第714話・真夜中の海

Side:久遠一馬


 波が船に当たる音が聞こえる。船用のランプの下でエルは相変わらずマフラーを編んでいる。ほかの皆さんもそれぞれに自分の時間を過ごしつつ静かな夜を過ごしていた。


 今日は誰もお酒を飲んでいない。敵が来るのか来ないのかはオレたちにもわからない。とはいえ来るんじゃないかとみんな思っているらしい。


「お茶が入りました」


 微妙な緊張感の中、抹茶を入れてくれたのは元遊女のお園さんだった。忍び衆の人とさっき再会して喜びを分かち合っていたけど。


 お園さんと妹さんはすでに船で働いている。さっきまで夕食の後片付けをしていたはずだ。これは資清さんの指示だ。お客さんでいるよりは働かせたほうが本人たちも気が楽になるというので任せている。


 お園さん。軽く聞いた話だと教養あるんだよね。こうしてお茶を淹れたこともそうだけど。元は武家とかの出自か?


「そういえば、大内殿はなんで動かないかわかる?」


「以前からそういう御方だったという噂は有名でございます。七年か八年前でしょうか。土佐の一条家からご養子に迎えた御方が尼子攻めの際に亡くなって以降、変わられたと聞き及んでおります。文武に秀でて可愛がっておられたとか。それ以降は失態を演じた陶隆房を遠ざけてしまい、政も興味を持たぬようになったことで、此度の騒動に繋がったと聞き及んでおります」


 お茶を運んできてじっと次の指示を待っているようだったので、ちょっと気になることを聞いてみる。大内義隆。いまひとつわからない人なんだよね。


 大内義隆と陶隆房は衆道の関係だったのは有名だ。ただし謀叛にはいろいろと説やら背景があって、確実にこれが原因ということはわからない部分がある。


 義隆と公家が重税を強いて領内が不満だったという説もあるが、周防、長門、安芸、石見、筑前、豊前の守護となり勢力圏に治めていて、太閤検地を参考にすると百万石を軽く超えてしまう。これに勘合貿易の利益やら博多の商人との商いに密貿易、あとは明から学んだ技術での産業などを合わせると西国一と言っても過言ではないだろう。


 そんな状況で極端な重税を強いていると言えるんだろうか? 本領である周防で。


 疑問もあって聞いてみたんだが、お園さんが言及したのは尼子との戦で亡くなった大内晴持おおうちはるもちのことだった。


 確かに可愛がっていて、それが陶隆房たち武闘派を遠ざける一因だとも言われていたはず。


 もっとも大内家内の権力闘争という面も否定出来ない。隆房は守護代であるが、大内家は大名への権力集中に繋がる文治派の統治をしていたからね。


 軍事はともかく領内統治では隆房は半ば蚊帳の外だったはず。まあ史実の謀叛後の隆房のやり方を見るとそれも仕方ないと思えるほど統治がいまいちだったが。


「嫌気がさしたのやもしれぬな。この荒れた世に」


 お園さんの言葉に考え込んでいると、お茶を飲んだ義統さんが口を開いた。気持ちはわかると言いたげな様子だ。


 以前に忍び衆も報告していたが、文治派と武闘派の対立は確かに尼子攻め以降あったのは確かだろう。大内義隆がそれを半ば放置していたのは、信じていたというよりは嫌気がさしてどうでも良かった部分もあるのではないか?


