第1059話・久遠諸島滞在中・その八

Side:松平広忠


「武芸もなかなかでございますな」


 久遠家の本領に来て三日目。朝から若い者らが鍛練する姿を見た久遠殿が、それに加わったのだ。意外と言っては失礼になろうか。武芸も出来ることに吉良殿や我が家臣である本多平八郎が驚きの顔をしておる。


「ああ、実際に強いぞ。美濃で愚か者を一太刀で斬り捨てたことがある」


 尾張でもあまり鍛練に加わる御仁ではないと聞くが、意外なことに斎藤新九郎殿が久遠殿の実力を知っておった。


 久遠殿を武芸も出来ぬと侮り、挑発した愚か者を斬り捨てたのだとか。そういえば、商人上がりと蔑んでおった愚か者は当家にもいたな。謀叛を起こした時に討たれたが。


 それなりの家臣を抱える身になると、将が先陣を切ることはまずやらぬ。若く功を焦る者や自ら武功を求める者は稀にやるが、万が一があれば御家の一大事だからな。とはいえ武士である以上、家臣らを従えるには武芸も必要なことと言えよう。


 今でこそ織田一族として確かな身分であるが、元の生まれは氏素性も怪しき者という陰口はあろう。さらに商いなどする商人上がりと軽んじる者も。


 ところがだ。武芸に優れるとなるとそんな久遠殿の欠点がなくなる。武士としての本分である武芸もおろそかにしておらんとなると、よほどの愚か者以外は認めよう。


 されど、気になるのは……。


「立身出世など興味のない男だからな。己の力を知らしめようなどと思うておらんのだ」


 何故、久遠殿は己の力を皆に示さぬのか。そう思うておると、いつの間にかおられた大殿が口を開かれた。


「されど力を示せば、久遠殿の考えにもっと賛同する者がおるのではありませぬか?」


「力で従えるのを好まぬのよ。力で従えた者は力で裏切る。一馬に問えば、恐らくはそのような答えが返ってくるであろう」


 ついつい疑問を大殿に問うてしまったが、大殿はそんなわしを面白げに見てお教えくださった。


 ああ、かつて虎と恐れられた大殿が仏となった理由もそこか。ようやくわかった。


「力では太平の世は訪れぬということでございますか」


「さてな。力で太平の世もつくれる者がおればそれも出来よう。あとは各々の信念と生き方次第であろうな」


 わしは謀叛を起こされた際に久遠殿の奥方に命を救われた。見捨てて竹千代を旗頭にして松平を制しても誰も文句を言えぬであろうに。


 久遠殿にいつか問うてみたいものだ。何故、わしを助けたのかと。


 久遠殿のやることには深い理由がある。わしを助けたことにいったいいかなる理由があるのであろうか。




Side:柳生宗厳


「少し鈍っておりますな」


「十日以上、船で動いてなかったからね」


 あまり人前での鍛練を好まぬ殿が、珍しく皆と一緒の鍛練に加わったことに周囲がざわめくと、思わず笑い出しそうになった。


 武芸など出来ぬと言いたげな態度で日頃からおられることもある。奥方らのほうが強く情けない男だと思われ、強さが足りぬと陰口もある。もっともそれなりの者は決して弱くはないと知っておることだがな。


 殿の鍛練のお相手は時々務めることがある。日頃はジュリア様やセレス様が務めるが、同じ相手ばかりではよくないことと、男の鍛練の相手も必要だ。


 殿は決して弱くはない上に、鍛練をもっと積めばさらに強くなると思うのだが、御忙しい立場だ。自ら武功を欲することもない。


 それとあまり武芸が出来ると知られるのを好まぬこともあるな。


「いや、新介殿は強いね。塚原殿のように諸国を歩けば、世に名が知れる剣豪になるだろうね。ウチとしては物凄く困るけど」


「いずれ、そのようなことをしても面白いかもしれませぬな」


 剣で世に名を売る。かつては夢であったな。己の腕前ひとつで如何程まで世に通じるか試してみたかったのだ。困ると言いつつ、そんなことを語られる殿についつい昔を思い出してしまう。


