第1136話・混迷する無量寿院
Side:とある牢人
「おい、いつまでこのようなことをせねばならんのだ?」
「嫌なら旅に出るか? 腹いっぱい飯が食えるだけましだろう」
武芸大会とやらで名を売って仕官をするべく遥々やってきたが、結果は散々であった。大会に出る前に負けてしもうては斯波様や織田様の目に留まるはずもない。
いつからか共に旅をしておる連れの男が愚痴を零すが、尾張ならば命じられたことをしておれば食わせてもらえるのだ。
オレは畿内のとある国で生まれた。家はそれなりの土豪であったが、子が多い家だったのでオレの居場所などなかった。毎日田畑を耕しても嫁すらおらぬ暮らしに嫌気が差して旅に出た。兄たちはオレが出ていって口減らしができたと喜んでいるだろう。
己の力で武功を挙げて仕官し、ひとかどの武将になる。幼き頃からそんな夢を抱いて剣の腕を磨いてきたが、牢人など多少の武功を挙げたところで僅かばかりの褒美を貰うて終わりだ。
「柳生とて新参者だという。せめて予選で勝てておればな……」
連れの男は愚痴を続けるが、柳生とは力量は比べようもないのだ。オレや連れの男とて武芸は疎かにしておらぬが、予選ですら勝てぬのがオレとこやつの実力と言えよう。
「そこ! 無駄口を叩くとはいい度胸だ。己らはあと走り込み百本だ!」
ちっ、こやつのせいで鍛練を増やされてしもうたではないか。警備兵とやらならば召し抱えられて食い扶持が得られるというので願い出たのだが、朝から晩まで鍛練と学問をやらされる。まるで雑兵と変わらぬ扱いではないか。
実家の領地では力自慢だった武芸も、世に出ると全く通じぬ相手がゴロゴロしておる。尾張に至っては農民出の警備兵にすら勝てるか怪しいほどだ。これが井の中の蛙という奴か。
このようなことやっておれるかと怒って出ていった者もおるが、出ていけば今日の飯すら食えるか分からぬ日々だからな。少なくともここでは腹いっぱい飯が食えるだけでましであろう。
できることなら柳生や愛洲のように強くなりたかった。塚原卜伝のように弟子を多く連れて諸国を旅して歩く男になりたかった。
オレに武芸者は無理なのであろうな。警備兵から名を上げていくしかあるまい。詮無きことだ。
Side:飛鳥井雅教
「飛鳥井卿! 斯波と織田を説き伏せてくださりませぬのか!!」
またか。吾の言うたことを聞く耳すら持たず、織田を説き伏せよと己らの言い分を曲げぬとはの。やはり勅願寺ということで驕っておるとしか思えぬ。
このような者らが幾人も来るのだ。吾が織田の言い分を認めたことが承服できぬとみえる。
仏に仕える者じゃと? 己らはいずこの家の出の食い詰め者であろうに。いやしくも正三位参議である吾が無量寿院のために動くのを当然だと思うておるようじゃ。随分と軽んじられたものじゃな。
「やれやれ、勅願寺というのに、この寺の僧は公卿に対する作法も知らぬのかの」
「下がりなさい」
話をする気にもならぬわ。ため息をこぼすと弟が下がれと言うが、それでも下がらず、しばし吾を睨んでおったが、ようやく下がったか。
「兄上、申し訳ございませぬ」
「のう、尭慧。寺を捨てぬか?」
いずこで聞き耳を立てておるか分らぬゆえ小声で囁くと、弟は驚き返事に窮しておるわ。
「されど……」
「還俗するのは嫌か? それでも仏の道を歩みたいのならば吾が寺を探してやる」
最早、吾の手に負える状況ではないな。己の言い分を曲げぬ者らと、妥協してもよいという者らが入り混じって各々が勝手なことをしておる。弟もまとめようと動いておるが、先々代の住持の跡目争いから続く対立や、各々の利を巡る争いなどもある。
