第691話・動く世の中と動けぬ一馬

Side:織田信康


 清洲城の広間には主立った者が集まった。とうとう今川が甲斐に出陣したらしいと知らせが入ったのだ。


 そのまま甲斐を攻めるなら問題ない。とはいえ武田と謀り、三河に攻めてこぬとも限らん。


 兄上がおらぬ時に大敗したとあっては申し訳が立たぬ。


「今川方、おおよそ一万から一万三千。甲斐に進軍致しました。二手に分かれておりまするが、風魔の話では主力の狙いは金山と思われます。甲斐の湯之奥というところで金が採れるようで、場所も駿河から近いこともあり甲斐攻めの拠点とするにはいいようでございます」


 一馬殿がおらなくても久遠家は相変わらずか。望月殿が今川方の動きを報告したが、風魔と随分と上手くやっておるようだ。久遠家の者は甲賀者。西はいいが東はそれほど知らんはずなのだがな。


「狙われるとすれば三河か?」


「念のため気を付けるようにと使者を出しておる」


 織田も大きくなったものだな。兄上がおらずとも家中が揺れることがない。皆で三河に今川と武田が攻めてきた場合の策を話すが、臆する者も甘く見る者もおらぬ。


「戦の結果次第というところであろうな。いずれかが優勢ならばよいが、そうならねば、万が一ということはあるのかもしれんの」


 この場で少し異質なのはこの男だ。斎藤山城守利政。兄上がおらぬので清洲城で美濃統治のために働いておるが、この男がよからぬことを企めばと思わなくもない。


 もっとも兄上はそのようなこと百も承知だ。普段は何処におるかわからぬウルザ殿とヒルザ殿が留守中は清洲城に入っておる。まあウルザ殿たちは三河と美濃の押さえという意味も強いのだがな。


 兄上は山城守殿よりも美濃や三河の独立領を気にしておったのだ。


「それは困るわね~。駿河と甲斐まで攻めると治めるのが大変だもの」


 それと兄上たちがおらぬことで、普段は評定に顔を出さぬメルティ殿がおる。尾張者が斎藤山城守殿をまだ心底信じられぬ中で、メルティ殿は親しげに話しかけた。


「戦は問題ないか」


 皆が戦の心配をしておる時にメルティ殿は戦のあとを考えておる。さすがに如何なと言いたげな者もおるが、山城守殿は同意だと言わんばかりに笑い出した。


「武田と今川が組んでも織田は無理に勝つ必要なんてないわ。それに備えはしてあるもの」


「ふふふ、新参者としては手柄のひとつも欲しいのだがの」


 勝つ必要などないか。メルティ殿の言葉に皆が安堵したのがわかる。確かに無理に勝ちを急ぐ必要などないのだ。久遠家の知恵ということなのだろうな。


 しかしそれを理解しておった様子の山城守殿も、やはり並みの将ではないな。さすがに美濃を事実上治めておっただけはあるか。




Side:三好長慶


「弾正、様子はいかがだ?」


 京の都は斯波武衛家と織田弾正忠家の上洛の話題で持ち切りだった。本来ならばそこにおられぬはずの近衛公が同行なされたことも理由にあろう。


 晴元めが懲りずに丹波の三好政勝と香西元成を使って京の都に攻めてくる様子を見せておるところに、降って湧いたような和睦の密使。


 これが晴元の和睦要請ならばわしも一笑に付したが、公方様と近衛殿下の連名の書状と、管領代である六角家からの密使で少なくとも話す必要があると思い急ぎ京の都に参った。


「はっ、近衛公はすでに都に戻られて現在は武衛陣に滞在されております。いかにも大内家の様子が思った以上によくないとのこと。そちらの対策を講じておるようでございまする」


「して、晴元は?」


「おりませぬ。探らせておりまするが、いかにも上様は斯波武衛殿との謁見のために単身で観音寺城にお入りになられまして、そのまま病となり動けなくなったようでございます。然れば容体がよくないようで、慶寿院様が急いで観音寺城に移るべく六角が動いております」


