第711話・動く近衛と動かぬ大内

Side:近衛稙家


「でっ、殿下!!」


 夜も更けた刻限。浅い眠りを覚ましたのは寺の住職であった。


「何事じゃ!!」


 まさか陶が来たかと思うと一気に目が覚める。ここに来たならば湊にも押し寄せておろう。いかに南蛮船とはいえ敵地で陸の兵を相手に戦い、ここまで助けには来られまい。


「こっこれを!!」


 黒い。いや、これは血じゃ。血に染まった文は誰ぞが握り締めておったのだろう。皺が出来ておる文を和尚は慌てて吾に差し出した。


 明かりをつけて読むと驚きの内容であった。陶隆房が火事と野盗に見せかけて山口に火を放ち、公家を殺さんと企むとは。


 それほど公家が憎いか? 何故うまく付き合い己の利としようとはせぬ。大内も織田もそうしておる。奴は大内卿のもとにおりながら、そんなこともわからぬのか?


「和尚、紙と墨を持て。それと皆を起こせ」


「はっ、ただいま」


 文の差出人は陶家の者か。良き家臣がおるではないか。夜明けと共に公家たちを連れてすぐに秋穂に行けば間に合う。早ければ今日にも三好水軍が到着しておろう。


 陶が火事と賊を装うのは好都合。少なくとも湊まで行けば助かる。ついてこぬ者は捨てゆく。二条は来ぬであろうな。


「よう聞け。陶がどうやら動くようじゃ。山口に火を放ち、公家衆を殺すと息巻いておるそうじゃ。そなたらは川舟を押さえておけ。昼前には山口を出る」


 本願寺の者も久遠家の素破も驚きはない。今日来ずとも明日か明後日か。遅かれ早かれ陶は動くであろう。


 信光寺の者に頼んで公家に吾の文を届けてもらう。本来ならば吾が説得に行きたいが、もうそのような刻はない。




「これは殿下。いかがなさいましたか?」


 文を出させたあと吾は大内卿の館へと出向いた。火急の用件と言うたら大内卿とすぐに会えたが、この男はまだ事態を知らぬらしい。


「吾は今日戻るでな。挨拶に参った」


「そうでございましたか。なにもお構い出来ずに申し訳ありません」


「大内卿。主上を重んじておるそなた故に忠告致そう。もう少し足元を顧みたほうがよい」


 悪い男ではあるまい。朝一で前触れもなく参っても嫌な顔ひとつせずに惜しんでくれる。それ故に言っておこう。


「謀叛のことですかな? それならご心配無用」


「これを見てもそう思えるか?」


 謀叛の噂は知っておるか。陶には家中はまとめられんとでも思うたか? 吾は血に染まり黒くなった文を大内卿に見せた。


「吾はそなたを知らぬ。故に言うておこう。人を軽んじると足を掬われるぞ。世の流れも国の治め方も知らぬ武辺者などいくらでもおる。無知な者からすれば、そのような者ほどわかりやすく信を得ることもある」


 これほどの町を治める男だ。愚かではあるまい。とはいえ吾ができるのはここまでじゃ。


 じっと血に染まった文を見ておる大内卿に別れの挨拶をすると、返事を待たずして大内卿の館をあとにする。


「近衛公!」


「三条公か。その様子だと吾と戻る気になったか?」


「無論である。良しなに頼む」


 信光寺に戻ると一番早く参ったのはさきの左大臣の三条公であったか。供の者もすべて連れてきたようじゃな。ほぼ着の身着のままであるが。


 それから続々と集まってきた。密勅なのだ。当然ではあるが。


「荷物はいかがすればよい?」


「置いてゆかれよ。大内卿が無事に謀叛を治めたならばまた来ればよい」


 続々と集まる公家たちもほぼ荷物がないな。そんな刻がなかったというところであろう。


「殿下、少しよろしいでしょうか?」


 そろそろ刻限だというのに、二条だけは来ぬ。そのことに苛立ちを感じておると久遠家の素破が戻って参った。


「いかがした?」


「怪しげな連中が少数でございますが外におります。連中は物見かなにか。そろそろ出たほうが良いかと。日が暮れると僧兵の皆様でも守り切れぬやもしれませぬ」


「あいわかった」


 二条は駄目か。まあよい。他は皆が集まった。懸念は皆が川舟に乗れるかだ。供の者を合わせると百名以上おる。


「殿下、父は参りませぬ」


 信光寺の住職に礼を言い、公家衆を連れて川舟乗り場に乗るべく急ぐと、二条の倅が姿を見せた。太閤はやはり来ぬか。義理を重んじたか、貧しき暮らしが嫌なのか。どちらにしても勝手にすればよい。


