第1150話・文化祭の再会
Side:久遠一馬
面白いなって思う。文化祭、その言葉の響きは懐かしいものだ。かつてオレも学生時代には経験したことだからだろうか。
だけど、目の前の光景はオレの知る文化祭じゃない。でも、そんな光景を眺めているジュリアが微笑むように笑った。
「楽しそうだねぇ」
確かに楽しそうだ。入口では刀や脇差を預かり、木札を渡す手荷物預かり所は警備兵の大人が担当している。普段の学校では武器の持ち込みを禁じているんだけど、今日も同じように武器を持ち込まないようにとみんなで考えてくれたんだろうな。
この時代の人はなにかを教えると、それを理解して更に考えて一歩も二歩も進めてくれる。そういうところにやりがいがあるなって思う。
神霊や祖先を祀ることが由来である祭りそのものが神聖な時代だからこそ、みんなで祭りをやるとなると思った以上に真剣に頑張ってくれる。
まずは校舎内から見ていこう。
「これを幼子らが書いたとは……。おおっ、これが竹千代様の書か!」
複数ある教室、それぞれ授業の成果を見せる形となっており案内役の人がいる。案内役の人は説明もしてくれるようだ。最初の教室には、わら半紙に書かれた書が掲示されてあった。元の世界の書道と同じものみたいだね。それぞれに個性があるけど、その前でひとりの壮年の武士が驚いている。
壮年の武士は三河訛りがあり竹千代君の書を熱心に見ているので、恐らく松平家ゆかりの三河武士なのだろう。
文字の読み書きは、それなりの身分になると覚えるものなんだけど、身分を問わずこうして大勢の子供たちに教えることは前例がないことのようだ。ちなみに職人らしき人の書も結構ある。恋文が遊女さんたちの間で人気だとかで、文字を覚える人が激増したのはいい思い出だ。
職人さんたちは頑固な一面もあるけど、そのぶん何事にも一途というか研究熱心だし、チャレンジ精神も旺盛なんだよね。
「これは若殿と内匠助殿、皆、驚いておりますな」
違う教室に行くと、斎藤義龍さんと松平広忠さんが奥さんを連れてきていた。このふたりは清洲城でもよく会うので顔なじみだ。彼らが見ていたのは鉛筆を使った絵だった。
雪村さんが教えるようになってから、この時代の技法も取り入れているから水墨画にも通じる作品がある。
ふたりと奥さんたちは初めてではないはずだ。年末の大掃除とかに来ていた記憶があるし、何度か視察にも来ている。
「恥ずかしながら、三河では未だに人質の名目を変えただけだと言うておる者がおりまする。此度で理解してくれるといいのでございますが」
「美濃も同じだな。見たことがない者はそう考えておる者が多い」
二人が見ていたのは竹千代君の絵だ。結構、上手いじゃないか。前に見た時より上達している。広忠さんと義龍さんはそんな絵を見ながら、学校のことをしみじみと話していたようだ。
織田家も評定衆クラスになると、教育が必要だと理解している。新しい統治法を理解するに従って、おのずと必要なものを理解してくれたんだ。ただ、国人や土豪クラスになると、実質的な人質と見ている者も多い。
でもそう見えるのも仕方ない。ものの見方なんてそう簡単に変わるものじゃないからね。
最近だと勉強も兼ねて孤児院出身の奉公人を清洲城に連れていって、書状や報告書を清書するアルバイトをさせているんだけど、若いながらもきちんと楷書体で書いているので文官たちに驚かれて話題にもなったんだよね。
実はこの清書というのがまた意外と大変なんだよね。お坊さんとかなら出来る人は多いけど、きちんとした文章を書いたことのない人が大多数なので、誤字や当て字に加えて中途半端な楷書体で書く人も多いからね。
「今回の文化祭で知ってくれるといいんですけどね」
人を従える側も大変だなとふたりを見ているとそう思う。だけどね、我が子の作品を見つけて喜ぶ人たちの姿を見ていると、みんなの認識が変わるのも案外早いんじゃないかと思えるんだ。
「あっ、兄上! かずま殿! ここでは学校で出している昼の食事を食べられますよ」
ふたりと分かれて人一倍混雑している教室を覗くと、そこではお市ちゃんが案内役として説明していた。
