第999話・観桜会と関討伐

Side:久遠一馬


 桜の花が咲いている。満開まであと少しというところか。


 暦は三月に入った。今日から三日間は恒例の桜祭りだ。


 祭りの運営はすでに織田家で行なっている。無論、ウチもその一員として働いているが、主導までしなくても出来るようになった。


 伊勢ではそろそろ北畠が出陣している頃だ。長野は和睦を願いつつ、戦を避けることが出来なかった。難しいものだなと改めて思う。


 ただ、長野も平和主義なわけではない。自分たちが勝てないから戦をしたくないだけだ。逆に長野が勝てる時は戦を望むだろう。それがこの時代の武士だ。


 そうそう、関。あそこがまた面倒なことをしてくれた。頭に血が上っていたようで関家の家老が春を侮辱。始末が難しいので清洲に送られてくるそうだ。早馬で知らせが届いたので信秀さんに報告したが、牢に入れておくことになった。


 オレも信秀さんも会って言い訳を聞いてやる義理はないし、そこまで暇じゃない。許すのは難しいだろう。春個人を馬鹿にしただけならオレが判断してもいいが、織田一族として侮辱されたとなるとオレは手が出せない。


「賑やかでございますな」


 清洲一、見事な桜が咲いている寺がメイン会場だ。オレもエルと大武丸と希美を連れてきてみたが、凄い賑わいだ。変わりつつあるなと思うのは武士の奥方のような身分ある女性も多いことか。


 午後からは義統さん主催の花見の宴もある。それに出席するために集まったんだろうが、尾張では日頃から武士の奥方も屋敷から出る姿を割と見かけるようになった。


 清洲や那古野、それと蟹江・津島・熱田に限定すれば、治安はこの時代としてはいい。身分ある女性でも少数の護衛で町を歩ける。


「さあさあ、描いてほしい者はおらんかね」


 ふと声に釣られて視線を向けるとひとりの絵師が似顔絵描きをしていた。尾張だとあれはもともと慶次が始めたんだよね。意外に評判がよくて真似ている人が増えた。


 絵師に絵を描いてもらうためには、一般的に庶民では払えぬほどの礼金がいる。紙も墨も安くはないし、技術料もまた高い。


 ただし、尾張では名を売る一環として、修行名目で簡素な似顔絵を描いてやることが定着しつつある。秋の武芸大会の芸術部門。そこで取り入れた人気投票。あれが原因になる。


 領民に人気のある絵を描いたとなると仕事が増えるんだそうだ。メルティと慶次は絵師が本業ではないので絵の制作は基本織田家以外から受けていないし。


「ふふふ、屋台も増えましたね」


 桜の花を見上げていたエルが、嬉しそうに屋台に視線を移した。


「本当だ」


 尾張では露店はあったが、元の世界のお祭りのような屋台はなかった。それが今では屋台が増えた。史実の江戸時代の二八蕎麦の屋台のようなものから、幾つかに分けて数人で持てる屋台までいろいろある。


 ウチの奥さんたちがアイデアを教えたものもあれば、この時代の職人が考えたものもある。


 ああ、職人も増えた。この時代では諸国を旅しながら仕事をする流れの職人もいる。常時仕事がないような地方や田舎を回り仕事をするんだ。そんな職人が尾張に来て定着することも多いと聞いた。そのあおりで流れの職人が途絶えて不自由する所が、織田領内にあれば、ウチの忍び衆の行商部隊に頼んで、替えの物の販売や修理依頼の繋ぎを行なっている。生命線の維持も大事だよ。


 あと職人といえば飛騨から派遣してもらった木工職人。まあ噂以上に優秀だと職人頭の清兵衛さんが感心していた。ただ彼ら飛騨の職人は帰ってもそこまで仕事もなく、またあっても暮らしていくのが精いっぱいなんだとか。


