第693話・和睦と官位

Side:三好長慶


 和睦交渉は近衛殿下が直々に行うと知らせが参った。やはり此度はなにかが違う。


 殿下は公方様の伯父であり、確かに殿上人であり身分も高い。とはいえ政においてはそこまで主導しておったわけではない。管領である晴元と、保身しか考えぬような家臣たちが出しゃばり政を決めておったはず。


 弾正の調べではそのような者らはすべて朽木におるようで、未だに病であるという公方様のおる観音寺城へ参ることも許されておらぬうえに都にも戻っておらぬ。


 まさかまことに……。


「待たせたの」


 場所は殿下の屋敷だ。しばし待たされて考え込んでおったが、人の気配を感じて頭を下げて待つ。面を上げよとの近習の言葉にひと息ついて頭を上げると、そこには確かに殿下と近習だけがおる。


「いろいろと忙しゅうての。大内のこともある。長々とした前置きはよい。和睦を考えてくれるか?」


 余計な人を同席もさせなかったのは、やはりそれだけ和睦に本気だということか。


「はっ、元よりそのつもりでございまする。某の求めることは細川晴元の処遇のみでございます」


 こちらも折れる必要がある。公方様は若く血気盛んだとも聞く。妥協は必要であろう。だが、あの男だけは許せぬ。それに日ノ本のためにならぬのだ。


「そうじゃの。管領は呼び出して隠居させるか。細かいことは六角家の後藤重左衛門尉と話すがよかろう。われと共に都に参っておる」


 こちらの思惑は読まれておったか。しかも六角家の者まで既におるとは。すでに話は固まっておるとみるべきか。


「ひとつ話がある。これは一切の口外無用と心得よ。露見すると和睦すらままならぬからの」


 なにごとだ? まさか公方様の身に本当になにかあったのか……。


「そなたも知っておろうが、大樹は病じゃ。表向きはの。実は病は偽りなのじゃ。大樹がたっての願いで、しばし身分を偽って諸国を見聞して世を知りたいと申しての。すでに旅に出した」


 ……まことか? 信じられぬ。将軍が役目を放棄して旅に出たというのか?


「何故……」


「管領と合わぬのだ、大樹は。あの男は大樹ですらも己の思うままに動かそうとしたが、若い大樹にはそれが我慢ならなんだ。そんな折、大樹は世に興味を持った。将軍職も辞めたいと言うたほどだが、それは困るので吾が押し留めた。その代わりにしかるべき者と旅に出したのだ」


 ああ、そういういきさつがあったのか。すべてがまこととは思わぬが、晴元では若い公方様とは合わぬのであろうな。


 しかし世を見たいとは。道楽と受け取るべきか、嫌気がさしたと受け取るべきか。


「では当面は観音寺城で静養ということでございましょうか?」


「そのつもりじゃ。当面はそなたと管領代で万事相談して決めよ。吾も力を貸す」


「畏まりました」


 さて、この流れはまったく予期しておらぬ流れだ。誰かの謀り事かもしれぬので慎重に見定めねばならぬが、晴元が疎まれたのはおそらくまことのことであろう。


 いかな形とて和睦は必要だ。まして公方様と晴元を分断出来るならば、それだけでも受ける価値はある。


「それとな、もうひとつそなたの力を借りたい。大内の件じゃ。かの者のところにおる太閤たちが随分と危ういようでの。密勅を出して一旦呼び戻したい」


 和睦はおそらく成ると殿下も思ったのだろう。少しホッとされた。ただ、用向きはまだあったようで、そのまま次の話に移った。


 大内家か。家中が騒がしいのは知っておるが、そのようなこと何処にでもある話。何故そこまで大事だと思うのであろうか。


 殿下はそのまま仔細を話してくださった。動いたわけは織田か。確か弾正も侮れぬ相手だと申しておったな。


「三好には瀬戸内を行ける船があろう? 周防まで迎えを出してほしいのだ。使者は先に織田の南蛮船で出す。ただ織田も東が騒がしいようで、あまり長居はできぬらしいのだ」


 なるほど。水軍で周防まで太閤殿下を迎えにゆけと。いまひとつ話の真偽ははっきりせぬが、周防まで水軍を出すくらいならば構わぬか。


 偽りであってもわしの面目が潰れるわけではない。織田の影響も気になる。渡りに船とはこのことだな。


 誰かの謀り事で戦になることは警戒せねばならんが、瀬戸内ならば村上水軍達に銭を融通すれば大きな脅威にはなるまい。断れぬな。




Side:久遠一馬


 義統さんと信秀さんが新しい官位をもらった。義統さんは今の官位のひとつ上で、右兵衛督うひょうえのかみになる。信秀さんは内匠頭だ。


 斯波家は健在だと都に示したことになるのかな? まあ、今の京の都で示してもあんまりいいことなさげだけど。信秀さんの内匠頭は以前も説明したが、かつては朝廷のもの作りをまとめていたところだ。