 もうちょっと落ち着いている状況だったら会ってみたかった。大内家の繁栄を見ていると、きっといい話が出来るはずだったんだけどね。




「申し上げます。湊から小舟が数艘、明かりも付けずにこちらに向かっております」


 それは丑三つ時も過ぎた朝が近い頃だった。エルにもたれかかるようにウトウトしていたオレの目が覚めた。


 他の皆さんも起きていた。徹夜なんてしたことのない人たちだろうに。よく起きていられたね。


 バタバタと人が動きだす。船乗りや織田家の家臣たちが船室から出ていき、配置につく。配置や役割は事前に決めている。そんなに難しいことはしない。矢盾を配置して飛び道具で攻撃するだけだ。


「雪乃、敵か?」


「こんな夜更けに明かりも付けずに近寄っては、盗人や賊だと間違われても文句は言えません」


 船はまだ動かしていないが、錨を巻き上げる作業はゆっくりと始めていた。オレは当直として甲板で見張りをしていた雪乃に最終確認をしたのちに、信秀さんと義統さんに報告をする。


「構わぬ。やれ」


 義統さんは無言だ。ただ信秀さんは険しい武士の顔で一言決断をした。


「リーファ!」


「総員戦闘配置に就け!」


 そのままオレは船団を任せているリーファに声を掛けてみんなが動きだす。リーファの指示に船乗りのバイオロイドやロボット兵ばかりか、織田家家臣も当然のように従う姿に違和感がなくなったのが織田家の変化なんだろうな。


「報告! 前方の小舟に明かりを確認。ただし後方の小舟には明かりなし!」


 マストの上の見張りからの報告に織田家家臣の皆さんが僅かに戸惑った。明かりが付いたことで敵ではないのかとの疑念が生まれたらしい。


 もっとも小舟は複数で佐治水軍の久遠船の方に向かった舟やガレオン船の後方を回り込む舟には明かりがない。


「合図送れ!」


 リーファの指示で、こちらは船用のランプを掲げるとくるくると回して光を遮っては照らすという独自の合図をする。


「なんの合図だ?」


「ウチの関係者の間で使っている緊急の識別の合図です」


 その光景に疑問を抱いたのは弓を持って迎撃の準備をしていた義輝さんだった。彼らが忍び衆などの味方である可能性も僅かだが否定できない。従って忍び衆や影の衆の緊急識別信号を送って返信を待つんだ。


「向こうも光を回したな」


「敵です」


 正体不明の小舟はこちらの動きを真似るようにしたが、それは決められた合図ではない。義輝さんはオレの返答に真剣な面持ちになると弓を射る準備に入った。


「狙いは舵ですね」


「やっぱりそっちか」


 エルは当然ながらオレの隣で補佐してくれている。見張りから入る報告に敵の意図を正確に掴んでいる。


 後方に回り込んだ小舟が舵を破壊して船に乗りこむ気なんだろう。佐治水軍のみんなは大丈夫だろうか?


 合図で確認した結果、船は隠すことなく動き出す準備をしている。錨を巻き上げ、帆を張る。潮の流れや風向きなど考慮するべきことは多い。


「右舷一番から三番砲、空砲用意!」


 リーファの指示が次から次へと飛ぶとバタバタと動く船乗りのみんなと織田家の皆さんは、互いに邪魔にならないようにうまく動いている。


「空砲……撃て!」


 最終警告と敵を混乱させるための空砲だろう。リーファは未だ止まらぬ小舟に戦の火蓋を切る空砲を放つように命じた。


「おおっ」


「なんと凄まじい」


 危ないので近くに置いている義輝さんと藤孝さんは、静かな闇夜に突然響いた轟音と大気を震わせる空砲に驚きの声を上げた。


「所属不明船、止まりません!」


「総員戦闘用意! 矢玉はたっぷりある。外してもいい。好きなだけ撃ちな!」


 うーん。リーファの言葉だと、どっちが海賊かわからないほどだ。


 と言っても小舟って狙いにくいんだよね。波もあるしさ。オレもエルも火縄銃を使って撃つ。弓が得意な人は弓だし、弩を使っている人もいる。


 ジュリアは慶次と信長さんと並んで弓か。命中率と速射性は弓が一番だからね。


「撃て!!」


 火縄銃の音が一斉に響いた。ガレオン船の前方にいる複数の小舟は、さすがにまずいと思ったのか分散し始めるが未だに逃げる気配はない。


 逃げないことを褒めるべきか、無謀だと呆れるべきか難しいね。



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