第1050話・久遠諸島への帰省・その五
Side:久遠一馬
一日の滞在を経て船は久遠諸島へと出発した。
課題もいろいろとあったが、いい報告もあった。ケティからは医療体制について意見があって、それは今後の課題だ。尾張から派遣するか本領から派遣するか。また常駐か定期的な往診かも含めて検討がいる。
物資の輸送は順調だ。伊豆の下田から手に入る物資は購入している。米などの食料を始めとして、木材も丸太のまま購入して久遠船で曳航したものを使っている。距離の関係でそのほうが安上がりになるし、北条にも利が回るだろう。
あとメルティの提案で、駿河の富士家から木材の購入が出来ないかと検討することになった。富士家は元の世界にもある富士山本宮浅間大社、この時代では浅間神社と呼ばれているところの大宮司にあたる家だ。
現時点で駿河に謀をする気はないが、駿河でも大きな力を持つ富士家に伝手を持つというのは悪いことではない。幸いにして今川との商いは盛況なので、こちらが買うことに今川も文句は言えないだろう。
まあメルティが駿河を気にしているのは、史実に鑑みると太原雪斎の寿命が尽きるのが遠くないからだろう。信秀さんたちを見てもわかるが、史実の寿命が必ずしもそのまま当てはまるわけではない。
とはいえ史実の寿命から大きく狂うほどの要素が今のところ今川にはない。
武田との戦いも織田との関係も、あの人がいればこそ成り立っているものだ。太原雪斎が倒れると今川はどうなるかわからない。
船は伊豆諸島沿いに南下する。水を補給出来る三宅島などには立ち寄り、水の補給を受ける予定だ。
十隻あった船団だが、五隻の久遠船は神津島に残り、そのまま伊豆の下田に荷を届けて、神津島と下田の間で物資の輸送をして、こちらの帰還に合わせて下田から荷を積んで尾張に戻ることになる。
「ふむ、なるほど」
「興味深いな」
旅の途中は乗客の様子をこまめに見て歩くことにしているが、甲板に出ると佐々兄弟が船乗りと一緒に操船の手伝いをしていた。
このふたり、意外と言っては失礼だが貪欲だ。じっとしていても暇だから手伝いたいと言ってきたので、船乗りの指示に従うことを条件に許可しておいた。マストに上って見張りをしたいとか言われても困るからさ。
どうも操船に興味を持ってどうなっているか知りたかったらしいね。
ちなみに佐々兄弟は尾張でも有数の金回りがいいふたりだ。教えたことはすぐに吸収するし、あれよあれよと出世している。まさか水軍に鞍替えするとは思わないが、こういう姿を見ると出世した理由がよくわかる。
「本当に魚などおるのか?」
「さて、おるかもしれませぬし、おらぬかもしれませぬな」
船首に若い連中がいるのでなにをしているのかと思ったら、慶次が銛をもって魚を狙っていた。
鮪とか大きな魚や鯨なら群れに出くわせば取れると思うが、暇なんだろうね。
「ああ、吉良殿。大丈夫ですか?」
船内でも見に行こうと思ったら、吉良義安さんと出くわした。相変わらず顔色がよくないが、今日はまだいいほうか。
船が苦手なので神津島に残り帰りまで滞在することもケティから密かに提案してみたが、本人の決意は固く行かせてほしいと言ったので同行している。
「久遠殿は船に強いな。当然といえば当然かもしれぬが」
この人、いろいろと背負い過ぎているなと思う。東西に分かれて長いこと争った末に、家が存続の危機にまでなってなんとか生きている現状に思うところがあるんだろう。
先祖代々続いた家を残すことこそ最優先であり、潰すなんて恥どころの騒ぎではない時代だ。個人の誇りや名誉よりも重いものになる。
Side:吉良義安
二度と船には乗りたくない。あのまま神津島で腹を切ってしまえばよいかと悩んだほどだ。
されどそれでは吉良家が潰えてしまうやもしれぬ。あの弟では織田家の下で生き残れまい。
薬師の方には船が苦手なのは恥ではない。表向き薬師の方が残るように命じるので、帰りまで神津島に残ってはどうかと内々に言われた時には、それに従うべきかと随分と悩んだ。
とはいえそんなことをしては、名門吉良家の汚名をそそぐ機会が失われてしまう。これは戦と同じなのだ。死してもなさねばならぬこと。
武士が戦に出るのが怖いなどと口にしようものなら、臆病者と
まして船が恐い。乗ると具合が悪くなるなど名門吉良家当主として言えぬ。
「ウチでも船が苦手な者はいますよ。人により合う者と合わぬ者がおります。幸い私は大丈夫ですけどね。でも嵐や星の見えぬ夜は怖い時があります」
久遠殿とは事前にいろいろと話をした。織田家でも忙しい御仁ゆえに、よく話したのはこの件があってからになる。
事前に船にも乗せてもらい、具合が悪くならないかなど聞かれ説明を受けた。気分が悪くなったのに隠しておったことを詫びねばなるまいな。
「勝手ばかりして済みませぬ。されど吉良家として、是が非でもこの旅には同行したかった」
「頭をお上げください。気持ちはわかりますよ」
吹けば飛ぶような吉良家と久遠家は違う。日ノ本の武士であって日ノ本の武士でない。己の力で日ノ本の外に領地を持つのだ。そんな己の立場を知らぬはずはないというのに、この御仁は気遣いをしてくれる。
氏素性が定かでない者。言い換えれば権威も血筋にも頼らぬ力を持つということ。何故わしは理解出来なかったのであろうな。
「薬はきちんと飲んで、気分が悪くなった時には我慢せずにケティに伝えてください。苦労して旅をした甲斐があると思えるものをお見せいたしますよ」
「かたじけない」
こうして顔を見て話すとわかる。この御仁が何故、皆に好かれ、その力を懸念されぬのか。
「日ノ本は海に囲まれております。その海をいかに生きるか。武士ならば知っておいて損はありません。敵は日ノ本の中だけではないのですから」
今川家の太原雪斎和尚が大殿や久遠殿と会い、今川家の行く末を案じておると噂を聞いた。その今川家との商いはこの御仁次第とも言われる。いつでも潰せる。そう笑う織田の者もおるとか。
それなのにこの御仁は今川家ではなく、日ノ本の外を見ておる。
「久遠殿、今川家は如何なりましょうか」
ふと久遠殿が今川をいかにみておるのか聞いてみたくなった。分家とはいえすでに思い入れもないが、長年の争いをいかに見ておるのか。どうしても知りたかった。
「今川ですか? 現状ではこのまま動かぬでしょう。太原和尚は無益な戦をする御方ではないですし。ただね。あそこは和尚の代わりがいるのかどうか」
「織田は戦では勝てると?」
「ええ、勝てますよ。その支度は常にしています」
大殿と久遠殿がおる限り、織田は安泰か。さすがに少し今川が可哀想に思えてくるわ。
「争わず因縁を終わらせる道があるといいんですけどね」
だが、次のこの言葉こそ久遠殿なのだと実感した。勝てる戦も望まぬ。やはり恐ろしい御仁だ。
わしは学ばねばならん。吉良家を絶やさぬためにな。
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