第1169話・武士の在り方

Side:胤栄


「少し羨ましゅうございますな」


 伊勢へ向かう船の上から遠くなっていく尾張を見て、ついそう言うてしまった。柳生殿が隠居して尾張に移り住むと聞いたからであろう。


「わしはそなたが羨ましいわ。まだ若いのだ。進むべき道は幾らでもあろう」


 柳生殿はわしの心情を察してくれたのであろう。笑って答えてくれた。


「武士も僧侶も民も、力を合わせてよう働いておりました。大和では難しきこと」


 驚くべきことが幾つもあった。されどなにかひとつと言われると、皆が力を合わせておったことか。


 真宗の本山である伊勢無量寿院と争うておるというので懸念があったが、織田はむしろ怒る領内の寺をなだめておると聞いたほどだ。


「興福寺でさえも尾張が気になるか」


「さて、某には詳しくは分かりませぬ。されど……気にならぬといえば嘘になりましょうな」


 互いに本音をすべて言えぬ立場でもあるが、嘘をつくほどでもない。そもそも天下に名を轟かせておる今の尾張を気にならぬと言うては、愚か者と思われよう。


 何故、皆が力を合わせて生きられるのであろうな。聞いてみたいと思いつつ聞けなんだ。


「久遠殿とはいかなる御仁でございましょう?」


「わしもさほど知っておるわけではないがの。皆を信じさせておるのは間違いあるまい」


 信じる。難しきことだ。この乱世で神仏以外に信じるものがあろうか? 我ら神仏に仕える者がいかほど信じられておるのであろうか?


 もし機会があれば、また来たいものだ。その時こそ見極めたいと思う。この国を。


 あとは新介に勝ちたい。


 先日の模範試合は、互いに遠慮がありつつも手合わせとしては本気の勝負であった。続けておれば負けておったであろう。最後の蹴りはよけられなんだ。




 尾張よ。新介よ。


 いずれまた、会える日を楽しみにしておるぞ。




Side:久遠一馬


 家厳さんが大和への帰途に就いた。来春までには尾張に来ると言っていた。引っ越しよりも引継ぎが大変だろうね。一応、オレの書状を持たせたけど。形としてはオレが招くことにした。


 隠居することに変わりはないし、石舟斎さんが両親に楽をさせてやりたいという理由で移住することも変わらない。ただ、形式は大切だからね。


 あとは大和の領地を誰に継がせるか。弟さんに継がせたいみたいだけど、こればっかりは話してみないと分からないことだ。


 そういえば胤栄さんが石舟斎さんと手合わせしたらしい。面白かったとジュリアが言っていた。オレもちょっと見たかったな。


「賑やかだねぇ」


 あきらを抱えたジュリアが外から聞こえる喧騒に笑みをこぼした。今日は輝の初宮参りの日なんだ。


 着物は今回も土田御前から頂いたものだ。


「若様も一緒に参るのですか?」


「若殿の許しも得ておる。若が共に祈りたいというての」


 驚いたのはお市ちゃんと一緒に吉法師君と吉二君たちがいることか。吉法師君の傅役の政秀さんもいる。


 信長さんが許可したのならいいのか。身分が違うんだけどね。ただ吉法師君、幼い子供たちを守るのが自分の役目だと思っているところがある。お市ちゃんとかオレの奥さんたちもいろいろと教えているからだろう。


 実は信長さんはこれからの武士の在り方を考えているんだ。


 根本的なこととして、そもそもこの時代の武士という存在は一概に語れるものじゃない。価値観や立場もまったく違う。足利家や斯波家のように名門の家柄から、織田のように異なる出自から武士となった家、それと土着の勢力が武士化した家など様々ある。


 史実の江戸時代には士農工商の身分が厳格化されたけど、この時代は豊臣秀吉みたいに農民から武士になることも珍しくないからね。


 だけどオレたちが目指す世の中で武士はいかに生きるべきか。吉法師君が生まれて以降、そんな話を時々しているんだ。


 吉法師君にはオレたちのようにいろいろと経験をさせて、広い世の中を知ってほしいと願っている。ウチによく遊びに来るのもそんな信長さんの意思の表れでもあるんだ。


 今回の同行も、そんな信長さんの意思によるものだろうね。


「あきらさま ごきげん?」


「ごきげんだよ」


 そんな吉法師君たちと一緒にいた子供たちが、ジュリアの腕の中にいる輝を見て瞳を輝かせている。


 彼らは金さんの子供である久丸君と太田さんの子供である次郎君たちだ。重臣クラスの子供たちは日頃からウチで遊んでいることも多いんだよね。お母さんたちが侍女として働いているからさ。


 吉法師君たちが来ることもあって、彼らも一緒に行くことになりそうだ。


「さあ、参りましょう!」


 お出かけするの? と駆けてきたロボ一家も連れて、みんなで熱田に行くことになった。今回もお宮参りは熱田神社にした。子どもたちに変に差を付けたくないし。


 お市ちゃん張り切っているな。


 屋敷を出ると沿道に多くの領民が待っていた。今回も子供が産まれたことを喜び、お宮参りの様子を見に来たんだろう。


「ちーち! ちーち!」


 大武丸と希美もお出かけが楽しいようではしゃいでいる。オレはエルとジュリアと一緒の馬車に乗っていて、大武丸と希美はオレとエルの膝の上にいるんだ。


 数台の馬車と騎乗の護衛での移動だ。那古野では珍しくない光景だけど、旅人なんかはなんだと驚いている姿も見える。


 今日はこのまま熱田神社で初宮参りをして、熱田の屋敷で一泊して明日戻ってくることになる。


 正直、神様とか信じてないけど、それでも子供たちの無事と健康は祈りたい。絶対なんてないからな。輝が無事大きくなるためならなんだってするよ。




◆◆


 天文二十二年、十一月。柳生新介宗厳の婚礼が那古野の久遠家の屋敷であった。


 先に婚礼を挙げた滝川家や望月家と同様に久遠家での婚礼となったが、これは久遠諸島の風習の影響と思われる。


 宗厳は久遠家家臣であるばかりか、近江や出身である大和でも知らぬ者がいないと言われるほどの武芸者として名を上げていたため、婚礼の相手を決める際にはあちこちから縁組が舞い込んで断ることに苦労をしたという逸話が柳生家に残っている。


 このため宗厳は、織田家筆頭家老を務めた平手政秀の養女である、お幸こと平の方を迎えた。この縁組は滝川資清が柳生家の事情を踏まえて進めたようで、滝川資清の日記である『資清日記』に詳細が書かれている。


 この婚礼をもって尾張柳生家は大和柳生家から独立をすることになり、家厳は自身の隠居を決めたようで、宗厳の勧めもあって隠居し尾張に移住している。


 なお、家厳が婚礼のために尾張に出向いた際に、興福寺の僧が同行していたという記録がある。


 興福寺としては当時藤原氏を称していた織田との誼を深めるのが目的だったようで、同行者の中には宝蔵院流槍術で有名な胤栄がいた。


 尾張滞在中、胤栄は宗厳と織田学校にて模範試合を披露している。織田学校史にはふたりの力量に皆が大いに驚いたと記録にあり、これ以降、宗厳と胤栄が親交を深めていくきっかけであったとされる。






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