第668話・斯波と朝倉

Side:久遠一馬


 信光さんが造っていた酒造り工房の村が、ほぼ完成したらしい。場所は守山城下で堀と塀で囲まれた警戒厳重な場所だそうだ。


 現在、尾張で造られているお酒はどこでも造られている濁り酒を除くと、金色酒・金色薬酒・清酒・蒸留酒・梅酒・麦酒の六種類となり、あとは料理用に味醂も作られている。


 市販しているのは金色酒と金色薬酒、梅酒、麦酒の四種類で、清酒は今もウチで飲む分以外は織田家で全量買い上げが続いている。蒸留酒は工業村で試験的に製造と熟成を続けているが、未だ販売するレベルほどではなく熟成途中のものがあるのみになっている。


 やっぱり金色酒が一番作りやすいんだよね。元の世界のお酒と比較するとそんなに最高に美味しいと言うほどじゃない。ただ濁り酒しかないこの時代だと美味しいお酒に感じる。


 清酒は日本人の口に合うのだろうが、製造法の秘匿を考えるとおいそれと広められない。まあ製造法がもれてもウチはそんなに困らないんだけどね。わざわざ広めてやる理由もない。


「それで一馬、酒はいつ造れるんだ?」


 酒蔵などが完成したので酒造りの相談に信光さんがやってきた。気が早いというかなんというか。


「夏場はあまり向かないんですけどねぇ。まあ試しに造ってみましょうか」


 信光さんのところから派遣された家臣は、津島のリンメイのところでだいぶ前から酒造りを学んでいるが、当面はこちらからも人を派遣する必要があるだろう。


 津島はリンメイがいるからいいが、守山はそうもいかない。津島の酒造りでも使っている温度計や湿度計を解禁するか。


「ただ、リンメイが忙しいのがね。どうしようかな」


 一番いいのはリンメイに守山まで指導に行ってもらえばいいのだが、津島は津島で忙しい。あそこは美濃への流通の拠点となっているからさ。


「たまにでいいなら、アタシが行ってあげようか?」


 悩んでいると口を挟んできたのは、今日はお休みのマドカだった。


 日に焼けた肌と茶髪で、なんというかギャルそのものと言える容姿をしている彼女。すずとチェリーと一緒にウチの家臣の未就学児くらいの子供たちを集めて、一緒に庭で遊んでいるんだが。


「病院は大丈夫なのか?」


「大丈夫よ。人も育ってきたしね」


 マドカは医療型であり、ケティやパメラがオレと一緒に遠出する時なんかには病院で働いているんだよね。島にいたり尾張にいたりと双方で活躍している。


 最近は三河安祥と美濃大垣に出向いて公民館にて不定期で領民の診察をすることもしているけど、酒造りくらいなら技能型でなくても問題ないか。


 ちなみに安祥と大垣の診療所は結局公民館として昨年の夏から建設をしていて、こちらも先日には完成している。ケティたちが指導した医者見習いが交代で常駐することになったので、簡単な薬の処方くらいはすでにしているんだよね。


 マドカやヒルザなどの医療型のみんなが不定期で訪問して診察もしているが、常時診察しているのはこの時代の人になる。元は忍びだった人たちで甲賀者は薬が得意らしく習得も早かったんだとか。