 若い職人を中心に予定していた帰国を見合わせて残った者もいる。一応姉小路家には根回しした。それと帰った者も尾張で出来た伝手で仕事を持ち帰った者もいる。あっちは木材の産地だからね。製品を作るなら飛騨でもいい。


 それに西国の大内領からきた職人たちも負けてはいない。尾張大内塗りとして塗り物が一気に人気が出て品薄となっているが、それ以外にも様々な工芸品を作っている。西国の京と称えられ、大陸や公家文化を取り入れた大内家の技術の高さには驚かされるほどだ。


 そんな職人の影響が桜祭りの至るところに見える。


 みんな楽しい桜祭りにしてほしい。それが明日の活力になるのだから。




Side:春


「へぇ。何処と戦をする気かしらね」


 関の家老。余計なことをしてくれたわ。あそこまで侮辱されると許せないじゃないの。しかも神戸による関の乗っ取りなんて想像力が豊かなこと。


 そんな関が兵の動員をしていると潜入している忍び衆から知らせが届いた。もともと北畠の長野攻めに参戦するつもりだったようで支度はしていたようだけど、北畠から放逐されてもそのまま動員した。


「当然こちらと戦のつもりでしょうな。家老が戻らぬ以上、和睦はないのは関にもわかること」


 領境を固めて経済封鎖して、北畠の長野攻めが終わるまで放置したかったのに。


「ここで弱腰な態度を示すと交渉にもならぬと考えますからな」


 北畠と長野の戦が終わる前に動きたかったか。そちらが落ち着くと織田と北畠の双方から攻められることも考慮したんでしょうね。最悪、長野も敵になる。


 清洲からは攻めるようにとの命令が届いた。賊の件に悪気がないのは理解するけど、けしかけていたという疑念は消えていない。そこに家老の暴挙。甘い顔をすると今後のためにならない。


 私は世の中の流れすら見ない愚か者に侮辱されようとも気にしないけど、大殿も許すとは言えない。自身の立場や権威のためではない。私が侮辱されたことを許しては織田と久遠の関係にヒビが入る懸念がある。


 織田も久遠も多くの家臣を抱えている。私たちと大殿の意思疎通が出来ていても、体裁として許してはいけないことになる。


「援軍がほしいなら寄越すとあるわ。でも将は来ないのよね。誰か将となって攻めてみる? 女の私よりはいいと思うけど」


 まあ、関を攻めるのはいい。問題はまた私に任されたこと。当然といえば当然なんだけど。侮辱されたのも前線に出ているのも私なわけだし。とはいえ女の地位が必ずしも高くない時代。諸将には配慮がいる。


「神戸殿、いかがかしら?」


 佐々殿はその気がないらしい。ちらりと見ると苦笑いをされた。土地鑑がなく相手も必死に守るでしょう。そこまで簡単でもないのよね。警備兵の将として私の考えを理解していることもあるんでしょうけど。


「行けと命じられるのならば某がいきましょう。されどここは春様が将となり我らが働くべきかと愚考いたしまする」


「そうですな。我らに異存はございませぬ」


 神戸殿も元北畠方の家臣たちも誰も志願しないか。ここで声を上げるくらいの意気込みがあると出世しそうなんだけど。私の面目が潰されたことが、ここでも大きく作用している。


「わかりました。皆様のご配慮、感謝いたします。神戸殿、関家に顔の知られている僧を呼んでちょうだい。降伏を勧告します」


「はっ、ただちに」


 もうさっさと関を降してしまったほうがいいわね。まごまごしているとここにいるみんなの評価が下がるだけ。


 少なくとも北畠が乗り出すより先に降す必要があるわね。


「では引き続き軍議に入ります。地理に明るい者は率先して意見をちょうだい。褒美は私からも出します。期待していいわよ」


 こちらも土地鑑がないわけではない。長野領と関領の詳細は事前に目を通してある。とはいえみんなに活躍の機会と参加する場を与える必要がある。


 田植え前に終わらせるわ。




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