第665話・信清の帰省と沢彦の問答

Side:織田信清


「随分と賑やかだな」


 久方ぶりに戻った犬山は賑わっておった。目に付くのは大工が多いことか。


「はっ、美濃や飛騨から木材が毎日のように送られてくる故、皆忙しく働いておりまする」


 関ケ原から戻ったあとも戦の後始末で清洲におったが、気が付くと夏になっておる。役目も一段落したことで領地に戻ったのだが、家臣たちの顔は明るい。謀叛の気配すらないな。


 少し前ならば信じられぬことだ。領主とその嫡男が城を長く空けるなど。まだ元服前の弟もおるが、弟もまた那古野の学校に通うために清洲におる。犬山城は家臣たちが守っておるが、一昔前ならば城を乗っ取られてもおかしくはない。


 もっとも今そのようなことをすれば、清洲の殿にすぐに潰されてしまうだけだが。


 ここ犬山は尾張で使う木材の集積場となり賑わっておる。領外から流れてきた大工や領民も多くが、集まる木材の加工をして働いておるのだ。


 斎藤家が臣従したことと木曽川沿岸を織田が押さえたことで、犬山は前線とは言えなくなった。まあ東美濃がまだ態度をはっきりさせておらぬので、警戒は怠らぬようにと言われておるがな。


「父上から書状も届いただろうが、新たな治水と街道整備のために視察と検地をするそうだ。準備を怠らぬようにな」


「はっ、心得ております」


 小高い小山の上にある犬山城からは領内がよく見える。木曽川を流れてくる木材を陸揚げしておる現場が一番賑わっておるようだな。


「しかし、織田も変わりましたな」


「ああ、父上は忙しくて領地にも戻れんほどだ。清洲の殿も大変なようだ」


 わしが生まれる前から父上に仕えておる年配の家臣が、少し昔を懐かしそうに語った。父上がおらぬ城に寂しさというのもあるのかもしれない。


 犬山で独自に策を決めることが今はない。かつて父上は伊勢守殿の後見役として清洲の殿と伊勢守殿を繋ぐ難しい立場だった。ひとつの決断が家の存亡に関わるかもしれぬ立場であったが、それも今は昔のこと。


「どうかご無理だけはなさらぬように……」


「ああ、父上にも言うておく」


 父上を案ずる家臣に思わず笑みが浮かんでしまう。改めて言われるまで気付かなかったが、忠臣というものは身近におるのだな。


 尾張が二度と昔のように戻ることはあるまい。それがまことにいいのか悪いのか、わしにはわからぬがな。


 とはいえ、殺し殺され、いつ寝首を掻かれるのかと怯えて生きるよりはいい。




Side:真田幸綱


「真田先生、ありがとうございました!」


 礼に始まり礼に終わる。ここでは教える側も礼をして終わる仕来りだ。頭を下げる子たちに合わせてわしも礼をすると講義は終わりだ。


 元気よく校庭に駆けていく子たちや、教えたところを見直しておる子たちもおる。総じて感じたのは、当初考えておったより難しいことも教えておることか。


 寺社の僧侶や神職に、隠居した武士や久遠家の者。中には久遠家の秘技も教えておるようで、武田家家臣であるわしでは見物することも許されておらぬ教えもある。


 わしはとりあえず信濃での暮らしや風習について教えたが、尾張の暮らしとの違いに驚いておった子も多い。


 尾張のような肥沃な土地とは違う信濃は、暮らしていくのも大変だからな。それでも甲斐よりはマシなのだが。


「真田殿、いかがですかな?」


「これは沢彦たくげん殿。おかげさまで、なんとかやれておりまする」


 職員室という師が休息する部屋に戻り、我が子でもない子たちに教えるという難しさを痛感しておると、沢彦宗恩和尚に声を掛けられた。


 ここは久遠家のアーシャ殿が任されておるようだが、年配でもある沢彦殿が細かいところを気にかけておられる。


「ひとつ気になることと言えば、天下の政についてあそこまで教えてよいものでござるか?」


「あるがままに教え、皆に考えてもらうのが、ここの役目。嘘偽りを教えるなどあり得ぬことでございます」


 学問だけではない。過去の公方様の行なった天下の政についても事細かに教えておるのだ。中にはそのようなことを知る身分でない者も多いというのに。


 まだ若い子が多い故に仕方ないとはいえ、歴代の公方様や管領などに批判的な意見を述べる子もおるのだ。無論そのような子には、無闇に口に出せばいかがなるかわからぬと叱っておるようだが、それでもひとつ間違えれば斯波家が責めを負わねばならなくなるぞ。


