第738話・訪れた者たち

Side:朝比奈あさひな泰能やすよし


 清洲城は見たことがないような城だった。贅を凝らした造りであることは言うに及ばず、時計塔という刻を知らせるものまである。


 これを無駄と見るか、尾張の強さと見るか難しきところか。


 太原雪斎和尚がまた尾張に行くと言うた時、家中には不満と疑念が噴出した。和尚は織田と通じておるのではないかとな。以前から囁かれておったことであるが、同盟を結んでおった武田と争い、長年争っておる斯波と織田と停戦するとは穏やかではない。


 もっとも武田との戦はわしも賛同した。同盟破りの武田は弱いのだ。少なくとも金山周辺はこちらで押さえてしまうべきであろう。


 とはいえ……。


「備中守殿、いかが思われる?」


「なんとも言えませんな」


 ほかにも数人の者がわしと和尚と共に来ておるが、中には武田と再度同盟を結んで織田と戦をするべしと強固に訴えておった者もおる。御屋形様は左様な者らに己の目で尾張を見てくればよいと仰せになった。


 いざ尾張にとなると殺されると尻込みをした臆病者も多く、ここまで来たのは少数であるが。


 そんな者のひとりがわしに囁くように問うてきた。


 攻めようと思えば攻められなくもない。そう言いたいのであろう。如何いかなるわけか織田領内は道を整えしつらえておって大軍が動きやすい。それに城も白い漆喰などを使って派手ではあるが、備えは思うたほどではないと見えるからであろうな。


「武田と示し合わせて大軍で……」


「たわけ、信義などない武田など信じられるか。それにわしが武田晴信ならば、今川ではなく織田と組んで駿河を狙うわ」


 再び囁くように出来もせぬことを口にする者を睨んで黙らせる。


 家中に武田晴信の調略も及んでおるのであろうな。あのような山猿を過信して如何いかがする。あの男は互いの利が一致する間はよいが、同盟相手が不利になると途端に裏切るぞ。


 わしは斯波も織田も信じぬ。そもそも他家とはそのようなものだろう。すでに公方様は都から追われ、守護という権威が消え失せておる国もあるというのに。他家をあてにした軍略など愚かとしか言いようがない。


 そう、武田に織田と戦う利はない。むしろ織田と利が一致する近隣の今川を狙うであろう。


「北条長綱も来ておるとか。会うておきたいの」


 和尚のほうはそんな愚か者など相手にしておらん。半ば聞こえるように囁く愚か者を無視して考え込んでおる。


 和尚が誰よりも御屋形様と今川家に尽くして、その行く先を考えておることに疑いはない。ゆえにわしは和尚を支えてここまで参ったのだ。


「北条を味方に引き込めますかな?」


「それは難しかろう。あれは久遠の船を止めねば如何ともしようがない。とはいえ今川家が北条の利になる存在であれば、むやみに敵になる相手でもないからの」


 やはり和尚は世がよく見えておる。今川家の懸念は北条なのだ。あれを味方に出来れば一気に楽になる。北条とて西に敵はほしくないはずだが、今川家よりも織田の力と久遠の荷のほうが勝るのだ。


 戦の勝敗は戦ってみるまでわからん。されど多勢に無勢だ。三河を平定してここまで攻めてくるのに幾年かかると思うておるのだ。


 そう容易くいかぬ故に和尚は甲斐を攻めることにしたのだ。そのようなこともわからぬ愚か者がこれほど多いとは。今川家の行く末が案じられてならぬ。




Side:北条幻庵


 尾張と伊豆を行き来する織田の船に渡りを付けて乗り込み、久々に参ったが、尾張は驚くほど変わっておった。僅か数年で湊と町を造るとは、いったい如何いかほどの銭と人を使うたのであろうな。


 ああ、落成らくせいした清洲城の美しさに見惚れてしまった。なんと壮麗で美しき城だ。城郭の広きは我らが小田原城に及ぶまいが、見上げる姿は万民に畏怖を呼び起こすであろう。


