第1151話・文化祭・その二

Side:石田正継


 近江からの流れ者は一段落して、わしは関ヶ原から織田領内の各地を巡る役目へと変わった。これはわしが新参だからというわけではなく、広い領内を皆が知る一環なのだとか。


 那古野で文化祭なる祭りがあると聞き、見聞するべく参ったのだが、噂以上に賑やかで活気がある光景にしばし見入ってしまったわ。


 民が村を出ることなど、戦でもなければありえぬことだ。にもかかわらず尾張では年に何度もある祭りではよくあることだという。


「違うな。ありとあらゆることが近江とは」


 国人、土豪、寺社。そのような各々の領地で暮らす者らが、領地を捨てて尾張という国の下でひとつとなっておる。『仏の国』、近江で旅の僧からそのような噂を聞いたことがあるが、まことだったとは思わなんだな。


 北近江からは少なくない武士が織田領に流れてきた。ここ数年で浅井は織田に敗れ、京極は六角に敗れた。そのせいもあって北近江は六角の天下だ。苛烈な税を要求しているとは聞いておらぬし、むしろ食えるようにと情けを掛けた差配をしておると聞く。


 されど京極家に従うと言うて戦に動いた国人の家は、多くが所領を削られるか召し上げられた。そのようなところから生きる地を求めて美濃や尾張に流れてきたのだ。


 当初は北近江へ戻るための兵を欲しておった者もおったが、近頃はとんと聞かなくなった。美濃や尾張の縁ある者が誰も動かぬのだ。そのうちに北近江の者らも尾張で糧を得るために働くようになり、それはそれでいいと思うようになった者が多いのであろう。


 北近江はさほど貧しい地ではなく都にも近い。なればこそ戻りたいと考える者が多くて当然であるが、暮らしは尾張や美濃のほうが遥かにいいからな。


 当たり前のことを当たり前に励んでおるだけのわしでさえ、かつての暮らしより格段に良うなった。土田家に縁があることもあろうが、今の織田には足利所縁の吉良家すらおるのだ。わしが義理以上の厚遇を受けるはずもない。


「これが尾張たたらか」


 身震いする。赤々と熱して融けた鉄が止まることなく流れてくる様子を見ておるだけだというに。


 鉄は貴重だ。良質なものは武具とする。されどここでは他国に売るほどあり、贅沢に鉄を使った鍬や鎌に鍋などが市井の民ですら手に入るという。


 勝手に見て歩けぬが、よく見ると見知らぬものが多い。案内役の者は鉄道と言うていたな。鉄の棒の上に載せた台車の箱にて鉄の素を運んでおるのが見える。


「織田学校とは……」


 驚きは学校という学び舎にもあった。身分や年齢に問わず、領内の者ならば学べるのだという。誰ぞが形を変えた人質だと言うていたが、目の前の子らを見ておるとそれは違うとわしにでも分かる。


 多くの子が並び、一糸乱れぬ様子で剣の型を披露しておるのには驚きを通り越して見入ってしもうたわ。


 領内の者に文字の読み書きを推奨しておるとは聞いておったが、ここではあらゆる技や知恵を惜しみなく教えておる。秘するべき技や知恵を何故教えるのだ? ここでは秘するものではないということなのか。


 分からぬことばかりではあるが、分かることもある。この子らは織田のために命を惜しまず励むであろう。忠義を持てと言うは容易いが、行うは難しきこと。


「ああ……」


 学校で学んだ者の絵があった。絵のような生きるのに必ずしも必要とせぬ、贅沢なことまで教えておるのか。


 他国では戦や飢饉で生きるか死ぬかという暮らしをしておる者も多いというに。何故、この国はこれほどのことが出来るのだ?


 大殿はまことに仏の化身であるのか?