 女子供から川舟に乗せる。昼間に襲われるとは思わぬが、なにを考えてもおかしゅうない相手じゃ。


 大内卿は結局、動かなかったな。それとも動けぬのか、吾にはわからぬが。


 惜しいのう。これほどの町を焼こうとは。


 皆を舟に乗せて最後に吾が乗る。ここまではなんとかなったな。このまま秋穂にいければよいのだが。




Side:久遠一馬


 ついさっき、三好水軍が到着した。公家の帰京ということもあり、荷物も多いだろうということと、村上水軍を筆頭に敵に回ってもおかしくないということでそれなりの規模だ。


 ただそんな三好水軍より一歩早くやってきたのは、忍び衆をサポートする影の衆の男だった。


 陶隆房、謀叛。史実より数日早いが、今夜か明日には山口にて賊に見せかけて公家を殺害して、そのまま事態の鎮静のために軍をあげて大内義隆を討つ気のようだ。


「そこまで危ういとは……」


 三好水軍の将は安宅冬康あたぎふゆやす。三好長慶の弟だ。公家が相手ということと時間がないということで、オレたちが石山に着いた日には取る物も取り敢えず出発してきたらしい。


 急遽三好水軍とも話し合うことにしたら向こうからやってきた。斯波家が格上だからだろうね。そんな冬康さんも戸惑っている。戦までは想定していないんだろう。


 現在、先の影の衆の人を近衛さんのところに派遣した。近衛さんと公家たちがいつ来るのかでこちらの動きも変わる。


 オーバーテクノロジーでの情報収集では稙家さんは今日中に秋穂に戻るべく動いているが、果たしてどうなることやら。


「村上水軍がどう出るかもありますな……」


 冬康さんは村上水軍の動きが気になるらしい。どうも陶の謀叛を黙認している感じだ。こちらを敵に回して本格的に味方まではしないと思うが、大人しく見ているかはわからない。


 ここで襲われると三好水軍としては四国を迂回して帰るしかなくなるのかもしれない。問題は三好水軍が謀叛人と思われていることだろう。義輝さんと和睦をしたが、それすら知らない勢力がまだまだ近隣には多いはずだ。この時代の情報伝達は基本的に人の噂などで遅い。


「帰りもそうだが、湊まで来られるのか? 殿下ひとりならばなんとでもなろうが……」


 一方、信秀さんはそれ以前の段階で心配していた。公家を殺すために町を焼く。それほど憎み暴挙に走る陶がもし公家が逃げるのを許さなかったら、秋穂の前の街道や川で待ち伏せするだろう。


 賊だという主張が通るわけもないが、陶は力でそれを通そうとするだろう。


 無論悲観しなくてもいい要素もある。陶がよほど愚かでなければ稙家さんには手を出さないはずだ。義輝さんの伯父の稙家さんを殺せば幕府も敵に回す。


 ただなぁ賊だと言わせて襲わせると、稙家さん以外は殺してしまうこともありえる。


「殿、少しお耳を……」


 悩んでいると資清さんが耳打ちをしてきた。陶隆房の城が騒がしくなっているらしい。どうも一部の家臣が隆房を諫めようと腹を切ったようで騒ぎになっているんだとか。


「一馬、いかがした?」


「陶隆房の城で混乱があったようです。どうも誰かが腹を切ったと騒ぎになっているようで……」


 三好水軍もいるので報告すべきか悩んだが、信秀さんの目を見て報告すべきだと決めた。情報の出し惜しみをしている場合ではないと暗に語っている。


「諫めたとみるべきか?」


「おそらくは……」


 義統さんは神妙な面持ちで切腹の真意を問うてきた。身分がある人にとっては、家臣が切腹して混乱と聞くとそう感じるんだろう。


 そういえば史実でも陶隆房の家臣が諫めて腹を切ったなんて逸話があったはず。誰だったかまでは覚えていないけど。ある意味、陶家の謀叛反対派が消えたことになる。


 これは止まらないな。




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