第893話・晩秋の文
Side:竹中重光
驚いたことに島流しになった兄上から文が届いた。
斯波家と織田家の面目を潰そうとし、内々に収めてくださった久遠殿を軽んじた愚かな兄。南方の久遠殿が治める島で学んだ後に戻ることを許すという話であったが、年明けまでには戻れると文には書かれてある。
実際は二度と戻れぬものとばかり思うておったが……、さすがは仏の弾正忠様というところか?
「喜んでよいのか悲しんでよいのか、難しきところよ」
皮肉なことだが、兄上がおらぬ竹中家は平穏そのものとなった。所領を失い俸禄となり、家督は兄上の子である重虎が継ぐこととしたが、まだ幼い身。某が養育しつつ竹中の家を守っておる。
与えられた役目は警備兵という領内の不逞の輩を取り締まる役目。是が非でも竹中の家は潰せぬと役目に励んでおると、警備奉行である氷雨の方様に認められて小隊頭というお役目となった。
竹中家とは別に禄までいただき、それも随分と増えた。まさか出世が出来るなど夢にも思わなかったな。
兄の子である重虎は、学校という学び舎に住み込みで行っておる。今年で九つになる子だが、書物が好きなようで竹中家にはなかった書物を読ませていただけると喜んでおる。愚か者の子だと辛い思いをせぬかと案じておったが、そのようなこともなく会うたびに立派になっておる。
重虎は喜ぶであろうな。父に会えると教えると。されど……。
兄上は戦が得意であった。さほど大きな所領でないにもかかわらず、戦になればそこらの国人や土豪ならば負けぬという気概もあった。家中ではそんな兄に皆が従った。
そんな兄が凡庸な男だと気付いたのはいつ頃であっただろうか。頼まれてもおらぬのに久遠殿に元守護様へ頭を下げろとわざわざ言いに行った頃かもしれぬ。何故そのようなことをしたのだと問うたら『目下の者が譲るのが筋であろう。誰も動かぬ故にわしが動いたのだ』という答えが返ってきた。
とはいえ本心は気に入らなかったのであろう。従えとも味方しろとも声をかけぬ内匠頭様がな。面倒なことに西美濃で大きな力を持たれておられた安藤殿と昵懇で、あのお方も織田があまりお好きではなかったからな。
織田と争っても安藤殿と組めば一戦交えることは出来る。その後はそれから考えればよいとしか考えぬ兄に、わしは何度も久遠殿に改めて謝罪して織田に臣従するようにと言うたが聞く耳を持たなかった。
後で聞いた話では本人も考えておらなかったわけではないとのことだが、そのうちに領内に来る商人がものの売り値を高くしたことを久遠殿の報復だと考えたらしい。織田もまた竹中家の狭い所領を囲むように外に通じる道に関所を置いた。
『守護様と取り持ってやろうとしたというのに、逆恨みをしてこのような扱いをする者に頭など下げられぬ』そんな愚かなことを考えておったらしい。
織田の強さと久遠殿の力は商人たちの話を聞けばわかったことだ。虫けら相手に踏みつぶさぬだけでもありがたいと何故気付かなかったのか。
本家の岩手家も案じて話をしてくれたらしいが、兄は本家もあまり好きではなかった。今思えば己にもう少し所領があればと時々呟いておったのが本音であったのだろう。
結局、織田とは戦すら出来なかった。もっとも戦などしたら一戦交えるまでもなく終わったであろうがな。三河の謀叛人どもと同じ末路を辿ったはずだ。
如何する? すでに竹中家の家督は重虎に譲ったのだ。大人しく出家でもして経でも唱えておればよいのだが、また己が主であるかの如く振舞い始めたら如何する?
