第673話・上洛への道

side:久遠一馬


 夏真っ盛りのこの日、オレたちは上洛のために出発した。ウチからはエル、ジュリア、マドカ、資清さん、太田さん、一益さん、慶次、石舟斎さん、曲直瀬さん、河尻さんと少数の護衛になる。


 今回の特徴は医師として有名なケティとパメラが留守番になった。オレたちが人選で悩んでいた頃、京の都で医師として働いていた曲直瀬さんから進言があったんだ。


 すでに諸国で有名なケティと織田の勢力圏で有名なパメラが行くと、望まぬ診療依頼がいくらでも舞い込むだろうと。無理難題を言われたり、権威にものを言わせて脅迫まがいのことをしたりと京の都や畿内での医師の身にはいろいろ大変なことがあると教えてくれたんだ。


 断るにも大変だというならば、ふたりは同行しないほうがいいということになった。代わりに同行したのが、ギャルっぽいマドカになる。彼女はまだ無名なほうだからね。


 今回は侍女もいないし、本当に必要最低限のメンバーでのお出かけになる。


「しかしあちこち寄りながらだと時間かかるね。今回の山城国、京の都行きは。片道、七日から半月か」


 馬に乗ってポックポックと進む。上洛メンバーは合計で三百人であり、近江の国境までは近隣の国人が護衛に付くほか、そこから先は六角の護衛が付く。


 当然徒歩で同行しているお供の人もいる。進むペースはそんなに速いわけじゃない。


「仕方ありませんね。関ケ原までの道もまだまだ整備を始めたばかりです。特に山は道を広げるだけでも一苦労です。幸いなのは近江も六角領まで進むと、以前の尾張ほど道が悪くないということでしょうか」


 馬に乗り隣を進むエルが、愚痴るようなオレの言葉に少し困ったように答えた。


 これでも苦労で言えばマシな部類なんだよね。西美濃は一部を除き支配地域だし、近江の六角は今回護衛に回ったから。


 それでもあんまり大変なんで、帰りは船にした。堺は絶縁しているので使えないが、石山本願寺が使えるし、三好にも話は通してある。南蛮船ならば多少寄り道しても数日で帰れる。


 懸念は義統さんが船は危険だと嫌がるかと思ったが、相談したら逆に喜んでくれた。どうやらウチの船で旅をしてみたかったらしい。


 お市ちゃんが船旅を楽しかったと吹聴しているせいで、どうも危険度があまりないと考えているようだ。一応危険だとは言ったが、複数で行くなら大丈夫だろうというのが大方の見方になる。


 ただ、おかげで朝廷への献上品は船で運べる。それで同行人数をぐっと少なくできた。船のほうには願証寺の僧を乗せて石山詣でをついでにしてもらうことにしたので、滞在中に危険に陥ることはないだろう。


 無論、石山や三好へのお土産も渡すが。




「おや、先生じゃないのさ」


 一行が大垣に着くと予期せぬ人と出会った。数十名の供を連れた塚原卜伝さんが大垣にいたんだ。


 この日は大垣にて一泊しようとしたら、領民に混じってこちらを見ていたんだよね。


「久遠殿もジュリア殿も息災なようじゃな」


 そのままこの日の宿となる大垣城に招いて、ウチのみんなを交えて久しぶりに話をするが、相変わらず暇さえあれば旅をしているらしい。


「公方様か。若い御仁らしいお方じゃがの……」


 旅先なのでご馳走で歓待とまではいかないが、夕食後にお酒を一緒に飲みながら話をすると卜伝さんの顔が少し変わった。


 足利義輝。この時代だとまだ義藤と名乗っているが。信秀さんと義統さんが彼との謁見を予定していると話した時になる。


 実は剣豪将軍との謁見は六角領内になる予定だ。観音寺城か、それ以外の近隣か。義輝が管領代である六角定頼のところを訪問するために観音寺城に出向き、その時に上洛途中の斯波家と偶然出会ったので非公式に謁見するという筋書きだ。あくまでも斯波家の上洛とは別件で義輝が観音寺城を訪れるというのが体裁となる。