 いろいろと好き勝手にやっているが、それに朝廷がお墨付きを与えたと言えなくもない。まあ畿内に必要以上に関わる気はないし、現状で敵に回す気もないが。


 とはいえ内匠頭としてものを作って売るという、今までやっていた尾張主導の流通が更に信用度も増して安定するだろう。なんだかんだと言っても権威は侮れないんだよね。


 内裏には他所から見ると嫌味なほどの献金と献上品を贈る。もっとも織田は以前から季節の贈り物をしているので、そのくらいしないとインパクトがないんだが。


 金色酒・金色薬酒・清酒・梅酒といったお酒を筆頭に、砂糖・蜂蜜・鮭・昆布・胡椒・唐辛子・醤油・鯛や鮑などの干物・鯨肉など食べ物が盛りだくさんだ。もちろん絹織物・綿織物・陶磁器・硝子の盃など高価な品もある。


 今後、官位が欲しい人は頑張ってほしい。


「そなたは奥方が百人以上おるというのはまことか?」


 暇なんでエルとジュリアとマドカと遊んでいたら、義輝さんと信長さんがやってきた。またイチャついていたのかと、信長さんには呆れられた視線を向けられたけど。


 暇なんだろう。このふたり武衛陣に来て以降、親しくなったらしい。そんなふたりだが、義輝さんは唐突にオレの奥さんについて訊ねてきた。


「本当ですよ」


「凄いな。主上でもそれほどおらぬぞ」


「船が戻らなかったり流行り病が起きたりと、いろいろ不幸なことが重なりましてね」


 義輝さん独身らしいしなぁ。侍女とかみんな朽木に置いてきたから人肌恋しいのか? 衆道をしているかどうか知らない。知りたくもないし。


 義輝さんからは不思議そうな目で見られてしまった。まあこの時代の人からすると、オレたちは異質な存在で珍獣みたいなものなのかもしれないしね。


 彼の今後は当初は影武者を立てるかという話になったが、最終的には義輝さんは病になったので観音寺城で静養しているということになった。義輝さんのお母さん、慶寿院さんも無事に晴元のところを出て、観音寺城に向かっているしね。


 残る幕臣と晴元は知らん。晴元は呼び出して隠居させたいらしいが、素直に応じないだろう。管領の剥奪は状況次第とのこと。ただ三好は晴元を完全に潰したいだろうし、六角も庇わないだろうとエルは見ている。


 管領代である定頼さんの寿命が迫っている。晴元を処分するなら今しかない。家柄と血縁を重んじる時代だが、晴元は少しばかりやり過ぎたというのがこの時代の人でもあるらしい。


 細川京兆家を別の誰かに継承させて存続させるのが落としどころだろうか。上手くいけばだが。多分逃げるだろうね。京の都に近いところとすれば若狭かな。


「もしかして家柄や身分がないほうが好きに出来るのか?」


「かずのところだけだ」


 ちょっと羨ましげな義輝さんは、どうすればそんなことになるんだろうと考えていたようだが、将軍では無理だとおもったのだろう。権威と身分が益々邪魔ではと思い始めたものの、信長さんに否定された。


 まあ食わせていけるだけの財力はいるよね。同じ将軍でも徳川将軍家は女性だけが数百人という大奥があるけど、義輝さんは流浪の将軍だからねぇ。


 ちなみに義輝さん。自分は一介の武芸者だから常に言葉遣いをそれらしくしろと、正体を知っている人たちに言って困らせていた。それを言うのなら義輝さん自身の言動がダメダメだから、周りが彼を菊丸君(仮)として扱えないのだけど。まあ正体を隠すのならば、それが一番なんだけどね。信長さんは割と早く順応したらしい。


 人目がないところではみんな気を使っていたのに、それも気に入らなかったらしい。難しい年頃だね。




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