第1067話・久遠諸島滞在中・その十三
Side:元孤児
思い出すのはおっとうに捨てられた日のことだ。
具合が悪いと言ったら、『お前に食わせる飯はねえ。もう帰ってくるな』そう言われて清洲の町外れに捨てられた。
寒い冬の日だったな。そこには同じように捨てられた子や爺様や婆様がいた。皆、具合が悪いようで、近くにいた見知らぬ爺様がすぐにお迎えが来るからと言ってくれたことが今でも忘れられない。
このまま死ぬんだと爺様や婆様の顔を見て思ったが、助けてくれたのは織田の若殿と殿様だった。おいらたちに飯を食わせてくれて薬も下さった。
あれからおいらも大きくなり、昨年からは御家のために働いていて禄ももらえるようになった。
捨てられた親には去年の夏に一度だけ会ったことがある。『誰のおかげでそこまで大きくなったと思っているんだ』。そう言うと、禄を寄越せ、兄に役目を渡せと言われた。
『この子たちは私の子です。以後二度とそのような戯言を言えば厳しき罰を与えることになります。お引き取りください』御袋様が押し掛けてきた親にそう言うと、おっとうは逃げるように帰っていった。
おいらは働いた。御家のために御袋様のために。必死で。学問も学びなさいと教えられたので、夜には月明かりでこっそり学問の書物を読んでいたこともある。もっとも御袋様に見つかって以降は、夜に月明かりで書物を読むことは禁じられたけど。
本領で学んで帰ることはおいらのためだけじゃない。御袋様とまだ働けていない孤児のみんなのためでもあるんだ。みんなが食えるようにおいらが学んで伝えなきゃいけない。
「おい、信三。親方がいいってよ!」
「藤吉郎殿! ありがとうございます」
共にきた孤児のみんなと分担して学ぶことにした。おいらは職人の技を学びたいと願い出ていたんだけど、職人衆にはあまりいい顔をされなかった。見習いでもないのに何事だと。ただ職人衆の見習いの藤吉郎殿が、殿様の直臣である鍛冶屋清兵衛様に頼んでくださったんだ。
「いいってことよ。しっかり学べよ」
無論、おいらが職人の技を数日で会得出来るとはおもっちゃいねえ。でもさ、いろんなことを己の目で見て学んで、帰ったら幼い子らに伝えなきゃならねえんだ。
あと数日で出来ることをしよう。恩を返すにはそれしかない。みんなおいらの帰りを待っているんだ。
Side:斎藤義龍
父上が悔しがっておったのもわかるな。一度、久遠殿の本領を見てみたいと前々から言うておったくらいだ。
「町を見ると、いかに進んでいるかわかるな」
久遠家の兵力や武具がいかなるものか興味があったが、来てみるとそれよりも日ノ本との違いに驚かされる。
道はまっすぐ整い、鉄道馬車という誰でも乗れるものが走っておる。町には南蛮漆喰や煉瓦、それと硝子が珍しくないほどあちらこちらにと使われておることが、久遠家の目指す先を示しておるように思える。
珍しき高価なものを売りさばき利を得るだけではない。いずれは民でも買えるものにするべく動いておるのだ。
日ノ本の武士ではとても考え及ばぬことだろう。民を豊かにすることで国を大きく強くするなど。
民は従えて当然であるが、同時に恐れるのも武士なのだと父上が言うていた。北伊勢のように一揆にて武士が滅ぶことも決して他人事ではない。そういうことなのであろう。
民を豊かにして良いのかという懸念は今の織田ですらある。余計な力を付けさせると従わなくなるのではとの懸念だ。
わし自身もそこを如何するのかと思うておったが、ここ久遠家の本領ではそのような懸念など無縁のようだ。無論、このまま日ノ本で通じるかはわからぬが、少なくとも久遠家は武士とはまったく別の治め方が出来るのだと見せてくれた。
別の治め方があるならば、日ノ本に合う治め方を探すことも良いだろう。織田家がしておるのはそれの試行錯誤だからな。
数日は好きに見て歩いていいというので、わしは町や湊に来ると民の様子を見ていることが多い。本領の民の働きぶりに、如何なるものを食うておるのかなど見るべきものは多いのだ。
父上ですら、かつての己の治め方は悪手だったと今では言うておるほど。愚か者を愚か者と断じるしかない者こそ愚か者なのだと、言うていたことを思い出す。
来年には父上も来られようか。数年して元服すれば喜太郎も来られよう。その頃にはいかに変わっておるのであろうな。
我らも負けておれん。斎藤家ここにありと示すくらいには変えてゆかねばならん。
Side:水軍衆の者
ここに来るのは、もう四度目か。未だに陸の見えぬ海は怖いが、慣れたところもある。
「うめえ」
「ああ、うめえな」
久遠諸島父島。そう言われている島は食いものが美味い。日ノ本じゃ滅多に食えねえ鯨とか食えるし、魚も豊富で味付けも多彩だ。
船の傷みの確認と補修、船内の掃除に積み荷の荷卸し。やるべきことは多い。もっともおらたちも昨日と今日はお休みをもらったんで、湊の者たちを手伝って一緒に酒を飲んでいる。
ここには遥か彼方から珍しいものが運ばれてくるんだと。中にはよくわからんものも多いようで、それが現地でいかに使われているかということから、いろいろと試して使いみちを探すんだそうな。
「この酒、美味いな」
「ああ、島の果実を漬けた酒だ。梅酒があるだろ? あれと同じだ。梅の代わりにここじゃ果樹園で採れる実を漬けるんだ」
湊の者たちがとっておきだと出してくれた酒が美味い。甘さもあり中に入っておる実の味だろうか。初めての味に驚くほどだ。さすがにいいのかと問うてみると、梅酒と同様のものだと言われてさらに驚く。
尾張でも高値でなかなか飲めぬ代物だ。おらたち水軍は正月に織田様から頂いて飲んだことがあるが。
「これも売るのか?」
「さあ? それは領主様がお決めになることだ。これも元は果実をいかに保存するかと考えたことらしいからな。ここじゃ、祝いの日に飲んだりする」
久遠諸島へ来るのは大変だが、それでもまた来たいと思えるだけのものがここには溢れておる。
酒は特に尾張でさえない酒がいろいろとここにはあるらしい。原料や仕込みかたで味がまったく変わるんだとか。
「尾張の海苔とか豆味噌も美味いよな。領主様が尾張に行かれてから、よく入ってくるようになった。握り飯とみそ汁はご馳走だ」
面白いのはご馳走が違うことか。ここだと鯨はご馳走ではなく、握り飯やみそ汁がご馳走なんだとか。海苔や味噌も以前から手に入ったらしいが、尾張から運ぶようになって値が下がったと喜んでいるんだとか。
おらたちの運んだもので喜んでくれる。それがなんとも嬉しいことだ。
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