第969話・北畠親子
Side:久遠一馬
広橋さんは京の都に帰っていった。
図書寮の件に関しては、広橋さんが公家や寺社に声をかけて手筈を整えてくれることになった。写本する公家衆を集めて、原本がある公家や寺社との交渉までしてくれるそうだ。
「上手く実利を持ち帰ったか。これだから公家は怖いわ」
今日は評定の日だ。勅使の帰還に合わせて一連の報告をしたが、義統さんは怖い怖いと笑いながら感心したような呆れたような顔をしている。
良く取れば親切だと言える。悪く取れば自分の利権として持ち帰ったとも言える。とはいえ写本の原本も公家や寺社が持っているものだ。親交がある石山本願寺なら別だが、あとは一から交渉が必要になる。手間と言えば手間だ。手間賃を払ってやってくれるなら任せたほうがいい。
「紙、墨、筆など必要なものはこちらで用意することにしました。こちらからも送りますが、畿内で買い求める分も必要でしょう」
それと紙とかの必要な道具や消耗品だが、基本的にこちらで用意する。広橋さんはどうやらそれも任せてほしかったようだが、あまりあの人ばかりに利権を一手に与えるのも危うい。
商いはこちらが本業だということで、オレに任せてもらうことにした。無論、都の商人など畿内からも広く買い求める。こういう大事業は爪弾きにすると恨みを買うからね。ただし公家に任せるとコスト管理とか出来ないだろうし。
尾張産と畿内の道具や消耗品。どう違い、どの程度の価格差があるのか。調べて交渉が必要だからね。
広橋さんは一応納得してくれたが、こちらも利益が欲しいんだろうと思ったと思う。オレもそれでいいと思うしね。一方的に奉仕するだけなんて気味が悪いと思われる時代だ。
こちらで尾張産の品を基準に参考価格を設定して、一部入札でも導入出来ればコストは抑えられる。
この件はこちらから商いに精通した人を派遣して、京の都の武衛陣の家臣にも働いてもらう必要がある。すでに湊屋さんに人選をするように頼んだ。大湊を巻き込んでもいいと言ったので送る人材はなんとかなるだろう。
「久遠殿、すべてこちらから送ったほうが利になるのではないか?」
「それをすると恐らく方々から恨みを買います。今のところ金色酒などでこちらが優位ですが、あまり敵に回すとあとで面倒になりますので。戦で切り取った領地と同じですよ。地元のことで声を掛けないと不満に思うのは。まして向こうは畿内と都の商人ですし」
以前から評定に参加する重臣クラスだとオレの狙いを理解してくれていたが、勝家さんはなぜそんな面倒なことをするのかと言いたげな表情で疑問を口にした。献上品とかすべて送っているからね。それにウチがこの手の商いで利益を得ているのも当然知っているのだろう。
「やはり、ただ槍で武功を挙げておればいいというわけではないということか」
まあ氏家さんも理解してなかったっぽいね。驚いているよ。ひとつひとつ学んでいけばすぐに慣れるだろうけど。
続けて北畠家とのことも報告された。こちらはオレからではなく政秀さんからだけど。こちらは重臣を含めて戸惑っているというか、どうなっているんだという声がある。
海の守りを織田が担うのはいい。これは誓紙を交わせば事実上の同盟に近いものがある。驚きは手間をかけて助けた北伊勢の国人衆を、こちらに臣従させたいと内々に言ってきたことか。
隣接する領地における暮らしの格差とか、そこから考える先のこととか知っているようで理解しきれていないのかもしれない。評定衆クラスが治めていた領地になるとそこまで領民が逃げたという話もないしね。
具教さんは織田に倣い改革する気だからな。臣従は天下統一が見えないとないかもしれないが、世の中が変わるとは思ってくれていると思う。菊丸さんのことまだ秘密にしているんだけどなぁ。
まあこの件に関してはまだ交渉の段階なので、あくまでも経過報告の段階だが。
とはいえ今年も新年早々にいろいろと動いたね。どうなることやら。
Side:北畠具教
「父上は異を唱えるかと思うておりました」
家督を継いで、わしが当主となり謀叛のひとつも起きるかと思うたが、父上のおかげで平穏なままだ。面白うない者もおったようだが、父上が抑えてくれた。
「異を唱えていかがする? 勝てもせぬ、まして敬意を払うてくれる相手に噛みつくのか? 己は強くて面白うないからと。まあ、そなたの決断は少し
面白うない。それはよう申される。本音であろうな。とはいえ変わり続ける織田をこのまま座して見ておれば差は開く一方。それはご理解いただいておるか。
「それにな。六角の動きを見ておると公方様は織田寄りとも思える。朝廷も言わずと知れたこと。北伊勢のことは気になるが、中伊勢の長野がおる限りあそこは難しき土地となる。水軍のことは悪うない。いずれにせよ久遠の船に海では勝てん。仮に勝てたとしてあれが運んでくる荷がなくなれば大損だ」
そう、公方様のこともある。足利家は守護や管領が力を持つのを嫌がるというのに、織田には随分と寛大になっておる。献上品を贈っておるとは聞くが、それだけではあるまい。
わしも知らぬが、武衛殿か内匠頭殿が公方様とも上手くやっておるとみえる。
「父上……」
「わしとてこれまで必死に
「畏まりました」
尾張に行かれて父上も変わられた。諦めがついたといえばお叱りを受けるであろうか?
幾度も尾張に行っておるわしとて、未だにわからぬことが多くある。一馬に問えば教えてくれるがな。一馬とて問わぬことは教えてくれぬのだ。父上にはいかに見えておるのであろうか?
「これも美味い。たかが漬物だというのにな。久遠の恐ろしきは知恵だ。もとは尾張のそこらに生えておったものだというのに、久遠にかかれば金のなる木となる」
父上は大根のたくあん漬けがお気に召されたらしい。一馬に文で教えたらたくあんの漬物が多く届いた。さらに来年の冬にはこちらでも植えてみてはいかがとまで書かれた
それも父上のお心が変わられた理由かもしれぬ。
「……花火もまた見てみたいものよ」
「夏には招かれるでしょう。是非父上には尾張に行っていただければ……」
争わず共に生きる。一馬が目指す先にあるひとつの道だ。信じるというのは難しきこと。されど共に花火を見たいとこうして思うだけで違うのだ。
父上が斯波と織田と誼を深めていただければ、北畠家はもっと上手くいく。
無論、父上もご理解されてのことであるが。
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