第674話・それぞれの思惑

side:足利義藤


「上様、なりませぬぞ」


 余はこの男が好かぬ。気が小さく家臣ですら信がおけぬと、毎夜の如く寝所を変える程度の小物。名を細川晴元という。


 本音を言えば、まだ三好長慶のほうが話してみたいと思うところがある。無論、晴元と奴に近しい家臣たちには言えぬことだがな。


 余はこの度、管領代と相談して観音寺城に出向くことにした。主な理由はこ奴のせいだ。不機嫌そうな顔を隠すことなく己の思う通りにいかぬと文句を口にするこの小物が、斯波と織田に良からぬことを企んだせいである。


 一部の家臣と謀り、三好を討伐するのにわざわざ尾張から兵を出させようと企んだのだ。無論、管領代に筒抜けだったがな。


 尾張と美濃が揺れると関東まで大きく揺れることが何故わからんのだ。


「くどいぞ。管領代の招きに余が応えたのだ。なたは余の決断に口を挟むのか?」


 管領代が茶会を開くというので、余は観音寺城に出向くことにした。すべてはこの男のおらぬところで武衛と弾正忠と会うためだ。


「天下の将軍が、傀儡とされておる斯波如きに会うために出向くなど、あってはなりませぬ」


 小物の分際で頭だけは回る。目的に気付いたか。だが、なにが天下の将軍だ。京の都にも入れぬ身で。三好がその気になれば別の将軍を擁立することもできること、余がわからぬとでも思っておるのか?


「其方はさっさと三好を討伐しろ。元はと言えば其方が手をこまねいておるからであろう」


 余の周りにおる者で、こ奴ほど忠義がない者も珍しかろう。側近すら信じぬこの男に余への忠義などあるはずがない。


「上様、そのような言い方をなされるものではありませぬ」


 不機嫌そうな顔が更に不機嫌そうになると、他の側近が不安げな様子で間に入った。このような輩を何故庇うのだ?


 そもそもだ。天下の将軍などと口にするのならば、細川京兆家の家督争いのために天下の将軍に刃を向けたこの男を許してよいのか?


 不機嫌そうに出ていくあの男は置いてゆく。招かれておらぬ身では、のこのこと観音寺城まで来られまい。余が動く前にさっさと三好を討伐すればいいのだ。もっともあの小物には三好討伐などできまいがな。




Side:六角定頼


「ふう……」


 なんとか上手く収まりそうだな。しかし織田は手強いと改めて痛感する。まさか銭よりも公方様と畿内への根回しを頼んでくるとは。


「管領殿は、さぞお怒りでしょうな」


 ちょうど城に参った平井加賀守と茶を飲みながらその話をしておるのだが、やはり懸念は晴元か。


「仕方あるまい。あの男に任せると、まとまる話もまとまらなくなる」


 いいのか悪いのか、武衛殿と弾正忠殿と共に久遠殿も上洛するという。この三人のうち誰かひとりでも怒れば面倒なことになる。要らぬ苦労はしたくないのでな。晴元には朽木で大人しく致してもらう。