 評価は上々だろう。外科的治療は今のところしていないが、薬の処方はこの時代の医療レベルよりも数段高い。


「じゃあ、任せるよ。大筋では酒造りを習得しているはずだから、時々相談に乗ってやればいいはずだし」


「オーケー! 孫三郎様、よろしくね!」


「おお、任せた。なにかあればオレに言ってくれ」

 マドカ軽いな。それに一切驚きもしないで笑顔で合わせる信光さんも軽いけど。この人も堅苦しいのとか好きじゃないからなぁ。


 とはいえこれで清酒が量産されれば、一部は販売も出来るだろう。楽しみだね。




 信光さんと一緒にのんびりとお酒談義をしていたら、オレだけ清洲城に呼び出しがあった。エルと共に早速やってきたんだが、ちょっと驚きの内容だった。


「へぇ。それはちょっと驚きですね」


 呼び出したのは信秀さんだったのだが、信長さん、信康さん、政秀さん、義統さんもいる。用件は朝倉宗滴さんのことだった。


「いささか虫のいい話だがな。とはいえ歩み寄ろうという者を粗末には扱えぬ。宗滴は朝倉家にとって当主以上の男だ」


 信秀さんは相変わらずこの状況を楽しむような様子で説明してくれるが、越前から来ている公家が朝倉家と斯波家の和解のために交流を深めてはどうかと提案してきたそうだ。


 花火も終わり駿河から来た公家は帰ったが、越前から来た公家は宗滴さんと一緒に帰るからと残っていたんだよね。津島神社に行ったり蟹江に行ったりと楽しんでいた様子だったが、ここで動くとはね。


 虫のいい話と信秀さんが口にしたのは義統さんへの配慮だろう。斯波家にとっては下剋上をされた相手だ。不倶戴天の敵と言ってもおかしくない。


 この時代だとこの手の因縁は放置するとずっと残るんだよね。子々孫々まで言い伝えとして残るから。


「今更、越前を取り戻せるとは思わん。それに無理をして越前をとっても加賀と若狭で苦労するなどご免だ。とはいえ安易に許せば先祖に申し訳がたたぬ。難しきことよ」


 義統さんはなんとも言えない様子か。自身はかつての栄華も領国も拘ってないが、先祖に対してはそりゃあ思うところはあるよね。


「あそこ加賀の一向衆の蓋なんですよねぇ」


「蓋か。お前は相変わらず面白いモノの見方をする」


 つい本音で呟くと信長さんにつっこまれて、みんなに笑われた。他家を蓋呼ばわりすることが面白かったらしい。


「エル、加賀はいかが見るのだ?」


「出来ますれば、当分は関わりたくありません。現状では三河と同じく壊滅出来るとは思えません。下手をすれば石山が敵に回ります」


 少し空気が和んだところで信秀さんは加賀に言及した。尾張では一向衆など恐るるに足らずとか、たいしたことないとかいう風潮があるが、信秀さんを筆頭にこの場にいる人はそんな甘く見ることはないようだ。


 三河は本證寺対策にどんだけ銭を使ったと思っているんだ。


「朝倉と対立すると美濃に影響が出るな。そもそも北美濃は山ばかりであまり実入りも多くあるまい。例の椎茸の栽培と養蚕がやれるかもしれんが、そのためには相当な掃除がる」


「北美濃はあまり状況を理解しておりませぬ。斎藤家が領地を大幅に削られたことで臣従をためらう者が増えております。朝倉が所領安堵を約束すれば朝倉に付きかねません」


 信秀さんの懸念はやはり美濃か。山の村の状況は報告している。炭焼きや椎茸栽培に養蚕で山でもそれなりの産業が見込めることは当然報告しているからね。


 ただ信秀さんの認識だと、それらはウチの秘伝の技だ。当然、敵か味方かわからない人たちに与えて漏れることを懸念してくれる。


 一方、無言だった信康さんは北美濃の情勢が微妙であることに言及した。花火や関ケ原の戦で臣従に傾いた人もいるが、反対に斎藤家ですら領地が半減という表面上の片方の事実だけで臣従に否定的な人もいる。


 先祖代々の土地は自分のものだ。考えているのはそれだけだろう。織田がいかに強くても朝倉ならば対抗出来る。単純にそう考えている国人や土豪はそれなりにいる。


「斯波家としては正式な和睦は出来ぬが、朝倉との関わりを今少し良くすることは必要か。どのみち宗滴は長くはないのだ。先のことは宗滴の動きと、その後を見てからでも遅くあるまい」


 この件のカギを握るのは義統さんだ。元々、朝倉との交易拡大は既定路線だった。儲かる以上は構わないという方針だったんだ。意地を張ってもなにも変わらないからね。


 厄介なのは斯波家の立場だった。まあ義統さん個人としては生まれる前に失った領国にあまり思い入れもないようだが。斯波家として認められないラインはある。


 それにまあ、今川の現状をみているからね。経済で侵略してしまえば戦も有利になる。


 義統さんは宗滴さんを警戒しているようだが、とりあえず和解のためにという公家の仲介を断るという選択肢は取らないらしい。


 ちょっとほっとしたね。






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