第687話・京の都
Side:久遠一馬
近江と山城の国境で三好家の出迎えとしてやってきたのは松永久秀さんだった。
もともと彼がこちらの出迎え役だったようだが、突然降ってわいたような和睦の話に相応に苦労したらしい。知ったこっちゃないけどね。先に京の都に入っていた信安さんの話では、長慶は和睦に乗り気でこちらの上洛に前後して入京するらしい。
「殿、やはり動きましてございます」
入京する直前の山科で最後の休息と体裁を整えるオレたちのもとに、忍び衆から懸念していた知らせが舞い込んだ。三雲家が義輝さんの動きを細川晴元に知らせようとしたらしい。
三雲家はここしばらく晴元と親交がある。素破・乱破として使い捨ての傭兵扱いをされる甲賀衆であるが、大半が厚遇している尾張に働きに来るので畿内で人手不足になっている。ところが反織田の三雲家は畿内で以前と同じように活動していたんだ。
晴元は素破を使ってやっているくらいの感覚なんだろうが、三雲家とすれば利用出来るものはなんでも利用して対抗したいんだろう。
「深追いしなくていいよ。管領代殿は多分知っているはず。引き続きなにか動きがあれば知らせるように頼んで」
この情報、三雲家側の忍びが知らせてきたようだ。妨害または密使を捕らえるか指示を仰いできたようなので、そこまではしないように至急返信する。
遅かれ早かれ晴元が動くのは織り込み済みだ。三雲家の情報を知らせてくれる貴重な情報源をこの程度で失うのは避けたい。
「戦乱の中心地に近づいているって感じだね」
「甲賀、伊賀合わせて数百人が京の都と周囲に伏せながら入っておりまする。一声かければ都から脱出して石山に駆けこむことを必ずや成してみせましょう」
資清さんがいつになく熱く語っている。血が騒ぐというわけではないのだろうが、歴史を知らないと、三好は六角ほど信頼していいか客観的に見てわからないところがあるからだろう。晴元への謀叛も理由はともあれ警戒されている原因だ。
皮肉なことに三好よりも石山本願寺のほうが信頼されている。特に指示したわけではないが、資清さんは望月さんと相談して京の都からの脱出の計画を立案して人員としての忍びの動員までしている。
むろんオレも承認したし信秀さんも承認した計画だが。
義統さんや信秀さんの表情が心なしか引き締まって見える。京の都。元の世界では第二次世界大戦でも、原爆の効果検証のサンプル候補地だったから、ほとんど焼けず歴史的な文化財も多く残る日本有数の観光地であった。
とはいえ……酷いな。
下京。かつて平安京として誕生したこの町が歴史の移り変わりと共に変化と発展をして南北に細長い町となり、内裏などがある上京と、商人など多く民衆の町である下京と分かれることになった。
下京は幾度も戦火に晒されていたというが、素直に目を背けたくなる光景だった。
治安の悪さが一目見ただけでわかるほどで、人心が荒んでいるのも明らかだ。下京には道沿いの端に座り込む生気のない人や病人らしき人に孤児らしき人もいる。
最初こちらを見た者たちが一目散に逃げだしたのは、この町が幾度も戦火に晒されて略奪をされたからだろう。ただそんな逃げる気力すらない者が先ほどからいるということだ。
あばら家のような粗末な家が多く、衛生状態も最悪かもしれない。尾張から来たみんなも多かれ少なかれ驚いているようだ。これが都と言われた町なのかと。
余計なことはしない。いや、出来ないと言っていい。ここで斯波家や織田家が民衆の支持を得てしまえば収拾がつかなくなる。
そのまま上京に入るが、上京は内裏や公家の屋敷があり下京よりはマシだった。こちらに来ると公家やその家人らしき人たちが沿道に出てこちらを見ている姿が多い。
かつて三管領の一つと称えられた斯波家が近江にいた近衛稙家さんと上洛する。話題としては十分なんだろう。しかし、こっちもよく見ると酷いね。
立派な面影を残す屋敷はいくつもあるが、塀が崩れていたり門が壊れていたりなんてあちこちにある。中には倒壊したまま放置された屋敷もある。
「あそこは立派だね」
「あそこが武衛陣でございますな」
崩壊都市京都というフレーズが頭に浮かぶ中、場違いなほど立派な屋敷がある。一瞬この時代の御所かと思ったが、案内役の信安さんが教えてくれた。あそこが武衛陣なのか。
周りと比較すると浮いてないか? もとは武衛陣もかなり傷んでいたと聞く。大和守家を倒した後に斯波家の状況を調べて発覚したんだが、信秀さんが銭を送って修繕させたんだよね。
ここまで場違いになっているとは思わなかった。しかし屋敷というより城か砦だね。堀と塀に囲まれていて防備がしっかりしている。
「遠路はるばるご無事の到着、祝着至極に存じまする」
一行は武衛陣に入ると、ホッと一息ついた。出迎えたのは留守居役の家臣だろう。真新しい着物を着ているのがわかる。感極まった様子で義統さんを見ている。
そうそう、この武衛陣にも今は忍び衆が常駐している。なんか地味に人が足りないようだったこともあり、尾張から派遣した忍び衆が奉公人として働いているんだ。
武衛陣の家臣たちは、信秀さんが援助するまでは親交のある下級の公家たちと山菜採りや魚釣りをして生きていたらしい。一応散歩とか趣味と称して体裁は整えていたらしいが、実質的に自給自足だったようだ。
ほかにも地元の町衆が援助をしてくれていたらしいけど。
「思っていたより人が多いですね」
「ああ、昵懇の公家衆の下男を一時雇いで使っておるようですな。持ちつ持たれつ。殿が援助するまで随分と助けられておったようで」
それにしても家臣とか奉公人が多い。事前に聞いていた人数と合わないんだが。気になって信安さんにちょっと聞いてみたが、臨時の人もいるのか。
ここにはウチも少なくない援助をした。斯波家の家臣が朝廷に献上したものをよく知らないというのでは恥をかくしね。付き合いもあるだろうからと朝廷への献上の際には武衛陣で自由に使えるようにとそれなりの量を届けていた。
こうしてみると、それも役に立ったようでなによりだ。
「鰻は揃えておきましてございます。されど、いかがなさるので? 下魚でございますが……」
義統さんたちは長旅の疲れもあるので休むことになったが、重たい鎧を脱いで楽になったオレはエルと共に台所に来ていた。
明日の夕食の料理をエルが作るからと事前に食材を頼んでいたんだよね。武衛陣の家臣のひとりが自ら選んで揃えてくれたようで中々いいものが揃っている。
「これを宴に出すのですよ。まあ見ていてください」
武衛陣の家臣とか奉公人も初めて見るエルの容姿に驚き戸惑っているが、オレとエルはさっそく明日の宴の支度に入る。
今回は侍女がいないのでオレが手伝う。まあ武衛陣の料理人もいるから彼らにも手伝ってもらうけど。ジュリアは料理しないし、マドカは万が一を想定して武衛陣内の点検と曲直瀬さんと共に武衛陣の家臣たちの診察を始めている。
人数が多いから一日かがりだ。というか近衛稙家さん、屋敷に帰らないのかなぁ。一休みするとか言って武衛陣に入っちゃったんだよね。
◆◆◆
天文二十年晩夏。斯波義統、織田信秀が揃って上洛した。
事の詳細は太田牛一の『天文上洛道中記』に記されているが、当時の京都の様子が克明に描かれている数少ない資料となっている。
下京や上京、そして信秀が改築させた武衛陣の様子は、滝川慶次郎秀益の挿絵として描かれており、原本は重要文化財となっている。
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