 これには紆余曲折があった。義統さんも信秀さんも必ずしも義輝との謁見を望んだわけではない。とはいえ今話題の斯波と織田が揃って上洛するとなると、将軍を無視するわけにもいかない。


 実際、幕臣の中には織田を使って、三好討伐をするべきだなどと口にした者もいたらしいし、管領の細川晴元も織田を巻き込みたい様子があった。これは単に戦力として、使役しえきするだけでなく、義統さんの頭越しに信秀さんを動かして、義統さんをおとしめたかったんだろう。


 この件で骨を折って動いたのは六角定頼だ。織田が畿内の争いに手を出す余裕などないと義輝に進言して、また東が不安定になると三好どころではなくなると説得したらしい。


 ただここで問題になったのは、管領の細川晴元と六角定頼の関係が思わしくないことか。細川晴元とすれば織田や六角がどうなろうが、早く三好を討伐したいらしい。


 憶測でしかないが、史実よりも細川晴元と六角定頼の関係が悪化しているかもしれない。細川晴元とすれば調子に乗っている織田もあまり好ましくないような感じだ。斯波家の評判がいいのも面白くないらしい。


 最近までは興味すらなかったようだが、堺との絶縁で斯波家の名が久々に畿内に知れ渡ってしまったからね。


「よろしければ某も同行いたそうか? 公方様とは面識がある。お役に立てると思うが」


 しばしなんとも言えない顔をした卜伝さんは思いもよらない提案を口にした。


「確かにこちらは助かりますが、よろしいのですか?」


「これもなにかの縁でしょう。ジュリア殿は我が師であり、公方様にも剣の手ほどきをしたこの身なのでな。某もお役に立てるはずじゃ」


 さすがにちょっと驚き、エルと顔を見合わせる。エルも驚いているほどだ。地位や名誉を欲する人ではない。歴史に名を残したいわけでもないんだ。純粋に剣を極めたいという人でしかない。


「本当に助かるよ。先生」


 最終的には信秀さんと義統さんの許可がいるが、許可を待つまでもないことだ。ジュリアも助かると素直に笑みを見せた。


「公方様は世を知らぬところはあるが、無理難題を言うお方ではない。とはいえ若いこともあり、周囲の者たちが少しな。公方様ご自身も思うままにいかぬと以前零しておられた」


 卜伝さんは言葉を選びつつも懸念を口にした。そこなんだよね。問題は。虫型偵察機とかの調査でも義輝はそこまで無能でも愚かでもないようだが、周囲の者たちが厄介だということが判明している。


「遠方にもかかわらず鹿島神宮への寄進も頂いた。それに師弟とは親子のようなもの。このくらいならば造作もないことじゃよ」


 そういえば鹿島神宮には北条との交易のついでに使者を送って、寄進したんだったな。この人のおかげで北畠家との関係が好転したから、そのお礼も含めてだが。


 伊勢の安定は今の織田の生命線と言ってもいい。伊勢湾の掌握と交易の利は莫大だ。特に経済の中心が畿内からこちらに移りつつある今、北畠家との争いは困るんだよね。北伊勢には六角がいるから陸路では戦も出来ないしさ。


 義輝に意見できる人なんて織田にも斯波にもいないからな。


 義統さんは頭もキレるし有能だが、いかんせんあの人って尾張から出たことがほとんどない人だ。義輝との面識もないしさ。


 六角定頼も完全に信用して任せるには少し危険な人物だ。立場と状況から味方だが、正式に同盟しているわけでもないし、見えないところで暗躍していてもおかしくない人でもある。


「守護様と大殿も喜んでおられました」


 すぐに信秀さんたちに報告に行った一益さんが戻ってきた。ふたりも卜伝さんの同行を認めてくれたか。これで剣豪将軍との謁見が少しは楽になるだろう。


 


◆◆

太田さん。太田牛一。史実の信長公記の作者。

石舟斎さん。史実の柳生石舟斎。

曲直瀬さん。曲直瀬道三。史実の医聖。

河尻さん。元大和守家の家老。ジュリアの与力。

塚原卜伝さん。剣聖。

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