 三管領として公方様を支える斯波家がそのようなことを黙認しておるのか? 学校には武衛殿の嫡男もおるのだ。知らぬとは思えぬが。


「されど、これが公方様のお耳に入れば……」


「過ちを過ちと認められぬような者に明日はありませぬぞ。それに忠臣を装い謀叛を企む者たちよりも、子供たちのほうが足利家のことを憂いて考えておりまする」


 信じられぬ。公方様にも過ちを認めろというのか? そのようなことをすれば臣下や下の者たちに示しがつかぬではないか。


「例えば武田殿は同盟を一方的な理由で破り、戦をしておりますな。それが正しいのか、考えたことがございますかな? 勝てばよい。確かに現状ではそうでございましょう。武士ならば尚更。されどその先は考えておりまするか? 武田家は同盟を結んでも裏切る。拙僧にはそう思えてなりませぬ。我らは子や孫たちの世も考えておるのでございます。過去の過ちは過ちと認め、同じことを繰り返さぬようにと教えて、なにか問題がありましょうか?」


 痛いところを突く。それを言われればこちらは言い返せぬ。今川と対立しておりながら織田が武田家と手を結ばぬ理由はやはりそこか。


 沢彦殿は弾正忠殿の嫡男を教えておったとか。しかもここを任されておるアーシャ殿もまた、沢彦殿を信頼して細かいことを任せておるのだ。つまりこれが織田の意思ということになる。


 武田家はまったく信頼されておらぬということがな。


「言い訳になることを承知で言わせていただきますれば、肥沃な土地に住まう者に甲斐の苦しさはわからぬと言わざるを得ませぬ。奪わねば死ぬのです。ならばこそ御屋形様は決断なされた。退けぬこともあるとご理解いただきたい」


「少し言い過ぎましたな。拙僧も各地で修行した身。及ばずながら存じておるつもりでございます。されど義を捨て道理からも外れたことを良かれとは言えませぬな。無論過ぎたことを批判するつもりは毛頭ありませぬ。ただ同じことを繰り返さぬようにと、学び考えることを尾張ではやめることはないでしょう」


 違う。甲斐と尾張ではなにもかもが違う。過去を学び明日の糧にする。確かに理想ではある。だが今飢えておる者を救うには奪うしかないのだ。


 尾張は肥沃な土地であるうえに海に面しておる。そこに久遠が莫大な富をもたらすのだ。我らの苦悩など理解出来なくて当然。わしが弾正忠殿でも武田家のことは信じぬであろう。


 腹の中で苛立ちが込み上げてくるが、ここで怒りに任せて恨んだとていいことなどあるまい。それに……


「わしはここで貧しき者、苦しき者の代弁をさせていただきたいと考えまする」


 過ちから学ぶというのならば、わしが甲斐や信濃の代弁者となって教えてもよいということであろう?


「それはようございますな。皆が喜ぶでしょう」


 いかに返答するかと問うてみたが、沢彦殿はそれが答えだとばかりに満足げな笑みを浮かべられた。


 反対する者の意見も欲するか。勝てぬな。少なくとも人を教え導くということに関しては勝てる相手ではない。沢彦殿も織田も。


 背筋に冷たいものが流れた気がした。


 御屋形様はひとかたならぬお方だと仕えておるが、御屋形様と弾正忠殿が互角だとしても、残りの家臣はいかがなのだ?


 このような者が多く仕えておる織田に武田は勝てるのか?


 願わくは御屋形様にお知らせするべきであるが、古参の者たちがいかが思う?


 言えぬな。余計なことを知らせると今川との戦に影響する。ましてわしは外様とざまである信濃の国人でしかない。御屋形様には目を掛けていただいておるが、それも限度がある。


 下手なことを言えばわしが疑われてもおかしくない。


 前途多難だな。



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