これ以上こ奴らと共におれば吾が主上にお叱りを受けるわ。
そもそも織田が今までにない国の治め方をしておるのは主上もご存知のこと。民を飢えさせず争わせぬ国にしようと、腐心しておるのじゃとご存じでおられる。
無量寿院など主上や大樹の命にも従わぬ者らではないか。いずれの者も神仏に仕える者であるからと大目に見てきたが、この辺りで痛い目を見たほうがよいのではないかの。
無論、無量寿院の皆が愚か者とは言わぬ。されどまとめられぬままでは飛鳥井家のためにも弟のためにもならぬ。
肉を食らい酒を飲み女を抱く。ここの教えでは禁じておらぬようじゃが、いずれを拝みたいかと問われると、吾でも仏の弾正忠を拝んだほうがよいのではと思わずにおれぬ。
「吾に任せよ。武衛も内匠頭も話の分かる者ぞ」
弟は最後まで無言であるが、異を唱えることもせぬ。無量寿院と縁が切れるのは少し惜しい気もするが、致し方あるまい。
織田を怒らせると主上へ献上品が止まりかねぬ。主上にお叱りを受けたうえに関白様を始め皆に恨まれてしまうではないか。あれのお陰で暮らしておる者は多いのじゃぞ。
あとはいかにして寺を出るかだな。尾張との繋ぎに文を出した。それが届いておれば良いのじゃが。
Side:織田信秀
「坊主も所詮は人の子か」
一馬のところに飛鳥井卿から文が届いた。それを読んだ守護様は、またかと言いたげな様子で呆れたようにこちらに文を寄越された。
「思っていた以上に深刻ですね。恐らく文は守護様と大殿のところにも出したはずです」
文を読みながら考えておるとエルが少しため息をこぼした。恐らく坊主どもが握りつぶしておるのであろう。一馬への文は、無量寿院に出入りする商人が飛鳥井卿の御機嫌伺いにと酒を贈った際に受け取ったものであるとか。
「その商人、無量寿院にウチの荷を横流ししている人なんですよね。信じるのは危ういですが、こういう時には使える商人かと思います」
ようあることだ。一馬は好まぬが、利を与えてこちらが本気だと知れば容易く裏切るまい。
「助けねばならぬか。まったく公家という者らは面倒ばかり持ち込むの」
守護様はいささかご機嫌が良うない。持ちつ持たれつ。それはご理解しておられるようだが、やはり御自身が苦しい時に誰からも手を差し伸べられなんだことが根底にあると見える。
「面倒ですが、そう悪いことばかりではありませんよ。今後、寺社と対峙した際にこの経験は活かせます」
「甘い顔をすれば家中が納得するまい?」
「どうせ無量寿院はすぐに荒れますよ。伊勢で斯波と織田に逆らっては生きていけません。それに太平の世を迎える前に、身勝手な寺社と坊主は片付けねばなりませんので」
一馬の怖いところだな。神仏と寺社をまったく別のものと思うておる。心から仏に仕え、民の暮らしを支えておる坊主には手を差し伸べておるが、そうでない者には関わろうとせぬ。
俗物の高野聖が久遠家に寄進を求めて押し掛け、脅迫まがいの説法をした際に始末したことは家中でも知る者はおるまい。
「確かに仏の名を騙る者をなくさねば世は再び乱れような。長き道のりになるの」
本願寺と違い穏健と思われておった無量寿院でさえ、このような有様だ。
己を律し神仏に仕えるはずの者が、俗世の身分と寺社の権威で民を虐げ、贅沢三昧の暮らしをしておるなど許されるはずもあるまい。
この際、無量寿院の中で互いに争うように仕向けるべきやもしれぬの。飛鳥井卿と尭慧と数名を助ければ良かろう。
一馬の言う通り、真の敵はこの先におるのだからな。
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