第654話・養豚を始めよう

Side:久遠一馬


 熱田は元より尾張中で熱田祭りの準備が進む中、朝倉の使者である朝倉宗滴と、六角の使者である後藤賢豊ごとうかたとよが清洲に到着した。


 花火大会に合わせて狙ってきたわけじゃないよね? 織田としては花火を見せることで力を見せつけることが出来るので構わないが。


 昨夜は旅の疲れを癒してもらい、今頃は義統さんや信秀さんとの謁見をしている頃だろうか。それが終われば、浅井の扱いや北近江三郡のことについて話し合いがあるはずだ。


 義統さんはどうするんだろうか。安易に朝倉を許すとは言えないだろう。義統さん個人の問題ではない。斯波家当主としてはそう簡単にはいかないことだ。


「殿様~、ここになにを飼うの?」


 オレは牧場に来ている。宗滴と会うのは今夜で、それまではオレの出番はないからね。いや、これはこれで仕事だよ。本当だよ。


 周りを子供たちに囲まれながらやってきたのは、牛舎や鶏舎がある場所だ。大工さんたちが縄張りをするのを見ているんだが、子供たちは新しい出来事に興味津々だ。


「猪を飼うんだよ。家畜にすると豚というんだ」


「いのしし? いっぱいいるよ?」


 子供たちも新しい家畜を飼うことまでは理解していたが、豚を飼うと教えると首を傾げる子が多い。


 確かにこの時代は村や町をちょっと外れると自然がどこにでもある。入会地となっているところも多いが、動物には関係なく猪も現状では食べるのに困るほど減っているわけではない。


 とはいえ肉の消費自体は尾張では増加傾向にある。ウチが原因だ。ラーメンを筆頭にウチの料理には肉をよく使う。当然それが武士から領民にまで広まりつつある。


 肉食の禁忌もこの時代ではそこまで人々の認識にはない。幸か不幸か一向衆は普通に肉も食べるし、武士も領民も食べられるものはほとんど食べちゃうからな。


 ラーメンもすでに八屋以外でも販売していて、清洲、那古野、熱田、津島、蟹江などでは食べられるんだ。カンスイやメンマなどは事実上ウチが独占販売しているものだが、ラーメンを作りたいという人には売っているしね。


 まあレシピは解禁していないので、ラーメンなのかうどんなのかよくわからないものも中には多々あるが、そういうのも含めて試行錯誤がラーメンの歴史を作っていくだろう。


 ちなみに食物連鎖という知識もすでに学校では教えている。特に日本狼なんかはこのまま近代化すると絶滅しかねない。この時代から自然の調和と食物連鎖の知識は教えておいたほうがいいからね。


「飼うことでいつでも食べられるようになるし、より美味しい肉になるようにするんだよ」


「おら、おてつだいする!」


「私もおてつだいするよ!」


 子供たちは美味しいお肉という単語に反応したのか、元気よくお手伝いを買って出てくれた。ただ養豚が普及するのは、もうしばらく先だろう。豚は雑食だから人が口にする物と食が重なっている。人が飢えに怯える暮らしをしているうちは難しいだろうね。


 現状では養鶏のほうが普及しているんだよね。あとは養蜂か。養蜂のほうは巣箱を置いておくだけの段階だが、手間がかからないので農業試験村で試して蜂が住み着いたら一気に広まった。