 公方様はまだ若い。問題は晴元と管領代なのだ。そこに突然の病とはまことか? それとも管領代が晴元の切り捨てに動いたか? もともと六角は自ら天下を握ろうとする素振りはなかった。晴元は愚か者だが細川京兆家の権勢は決して侮れぬからな。


 とはいえわしが晴元を見限ったことで細川京兆家の権勢も底が見えた。動くならここだとしてもおかしくはないが。


「弾正、丹波勢は任せる。わしは殿下と会わねばならん」


「はっ、お任せを」


 大内家か。確か出雲の尼子家に敗れて以降、家中が騒がしいとは聞くが。近衛殿下が動くほどの危うさなのか? ただの和睦の口実ということもありうる。そのまま信じるのは危ういな。


「殿、和睦の件。お受けになるおつもりで?」


「晴元がおらぬのならばな」


 父の仇でもある晴元だけは二度と主君と仰ぐことはあり得ぬ。とはいえ引き際は常に考えておくべきだ。公方様が晴元を切るというのなら頃合いというところだろう。


 もっともあの男は臆病でしぶとい。油断出来ぬがな。




Side:久遠一馬


「せっかく京の都に来たのに出歩けないって、つまんないですね」


「確かにな」


 信秀さんと義統さんの官位受領のための参内と大内の内乱の対策と三好との和睦。いろいろ動き出したが、オレは暇だ。ついでに信長さんも暇らしいけど。


 武衛陣の一角で状況の報告を待つしかない。一緒にいる信長さんも武衛陣から出られない現状がちょっと不満らしい。


「仕方あるまいな。今の京の都で出歩くといかがなるかわからぬ。況してや丹波勢が兵を上げて京の都に攻め入る様子もあるとか。それに久遠殿が出れば、商人に囲まれますぞ」


 そんなオレと信長さんを少し困ったように見ていたのは、塚原卜伝さんだ。当初はエルたちを変装させての外出も検討したが、そんな時に限って三好政勝と香西元成が京の都に攻めてくる史実の相国寺の戦いが迫っていた。おかげで信秀さんに外出を禁止された。


 ウチが禁止とはっきり言われるのは滅多にない。基本的に好きなことをするのを許してもらえるしね。ただ、ここ京の都は信秀さんの力の及ばない場所だということもあり、尾張から来たみんなは一切の例外もなく不要の外出が禁止とされた。


 商人か。武衛陣で在京の斯波家家臣がお世話になっていた商人とは会うつもりだ。あとは放置だね。畿内のあちこちから会いたいという話はあるが、いちいち相手をしていられない。


「エルはいかがした? 飯の支度か?」


「いえ、羊羹を作っているかと。殿下に菓子の献上をと頼まれましたので」


 ここにはジュリアとマドカはいるが、エルはいない。信長さんは姿が見えないことを心配したのか訊ねてくるが、エルはそれなりにやることがある。


 主上も甘い菓子を食べることはあまりないんだそうな。なにか頼むと今朝、近衛さんに頼まれて作っている。


 大丈夫だとは思うが、日持ちがする羊羹がいいだろうということで作っているんだよ。


「しかし京の都は思うておった以上にれやかとせぬな」


 羊羹と聞き、少し機嫌が直った信長さんだが、ふとつまらなそうに呟いた。そりゃあね。町は荒れ放題で大通りにいた人々も生気がない。まあそれなりに上手くやっている人も大勢いるんだろうが。


 清洲どころか、観音寺城下や大津を見た後にここを見ると、亡国かと思ってもおかしくはない。オレたちは歴史という参考資料があるが、それがないと朝廷すら駄目だと考えてもおかしくないからね。


 信長さんの中では畿内の京の都の荒れ具合から三好の評価も下がったのかもしれない。


 オレたちには策がある。とは言ってもここで動くのは悪手なんだよなぁ。


 あーあ、清水寺とか金閣寺とか見たかったのに。



◆◆

三好家の弾正。

松永久秀。ボンバーマンのことです。

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