第666話・宗滴への助け

Side:朝倉宗滴


 目の前にある南蛮絵を、わしはいかほどに見ておっただろうか。日ノ本一の山である富士の山が描かれた絵だ。


「いつ見てもよい絵であるの」


 一緒に茶を飲んでおった公家がわしの様子に笑みを浮かべて声を掛けてきた。確かにいい絵だ。まるで富士の山を直接見ておるようだからな。これを見ると行ってみたいと思うようになった。


 茶は清洲城の者が淹れた紅茶だ。しかも冷やしておるようで、味わいが違う。越前で殿が淹れた温かい茶は何度か飲んだことがあるが、これは初めてになる。


「今川は危ういようじゃの?」


「さて、いかがなのでしょうな。尾張から見る駿河とまことの駿河がいかに違うか、某にはわかりませぬ」


 馴染みの公家がこちらを見て、ちらりと今川のことを口にした。立場的に朝倉家も他人ごとではあるまいと言いたげだろうし、その通りだからな。


 その点、六角は気楽なものだ。北近江三郡の扱いや浅井の動きを止められなかったことで多少難があるが、今川や朝倉家よりは断然いい。


「そなたは戦にも強くわしらのこともよく理解してくれておる。それ故にわしも言うのだがの。過去の遺恨は早く解きほぐしてはいかがかな?」


 わしの苦悩を見抜いたのか、馴染みの公家ははっきりと今必要なことを口にした。家格官位こそ高くはないが世の中がよく見えておる御仁だ。世話になっておる朝倉家を思ってのことであろう。


「まことにその通りでございますな。とはいえ某に出来ることは限られておりまする」


「そなたは鷹を育てておる。それを織田に伝えてはいかがと思うがの」


「鷹でございますか?」


 悩むわしに馴染みの公家が口にした策は思いもよらぬものだった。いかなることだ?


「織田はの。明や南蛮の技を尾張で用いて富を築いておるのだ。特に久遠殿は新しき技には貪欲だと聞く。なんでも北条長綱は尾張にて自らの知恵と経験を話して聞かせたことで、多くの者が喜んだと聞く。まずはそなたが尾張の者たちと親交を深めるべきではないか?」


 確かにわしは鷹を育てることを試みておる。あれが上手くいけば、鷹の確保が楽になるからな。だがそれを尾張に伝えろとは……。


「自ら相手の懐に飛び込まねば、いかようにもなるまい。それならばわしが話を通してやれる。そなたが尾張に来られる機会はそうあるものではない。ここで動かずしていかがするのだ?」


「ご心配おかけして申し訳ありませぬ。是非お願いいたしまする」


 馴染みの公家は理解しておる。斯波家との遺恨を解くのは並大抵のことでは無理であると。わしがやらねば、今後出来る者がおらぬかもしれぬということを。


 確かになにかを出さねばならぬのならば、鷹を育てる技が手ごろだ。あれならば殿にも朝倉家にもご迷惑をお掛けすることなく出せる。


「そうか。良きかな、良きかな。武士の遺恨は難しい故、案じておったのだ。及ばずながら力になろうぞ」


 わしがここで腹を切るわけにもいかぬ。仲介していただけるならこれほどありがたいことはない。


 この先、斯波や織田と朝倉家がいかがなるかわからぬが無駄にはならぬであろう。




Side:久遠一馬


「あかんわ。旋盤使えへんの?」


 蝉の声が聞こえるこの日、蟹江にて造船を任せていた鏡花が那古野の屋敷に来ていた。暑かったのだろうパタパタとうちわで扇ぎながら報告をしてくれた。


「そんなにだめか?」


「需要に間に合わへんのや」


 鏡花は現在、昨年拿捕した本物の南蛮船、キャラック船の解体と調査を終えていて、職人たちの技術習得を目的に解体したキャラック船を改造したうえで組み立てている。


 それと蟹江では久遠船と呼ばれるようになった和洋折衷船の新造も続けているが、需要を全く満たしていない。


 知多半島の大野では今も佐治水軍が、旧来の和船で比較的状態のいいものから久遠船に改造しているが、こちらも船の状態や費用対効果でそこまでする必要のない船も多い。


 佐治水軍に貸し与えているキャラベル船と佐治水軍で建造した久遠船は、関東への交易船としてウチの船と一緒に活躍しているが、織田領の拡大と共に伊勢湾の制海権がより重要となりつつある。


 織田領のあちこちで勝手にしていた弱小水軍を織田水軍として再編するには船が足りない。まあ今までのように漁業と海賊行為との併用なら別に必要ないのだが、伊勢、志摩、紀伊の水軍もいつまでも大人しくしているかはわからないところだ。


 脱沿岸水軍となるにはどう考えても船が足りない。まあ久遠船は交易などの非戦闘用に開発した船であり、船舶の交易が急増していることが需要を満たしていない一番の原因だが。


「エル、旋盤どうなってたっけ?」


「旋盤の製造は順調です。蟹江ならば機密を守ることも可能です。旋盤での造船向けの木材加工場を新設してもいいかもしれません」


 鏡花の報告で旋盤についてエルに確認してみるが、工業村で一番生産しているのは旋盤だ。最近では旋盤製造工房が出来ていて、職人たちが分業体制で量産している。


 工業村の職人からも旋盤を工業村の外の職人にも解禁してはどうかとの献策があったが、機密保持のために止めていたんだよね。


 無論、鏡花も努力はしている。造船に関して久遠船は分業制を導入しており、以前エルが教えた古代カルタゴの造船方法を基に分業制を導入している。一部の部品は大湊に発注もしていて、以前と比較すると格段に造船スピードは上がっている。


 問題は織田家の拡大がそれ以上に早いことか。


「蟹江の学校も校舎建設がこれからなんだよなぁ」


 大湊だけではない。伊勢の神宮の宮大工や伊勢の職人で手の空いている者は尾張に出稼ぎに来ているし、那古野の学校では職人の育成も進んでいる。


 船大工に関しては機密を守るという誓紙を交わして尾張の各地から蟹江に集めているし、ウチの家臣で船大工の善三さんは、船大工志願の未経験な若者を試験的に弟子として教えてくれてもいる。


 いろいろと策を講じてはいるが、実になるまでが大変なんだよねぇ。


 ちなみに蟹江に設置予定の海関連の学校は未だ手付かずになる。こちらは那古野の学校と病院の増築を優先していて学校建設を頼む宮大工がいない。


 流民は相変わらず来ているが、ほとんどが農業しか経験のない人たちばかりだ。流民の大半は賦役に割り当てている。清洲の賦役は治水が主であとは減っているが、現状では那古野の拡張や街道整備や治水など優先するべきことはいくらでもある。


 大工と鍛冶職人の不足は未だ深刻だね。


「みんな頑張っているんやけど、船乗りを育てることを考えたら遅いくらいや」


 鏡花の言うようにみんな出来ることはしている。とはいえ需要と供給のバランスが突然変われば対応するまでは苦労をするよね。まして技術レベルが数段あがるんだから。


 水軍の再編も急がないとなぁ。


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