 一度噂の武芸大会を見聞したくて参ったのだが、これほど変わるとは。やはり銭は北条家よりもあるとみるべきか。


「それはまことか?」


「はっ、織田でも驚いておる者がおるとのこと」


 清洲城に滞在して数日、面白き話がわしの耳に入った。今川家の太原雪斎と朝比奈泰能が来たとは。つい先日まで甲斐攻めをしておったはずが。


 戻ってすぐにこちらに来たということか。駿河からここまで来るとなると、相当にいたはず。そこまでせねばならぬほど追い詰められておるのか。


「なるほどのぅ。相変わらず織田は面白きことをする」


「大叔父上、なにが面白いので?」


 思わず笑みをこぼして笑い出してしまうと、連れて参った松千代丸が理解出来ぬと首を傾げておるわ。


「そうじゃのう。松千代丸、そなたは敵対しておる者を宴になど招くか?」


「ああ、そういうことでしたか」


 斯波と今川の因縁は軽くはない。しかも今川には今でも攻めるなら尾張だと考える者がおると聞き及ぶ。そんな相手を、武芸を競う場に呼ぶと考えることが面白きことよ。


 かつては守護が都におることで他国の守護とも顔を合わせたと聞くが、今では他国の身分ある者と顔を合わせることなどまずあり得ぬ。騙し騙され、殺し殺される世ゆえにな。


 わしとて最初に参った時には、この身に代えても新九郎だけは生きて帰すという覚悟を以って参ったのだ。


 もっとも織田は他国との商いで大きくなっておる。滅多なことでは手を出さぬとも思うたがな。


「恐らくは久遠家の者の策であろうな」


 武士の考えることではない。招くというだけでも武士は体裁や面目など細かいことを気にするからの。身分が下の者が上の者を招くなどまずあり得ぬ。また他国の者を招くとするとよほど信じられる者のところでなくば行かぬ。殺されてしまうからの。


 ところが久遠家の者は自ら見聞きすることを望む。


「敵である者すら招いて生かして帰す。それが織田の力と信義を諸国に示すまたとない機会になる。相変わらず恐ろしいことをする」


「そこまで考えてのことだとは……」


 このような世なのだ。騙されるほうが悪いと言えばそれまで。されど信義を重んじる者が人々に求められておるのもまた事実。


 尾張の賑わいと武芸に励む者の力量を見せることで今川を圧迫して、美濃や三河の国人衆には織田は敵でさえも生かして帰すと示すことで、さらに仏の弾正忠という名を高める。


 松千代丸やほかの者はわしの推測に唖然としておるわ。あくまでもわしの推測だ。とはいえ、恐らくはそれほど的外れなことではあるまい。


 誰の知恵であろうな。一馬殿ではあるまい。奥方の誰かということであろう。


「松千代丸、そなたはいずれ、新九郎を支えてやらねばならんのだ。よく尾張を見て学べ。策とはこうして講ずるものぞ。自らの名を高め、その力を諸国に見せる。一滴の血も流さぬが戦と同じじゃ」


 此度は前回とは違う者たちを連れて参った。おかげで顔色が悪い者もおるな。


 謀とはこうして行うのだと、わしですら教えられた気分だわ。人を騙す者が知将ともてはやされる今の世を、久遠家の者は呆れておるのやもしれぬな。


 懸念があるとすると北条家が織田を真似ておる間に、織田はさらに先に進んでおることか。


 いつの間にか検地と共に人の数や世帯の構成もしらべておると聞く。検地はわが北条家が先んじておったが、織田はそれを取り入れより進めておる。


 家臣の領地も俸禄に変えておるようで、織田家は盤石。恐ろしいの。まことに織田は天下を飲み込んでしまうのではないのか?


 わしに出来るのは、北条家が新たな世でも生き残れるようにすることくらいか。




◆◆

松千代丸。

史実の北条氏政

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