警備兵の皆はわしのことも案じてくれた。織田ならば一度の過ちならば許される。そう言うて共に役目に励み汗を流しておる。わしは愚かな兄がかつてと同じように振る舞っても従えぬぞ。
安藤殿も随分と大人しくなったようだ。今更、あの兄に出来ることなどないと思うが……。
Side:久遠一馬
田んぼに干してあった稲も随分と減ったなぁ。尾張ではそろそろ冬の支度が始まっている。
「ああ、美味しいね」
きょうのお昼はキノコうどんだった。汁を飲むとキノコの出汁がよく出ていてうどんに染みている。キノコは山の村が送ってくれた天然物だ。この時期は割と出回る。今年は北美濃や東美濃のキノコも清洲で売っているくらいだ。
「温まりますね」
「おいしい」
エルとお市ちゃんたちもフーフーとしながら熱々のうどんを堪能している。昨日は牧場村でキノコ類の塩漬けと乾燥をさせる作業を手伝いに行った。こういう冬支度も慣れたなと思う。
「北伊勢は大丈夫なのですか?」
食後、熱い紅茶で和んでいると、お市ちゃんと一緒に編み物をしているエルが少し気になるようで北伊勢について聞いてきた。
「今のところはね。織田は金払いがいいから。あと六角と願証寺も動いているし」
完全休養なので情報を伝えてないが、隠しているわけでもない。またエルが望めば教えることもしている。北伊勢、というか六角の動きが少し気になるらしい。
北伊勢、一言で言えば乱立した勢力にまとまりがない。野分の被害も人の流出もそれぞれの領地によって実情が違う。ただ、さすがに放置すると面倒になると気付いている六角と願証寺が動いているけど。
六角は梅戸家を中心に細川と三雲の謀に乗らないように動き始めたし、願証寺は桑名郡を中心に口を出している。
願証寺に関してはこちらに根回しがあった。近隣が不穏なので少し落ち着かせたいようだ。露骨に北伊勢に野心を出して織田を刺激したくないようだが、影響力を落としたくもないし、荒れるのも御免だというところか。
織田が動くか見極めていたようだが、今のところ新たに動く予定がないからね。ならば自分たちが動いてもいいかということらしい。
「小競り合いはあるようですが、まとまりませぬな」
資清さんは幾つかの北伊勢の勢力を例に挙げて、小競り合いが起きていると教えているが、恒例行事だからねぇ。あの辺りも。水や入会地の利権争いに加えて今年は野分の被害で食料が高い。食うために奪う。北伊勢もそこまで貧しい土地じゃないんだけどね。
尾張が羨ましい。気に入らない。そういうところはそれなりに多いが、まとめる人がいないととりあえず近隣に奪いに行く。ちょうどよく係争地やら因縁があるからね。
もっとも東海道の治安が悪化しているので、尾張の荷は東山道に多く流れているけど。さすがに勝てると思わない相手に単身で楯突くほど愚かじゃないということか。
「うふふ、願証寺と六角は大変よ。どうするのかしら?」
メルティは僅かに微笑むと、若干、人ごとのように語った。この時代でも嘆願というか要求は上にあがる。尾張に出した人が帰らない。帰すように織田に言えと六角や願証寺を突き上げているところも結構あるらしい。
六角ならば織田にも対抗出来る。また願証寺なら織田も無視できない。そんな安易な考えの国人衆が多いらしい。
「尾張の荷に手を出せば、座して見ているわけにいかなくなりますよ」
「それはね」
エルの懸念は北伊勢が尾張の荷に手を出すことか。織田を北伊勢に巻き込むには有効な策だろう。三雲の狙いもそこか? 六角と織田を敵対させてしまえば退くに退けなくなると。
三雲もね。別に六角を裏切ろうとまではしていない。六角と織田を戦わせたいんだ。六角義賢さんや重臣の大半は織田と誼を深めようとしている。とはいえ六角内にはそれが気に入らぬ人たちも相応にいるということか。
細川は六角と三好を戦わせたいのが本音か。とはいえあそこも織田を気に入らないんだろう。六角と織田を敵対させて引っ掻き回してしまえばどうとでも出来ると安易に考えていそうで怖いな。
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