
信濃先方衆の中でも真田は肩身が狭いと文が届いた。今や日ノ本一の卑怯者とまで陰口を叩かれる御屋形様に忠義を尽くしたことが、わしの世評を下げてしまった。
人とは勝手なものだな。以前は御屋形様に取り入ろうとわしに口添えを頼んだり、あの手この手で動いておったというのに、身勝手な者らだ。
「そなたは西保三郎様に小姓として仕えよ」
「かしこまりました」
西保三郎様も武田家の窮地を存じておられて案じておるが、いかんともしようがないのが今の状況よ。御屋形様も万が一の際には、西保三郎様を甲斐源氏の跡取りとして残すよう、わしと守役に密命を授けておる。
武田家は先代の御屋形様を重臣らが追放したこともある。今はまだよいが、これ以上武田家が不利となれば御屋形様とていかになるか分からぬからの。
我ら尾張にて仕える武田家家臣だが、少し変わった。甲斐から来ておった重臣が御屋形様に呼び戻されたのだ。数年の月日が流れたことから、そろそろ戻れと言われたようだ。
あの男のせいで上手くいっておらなんだので正直助かった。
甲斐源氏の体裁を整えるのは当然のことなれど、それに必要な銭を我らから召し上げておったのは不満が多かった。
武田家家臣として役目を織田から頂いたのだからと、俸禄を上納させたのはやりすぎであろう。
腹に据えかねて我慢ならんという者も多いので、御屋形様には素直に現状を文にして送った。体裁を保つ銭すら惜しむのならば、西保三郎様も甲斐に戻られたほうがよいのではとも思うてな。
無論、そうすればわしも信濃に戻れる。そろそろ身の処し方を考えねば真田家も危ういからな。
結果として御屋形様は、重臣を呼び戻し別の者を寄越すことと、尾張に送る銭を増やすことをお決めになられたのだ。
最早、尾張者には甲斐が貧しいと知れておる。恥を隠すのすら笑われかねんのだ。信濃の領地は気になるが、こうなっては尾張にて武田と真田の家を残すべく力を尽くすしかあるまい。
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