 まったく、斯波と織田を巻き込み三好討伐をさせるなどと愚かなことを考える。ふたたび天下を騒乱に巻き込む気か。


 ただでさえ上様が晴元を疎み始めておって、不満を抱えておるというのに、これ以上騒動の種など要らぬわ。


 織田からはなにかを求められるわけでもなく、季節の挨拶と称して、上様に酒や食べ物が届く。まあ美濃や三河のことで口を挟まれたくなかっただけであろうが。


 それと比べるわけではないが、晴元は若い上様を軽んじて己の思う通りにしようとする。これでまだ戦に強いのならばわかるのだが、謀をするのは得意でも戦は不得手だからな。


 それにあの男が謀をするのは世に知れ渡っておるのだ。最早誰も聞く耳を持つまい。


「晴元に娘をやったのは、間違いだったかもしれん」


 ため息が出るわ。武衛殿か弾正忠殿に娘をやっておれば良かった。そうすれば晴元如き、さっさと追い出しておるものを。


「御屋形様、管領殿より三雲殿はいかがなさるおつもりで? 近頃の三雲殿はいささか目に余るものがありますぞ。織田も知らぬはずがありますまい」


 わしのため息に平井はなんとも言えぬ顔をして話を変えた。仮にも細川京兆家だ。迂闊なことは言えんということであろうな。


「捨て置け。織田は対馬守など眼中にないわ」


 三雲対馬守定持か。甲賀衆の中でもあの男と亡くなった先代は、特にわしに忠義を尽くしておったので重用しておったのだが、己の思う通りにならぬと勝手なことを始めた。


 いかにも己が甲賀衆を束ねる夢を見ておるらしい。


「滝川の八郎殿が大手柄を挙げたこと、近江でも大層評判でございますれば、それがまた面白くないようでございます」


「忠義の八郎か。羨ましいの。わしの直臣として戻ってきてほしいくらいだ」


 三雲が荒れておる原因は滝川と望月だ。同じ近江でも貧しい甲賀において、外に出て立身出世を果たした。運もあったのであろう。特に先の戦で久政を捕らえたのはな。とはいえ運のない武士など使えぬ。


 三雲も無能ではない。それ故に家中で織田や斯波を面白く思わぬ者を焚きつけて騒いでおるのだが、いささかやりすぎではある。


 まあ三雲はよい。そのうち失態を理由に叩けば大人しくなろう。今は斯波と織田の上洛をつつがなく終わらせるほうが先だ。




Side:斯波義統


「塚原殿、わざわざすまぬな。わしはこの歳まで畿内に行ったこともない。礼儀作法は学んだが、上様への拝謁も此度が初めて。粗相をするのではと困っておったのだ」


「これはまた御戯れを」


 鹿島新當流の塚原卜伝か。思わぬ大物が同行するの。これが偶然が結びしえにしだというのだから、面白い。


 卜伝はわしの言葉を一笑に付してしまったが、事実なのだ。わしなど生涯清洲城から出られぬかと思うておったほどだ。


 まさかこの歳で上洛することになるとはの。


「いや、戯れではない。もっともそれ以上に旅が楽しみで仕方ないのだがな。まるで童に戻ったようだわ」


「旅は苦労も多うございますが、良きものでございます。武衛様にも良き出会いがあると思いまする」


 夏の暑い日差しも心地よく感じる。ケティが適度に日に当たることが体にもよいと言うておったことを思い出す。


 この何処までも続く夏空の下でわしは京の都に上がれるか。確かに苦労は多かろうな。だがそれを考慮しても旅はいい。


 いつか上洛してわしの名を天下に知らしめる。若い頃はそんなことを考えたこともある。夢破れ、穏やかな暮らしも悪くないと思うた矢先に上洛することになるとはな。


 世の中とは面白きものよ。


「帰りは久遠殿の船だとか。某も一度乗ってみたいと思うておりました」


「ほっほっほっ。わしもじゃ。弾正忠の姫が大層楽しかったと言うのでな。わしも楽しみで仕方ないわ」


 ジュリアはよほど卜伝に気に入られたらしいな。慣れぬ畿内では苦労もするだろうと、この旅を最後まで同行してくれるという。


 そんな卜伝もまたわしと同じく南蛮船に乗れると楽しみにしておる様子に、思わず笑ってしまった。


 まるで天が久遠家の者に味方しておるようじゃな。されど久遠家の者は天などあてにせず、人の力で生きていこうとする。


 わしもまだまだ学ぶべきことが多いの。気を付けねば足利将軍と共に過去の亡霊に取り憑かれそうじゃからの、斯波家は。それだけはなんとしても阻止せねばならん。


 まずは関ケ原か。あそこも楽しみじゃの。いかがなっておるのやら。




◆◆

足利義藤。足利義輝のこと。史実では義藤が改名して義輝となるが、現状の名は義藤。

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