「皆で学び、皆で考える。さすれば国は豊かになり、今日より明日は良うなる」


 夢かと思いながら歩いておると、ひとりの僧が多くの者に学校のことを教え説いていた。


「戦がある。では何故戦となるのか。そこから考えるも良かろう。戦とならぬ道はないのかと考えるのもよい。己の身近なところから改めて考えてみられよ。失態は恥ではない。大切なのは何故失態を演じたのかを考え、同じ失態を繰り返さぬように努めることじゃ。失態から学ばぬことこそ恥なのじゃ」


 誰かと思えば沢彦宗恩和尚だという。織田では名を聞かぬことはない高僧だ。


 学問とはいかなるものかと問うた者に答えたらしい。


 分からぬことも多いが、ひとつはっきりしておることもある。この国を敵に回してはならんということだ。わしにはもう敵に回すような領地もないがな。




Side:久遠一馬


「まさかここで会うとは……」


 緊張した様子の京極さんと、なにがあったのかと訝しげな三木さんと別れると、菊丸さんが苦笑いを浮かべた。京極さんが騒いだら少し面倒なことになっていたけど、すべて飲み込んでくれた。さすがに幕臣として義藤さんの下で働いていた人だね。


「大丈夫だよ。ただ、日を改めて一緒に茶でも飲んでやるといいよ」


 こういうときのジュリアのアドバイスはなかなか凄いなと思う。互いに含むものもあるだろうけど、それが一番だろう。放置して困ることもないのだろうけど、京極家だしね。あの様子だと余計なことは言わないだろう。


 さて、気を取り直して校舎内を見ていくと、授業をしている教室もあった。といっても生徒がいるわけではなくて、見学者に授業の様子を教えているんだ。


 学校とは実際どういうところで、なにをしているのか。知らない人も多いからだろう。


「そろそろ外にて面白いものをやるぞ」


 菊丸さんに案内されて、未だかつてないほど混雑する校舎内から出ると、子供たちがお揃いの稽古着を着て準備をしていた。


「やあ!」


 なんかハラハラするな。失敗して落ち込まないだろうかとか心配になる。子供たちは太鼓の合図で一糸乱れぬ動きをしながら竹刀を振り下ろすと、周囲にいた多くの見物人から歓声があがる。


 剣術の基礎といえる型を集団演武のようにしたのか。凄いな。いったい誰が考えたんだろう。


「子らの鍛練を見た師が思いついてな。教えておったのだ」


 答えは菊丸さんが教えてくれた。塚原さんかぁ。集団演武のように見えた鍛練は団体行動の訓練でもあるのだろう。軍隊行進のように集団で同じ行動をするなんて、この時代だとまったく訓練もしないから出来ないんだよね。学校ではアーシャが教えていたはずだ。


 しかし団体行動を集団演武のようにするなんて。子供たちがオレを驚かせたいと隠していたのはこれだったのか。


 さすがは史実の剣聖様か。剣術に芸術性まで持たせているよ。やはり武芸自体が重んじられる時代だから、見物している人たちも保護者の皆さんも喜んでいるね。


 塚原さんには太平の世になったあとの武芸の未来が見えているのかもしれないね。


「いかがでございましたか!」


 最後にはきちんとみんなで一礼をして演武が終わった。子供たちはそれまでの真剣な表情が緩み、それぞれに両親や親しい人たちのところに駆けている。オレたちのところにも孤児院の子供たちが来てくれた。


「凄かったよ」


「ああ、初めて見たぞ。よう励んだな」


 オレと信長さんもエルもジュリアもみんな驚いている。正直、ここまで学校が変わるなんて思わなかった。


 ここは生きるか死ぬかの戦国時代なんだ。それなのに……。


「皆で幾度も幾度も練習したのだ。なあ?」


「はい!」


 指導した菊丸さんも嬉しそうだ。誰かに武芸を教えたり、子供たちに稽古を付けるのがこれほど楽しいとはと以前聞いたことがあるけどさ。まさかここまでするとはね。


 今の菊丸さんは将軍様としての顔ではなく武芸者であり教師の顔をしている。子供たちに慕われる。御所の奥に閉じ籠った将軍様では絶対に経験できないことだろう。


「久遠殿の本領に負けておれぬと皆、知恵を絞っておるからの」


「塚原様!!」


 少し呆けていたのかもしれない。いつの間にか満足げな塚原さんが傍にいて、そんなオレを見て満足げな笑みを浮かべていた。子供たちが嬉しそうに駆け寄ると、塚原さんはそれに応えるように一人ひとりに話しかけている。


 塚原さんのおかげで、オレたちはどれだけ助けられているんだろう。


 世の中には凄い人がまだまだいる。オレたちは、そんな人たちにきっかけを与えるのが役目なのかもしれない。


 史実にはないきっかけが、新たな歴史を紡ぐ。それがオレの望む未来になるか分からないけど、少なくともみんなで力を合わせて作り上げた未来なら、きっと受け入れてのんびりと生きていける気がするんだよね。




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