給食を振舞うのか。なんか授業参観っぽいね。
メニューは雑穀と玄米を混ぜたご飯と魚のつみれ汁。それと山菜の炒め物だ。これアーシャが始めたんだけど、費用だけじゃなく栄養も考えて毎日工夫してくれているんだ。
前の世界で明治時代に義務教育が始まった時でもそうだったけど、貧しい時代や地域では子供も大切な働き手だから、給食があるから子供を学校に通わせてる人が多いんだよね。それは尾張でも例に漏れず、清洲辺りの農村から通う子もいると聞いたことがある。
「美味しそうだね。でも混んでいるからまた後にしようかな」
一緒に食べたいのは山々だけど、こちらは人気のようで結構並んでいる。先にあちこち見て回りたいから後でまた来てみよう。
「はい! 皆、励んでおりますのでご覧になってくださいませ」
お市ちゃん、成長が早いなぁ。ウチの屋敷で走り回っていたのがつい最近だと思ったのに。
展示物は意外に多いなと思った。職人が教えた木工作品や機織り物まであるじゃないか。
「これは凄いの」
「これほどの書物があるとは……」
顔見知りには声を掛けながら見ていると、尾張に来て日が浅い京極さんと三木さんがいた。
「京極殿、学校は初めてと思いますが、いかがですか?」
ふたりは図書室で蔵書を見て驚いている。ここは年齢層が高いな。年配者とかお坊さんとかが多い。
「これほどの書物をよう集められましたな」
「ウチで集めたものもありますが、あちこちから写本を譲り受けたものもありますよ。東は関東の北条家、西は伊勢の北畠家や神宮、それに大内家から譲り受けたものもあります」
京極さんはなんというか、いかにもこの時代の名門出身らしい人といった感じだな。あまり腹の内は明かさず自分から弱味も見せたがらない。オレに対しては可もなく不可もなく。相当警戒と気遣いをしているのがオレにも分かる。
ただ名門出身だけあって、ここにある書物の価値を理解しているんだろう。戦乱の世だけに軽視されがちだけど、織田領内では一番の蔵書だ。オレが書物を集めていることを聞きつけた人が、写本でもいいならと贈ってくれることが結構あるんだよね。
寺社とかには特に貴重な書物から個人の日記まで面白い書物があるからね。ウチでも簡単に手に入らない贈り物として書物を選ぶ人が多いみたいだ。
「失敗ですら恥じるのではなく、学んで次に活かせと教えておられるとか。もう少し早う会えておればと思うてしまいまするな」
ポーカーフェイスだった京極さんが初めて畏怖や後悔、そんな感情が混じった表情を微かに見せた。
「まだ老け込むには早いのではないですか? 尾張では隠居した方でも多くの者が励んでおりますよ」
なんかすっかり老け込んだようだと、先日会った菊丸さんが言っていた。直接会ってはいないようだけど、噂を聞いてそんな感想を漏らしていたんだ。
だけどこの人、数え五十だけど史実だとこの後に子供を作り、八十歳近くまで長生きしたんだよね。働く気があるなら文官としてでも働いてほしいとも思う。
趣味に生きるならそれでもいい。でもね。死を待つだけの人生なんて寂しいし、第一もったいないと思うんだ。
「尾張介殿と内匠助殿ではないか。いかがだ? 凄かろう」
「……まさか……」
信長さんは無言だ。特に京極さんに含むところがあるわけじゃないようだけど、オレよりはいいイメージがなく警戒もしているらしい。
そこに聞き慣れた声がした。京極さんの背後のほうから声を掛けてくれたのは、まさかの菊丸さんだった。
その声に反射的に振り返った京極さんは信じられないものを見たかのように固まっている。
ひとりなら他人の空似で済むだろう。だけど与一郎さんも一緒だからなぁ。菊丸さんは学校で時々武芸を教えているのもあるし、今回は準備から手伝っていたから、ここに居て当然なんだけどね。
「……まことに恐ろしい御仁ですな。貴殿は」
ようやくすべての事情を飲み込んだらしい京極さんはオレを見てそう口にした。
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