 旅をするのも面白かろう。この乱世を終わらせたらな。おそらく殿もその頃には旅に出ると言いだすはずだ。


 太平の世が訪れても決して武芸は不要とならぬし、日ノ本の外との戦に備える必要がある。いかに鉄砲や金色砲に変わっても、人が人である以上は武芸がなくなることはなかろう。


 わしは今年、殿の勧めで妻を娶ることにした。


 殿は仕官した時の約束である、『いずれ大和に帰る』ということを気にされていて縁組をわしには勧めてこなかったが、八郎殿からそろそろ身を固めてはと勧められたのだ。大和から妻を娶りたいのならば相手を探すとも言うてくださった。


 父上とは以前から文で話しておることであるし、殿にも申したのだが、わしは正式に尾張柳生家として残すことになった。妻も尾張からにしろと父上から言われた。細かく口を出す気はないようだが、尾張で生きていく以上は尾張から妻をもらうことになる。


 実際、柳生家は大和よりも尾張のほうが実入りも禄も多い。当然のことだがな。


 その前に、久遠家の本領を見に来られて良かった。


 殿やお方様がいかなる世を見ておるのか、わしにもおぼろげながら見えてきたのだからな。




Side:久遠一馬


 朝から体を動かすとすっきりするね。今日は家臣や織田家の皆さんと一緒に少し朝の鍛練に参加した。


 しばらく体を動かしてなかったからさ。たまに体を動かす鍛練というか訓練はオレも必要になる。


 その後は朝食を食べると視察だ。今日は畑と果樹園を視察する予定で、島の内陸部に移動する。


 途中までは鉄道馬車がある。人数も結構多いから移動でも大変だ。鉄道馬車を何台か使って往復させながらの移動になる。


「ほう、広い畑ですな」


 驚きの声を上げたのは一益さんだ。尾張との違いは、土地をすべてウチで管理して使っていることにしているので、土地の争いがないことか。


 まだら模様の田畑が当然の日ノ本と違い、この島の畑や果樹園は一定区域をそのまま使っているので見た目として広く無駄がない。


 元の世界の感覚で言えば、企業が農業をしているようなものか。収穫物はウチで一旦買い上げて流通させる。共産主義みたいにはしたくはないので、働きに応じて収入は変わる仕組みだ。


 この形が必ずしもベストではないが、狭い島で効率よく発展させるには現時点ではベターだろう。


「土地を与えるほどないからね。みんなで助け合って暮らしているんだよ」


 到着した畑は芋畑だ。尾張だとまだ目新しく、販売をしていないので高級品扱いになる。島では日常でよく食べる食材のひとつで、かつてはこれをメインの主食にしていたという設定も確かあったはず。


 畑で元気なのは孤児院出身の若い子たちだ。彼らはウチの農業にも慣れ親しんでいるので、学べることはないかと熱心に農業をしている人たちに話しかけて交流をしている。


 連作障害や作物ごとの特性など、いろいろ聞いて中にはメモしている子もいる。紙と筆は貴重だが、孤児院では結構使うからね。


 織田家の皆さんとしては、一面に広がる畑に見入っている。必ずしもこんな畑がいいわけではないが、まあこういう場所もあると知ることは悪いことではない。


 本土だと尾張ではないが、三河の本證寺の跡地だと同じく整った広い畑があるね。水利の事情で田んぼよりは綿花畑が多いけど。


「日ノ本だと代々土地を己がものとして暮らしてきました。違いますなぁ」


 望月太郎左衛門さんは日ノ本との違いと、日ノ本で同じことを出来るかと考えているらしいが、難しいだろうと少し険しい顔をした。


 現時点では北伊勢が、織田ですべての田畑を管理して賦役として米や作物を作っているが、これは暫定的なものになるだろう。


 将来的にどのような仕組みになるかは未だ試行錯誤の段階だ。共産主義も困るが、あまり貧富の差が激しい社会も困る。


 農業を個人ではなく法人のようにやらせることも含めて検討をしている段階だ。


 みんなで考えて悩む必要がある。日ノ本が落ち着くまで時間はあるのでそれまでは試行錯誤が続くだろうけどね。


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