 養鶏はウチ以外では信長さんが那古野城で始めたのをきっかけに、現在では清洲城や国人衆の城でも広まっているし、当然農業試験村でもやったので農民も一部では始めている。


 城なんかだと庭で放し飼いでもいいし、戦の際に食糧となるという名分が大きい。単純に卵焼きやだし巻き卵なんかが美味しかったのが普及の一番の理由だろうけど。


 いいものは取り入れるという貪欲さは、元の世界より勝っているかもしれない。このまま尾張文化として育てていくほうがいいのかもしれないね。




Side:斯波義統


 朝倉宗滴か。斯波家から越前を奪った朝倉の者が、よくもまあわしの前に出てこられたものだな。父上ならば怒り狂っておったやもしれん。


 とはいえ、そんなことをしたとて越前が戻るわけでもない。まあ、朝倉からすると返さぬであろうな。取られたほうが悪いのだ。


 それにあれは足利家と当時の公方も絡む一件。わしが足利など一切信用せぬのは、この件も原因であるのだからな。


「朝倉の者とこうして会うとは奇縁と言うべきかの」


 宗滴は一通り挨拶を済ませたあとは黙して語らずか。さすがは朝倉にこの人ありと言われる男だ。この場で朝倉を挑発する気も過去を責める気もない。とはいえ釘は刺しておきたい。


「難儀な世でございますな」


「確かにの」


 代わりに口を開いたのは弾正忠だ。朝倉を庇うつもりではなかろうが、相変わらず絶妙なことを言う。確かに世が荒れておらねば朝倉もあのようなことはせなんだのかもしれん。今の尾張におるとそう思う。


「まあよい。無益な争いは望まぬ。せっかく尾張、美濃、西三河と落ち着いておるのだ」


「ありがとうございまする」


 宗滴はあからさまにホッとした顔をした。演技か? その程度の腹芸はしてもおかしくはない男であろうが。


 しかし歳だな。眼光は鋭いが体は少し細い。最早、戦で采を振れるのは十年もあるまい。その姿に以前にエルが言っておった言葉を思い出す。朝倉にとって宗滴は代わる者がおらぬのではないかとな。


 隣の加賀は一向衆が好き勝手しておる土地だ。若狭も安定しておらん。朝倉とすれば北近江は是が非でも落ち着かせねばならん土地であろうな。


「弾正忠、なにゆえ宗滴は自ら来たのだ? 下手をすれば手討ちにされてもおかしくはないのだぞ」


 宗滴が下がると、近習がほっとした顔を露わに見せた。宗滴ばかりではないか。わしの近習までもが、いかがなるのかと案じておったとはな。


 ただ気になることは、何故あのような歳になって尾張まで来たのかということだ。


「そのくらいの覚悟はありましょう。もっとも、そうならぬとの確信もありましょうが」


「過去の因縁を水に流したかったのか。それともこちらを見極めに来たか。果たして越前朝倉は尾張になにかをもたらすほどの栄華か? 英明か? そしてあの男は尾張になにを見い出すのやら」


 斯波と朝倉の因縁は軽くはない。それくらい奴なら理解しておろう。まさか命を懸けて来たというのか?


 わしに出来るか? 無理であろうな。朝倉家中では宗滴には逆らえる者がおらんとすら聞くのだぞ。そのような立場となり、僅かな供の者を連れて敵地へと行けるとは……。


 恐ろしい男だと感じるが、同時に哀れにも思える。あの歳になって隠居も出来ぬのが朝倉の現状なのだからな。


「朝倉の扱いは、しばらく様子見でもよいのではありませぬか?」


「確かにの」


 弾正忠もあの男を相手に戦をする気はないか。放っておいても数年で戦場には出てこられなくなるからな。


 それにだ。目指す先は旧領の奪還などではない。日ノ本の統一なのだ。これはわしの近習も知らぬことだがな。


 争いの絶えぬ足利の世を終わらせる。そのためには朝倉などいちいち相手にしてはおれん。


「そうとなれば、宴を開き歓迎してやるか」


「そのほうが恐ろしいと思うでしょうな。守護様もお人が悪うございますぞ」


 京の都に近く、繁栄しておることが越前の者の自慢だという。尾張を田舎だと侮っておる者たちの鼻っ柱を折ってやるか。


 弾正忠と視線を合わせて思わず悪い笑みを浮かべてしまう。今や尾張の宴は日ノ本一の宴ぞ。ついでに熱田の花火を見せて帰してやるわ。


 戦場では敵無し負け知らずという宗滴が、いかな顔をするか楽しみじゃの。





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