第648話・斎藤家臣従

Side:久遠一馬


 尾張は戦の勝利の勢いそのままに景気がいい。そんな中、その勢いを利用するべく動いた人たちがいる。


 上座には信秀さんが座る謁見の間に入ってきたのは、斎藤道三さんと義龍さんだ。道三さんはいつもと変わらないが、義龍さんは少し緊張しているように見える。


 実は今日、斎藤家が織田家に正式に臣従をするんだ。


 やっぱり戦の勝利の意義は大きかった。関ケ原を完全に織田家で押さえたことで、この機会に正式な臣従をすることになった。


 臣従は時間の問題だったと言えばそれまでだが、それでも明日はどうなるか分からないのがこの時代だ。


 特に斎藤家は美濃の守護代家であり、道三さんはそれを乗っ取ったとも言える。美濃国内の反発もないわけではない。


 所領に関しては一旦織田家に献上したうえで、精査して再配分することになる。大まかには斎藤家の所領は半分ほどとなり、残りの半分は銭での俸禄に切り替わる。


 こちらは収量ベースではなく年貢ベースの俸禄だ。召し上げた土地から得ていた分の税と同額分から統治に掛かる費用を引いた分を織田家から俸禄として支給することで実質的な実入りが変わらないように配慮した。


 稲葉山城と井ノ口周辺は斎藤家の所領として残した。召し上げたのは離れ小島のように点在する所領と街道沿いになり、これは管理する手間を考えると斎藤家にも悪い話ではないだろう。


 斎藤家家臣は様々だ。家臣として残った者もいれば、織田家の直臣となった者もいる。直臣の場合は領地の半分を俸禄に切り替えることが新たな条件として加わった。斎藤家の家臣として残るならば、斎藤家が認めるなら領地はそのままになる。


 当然ながら検地、人口調査、織田分国法の順守など以前の条件もある。それと警備兵の配置と指揮権を織田家が有することも、最初から条件として盛り込まれた。


 こうして見ると臣従の条件が厳しくなったとも言えるが、織田家の義務として食わせることは当然あるし、街道整備や河川の治水などは織田家が行うとして新たに分国法に定めることになった。


 臣従の条件で言えば道三さんは納得したものだ。どうも道三さんは領地がすべて召し上げられて俸禄になると思っていたらしい。


 信長さんの領地の状況を知ったからだと思うが。土地の完全な召し上げは統治体制がもっと整うまで無理だろう。


 無論、斎藤家側の利になることも本格的に始まる。井ノ口の町にはわら半紙工房や、学校兼診療所兼集会所となる公民館の建設も始まる。ほかにも各種産物が頃合いを見て続々と井ノ口でも生産を始めることになる。


 これに伴い、今まで尾張下四郡の清洲、那古野、熱田、津島、蟹江間で行われていた関所の撤廃と統廃合を、尾張、美濃、三河の織田領全域で採用することが正式に決まっている。


 少し早いような気もしたので、信秀さんに進言というか意思確認をしたが、織田家が大勝して斎藤家が臣従にすることに合わせてやってしまおうということになった。


 それと商人には収支を明らかにするという名目で新たに複式簿記を始めるように推奨することと共に、関所での税の代わりに家屋敷や店などの所有する土地と建物に対して税を正式に設けることになる。


 税はみんなで負担する。その原則をなんとか作りたい。家屋敷の課税は信長さんの領地で俸禄に切り替えた武士にも適用されており、それを拡大した形だ。


 関所の撤廃。これに関してはやってしまえばこれほど楽なことはないが、やるまでは大変の一言に尽きる。


 もちろん反発はある。美濃の一部の寺社は反発して関所の撤廃と統廃合を受け入れていない。それと徴税権を奪われる末端の土豪レベルでも反発しているところもある。


 関所の撤廃を受け入れない寺社は現状では放置だ。その寺領と織田領の境界に関所を設けて、人の出入りに税をかけるだけだ。向こうだって同じことをする以上、文句は言えないだろう。


 織田家による優遇なども一切なく、寺領で独立して生きてもらうことになる。


 土豪は最悪、武力鎮圧しかないだろうね。地域や村のまとめ役として税を集めて上に納めていた連中だが、中抜きとか普通にしているし、いつの間にか自分の所領のようにしてしまっているところもある。


 武士として働きたいのならば、織田家で武官か文官として召し抱えることも出来るが、今まで通り自分たちの既得権を認めろと一方的に主張するのは認められない。


 一番の問題は自分たちの権利は譲らないが、織田家からの利は得られると思っている人が多いことだ。旧態依然とした統治はもう通用しないと理解出来ないらしい。


 まあこの辺りは織田家というよりは、その土地を治める武士がどう説得するかによる。相談されれば織田家もウチも力を貸すが、基本的にはその土地の持ち主がなんとかするしかない。


 戦における兵糧の準備はすでに織田家で一括しており、土豪などの力は必要ない。人口調査をしているので、今後は徴兵も頃合いをみて織田家主導になるだろう。


 彼らが新しい体制で己の生きる場所を見つけるかは彼ら次第だ。要領のいい人は、すでに警備兵に志願して働いている人だっている。オレに直接はないが、ウチの家臣なんかに相談してきた人もいるし、そういった人には代わりの働き場を世話したり、新しい体制での役割を与えたりと柔軟に対応しているからね。


「よう決断したな」


「はっ、よろしくお願い致しまする」


 かつては道三さんを主君もしくは主筋と仰いでいた西美濃の氏家さん、不破さん、稲葉さんが見守る中での臣従だった。


 織田家古参の重臣などは感慨深げに見ている人もいる。以前にちらりと話したことだが、これほど織田家が大きくなるとは思わなかったと零していたこともあるほどだ。


 道三さんは信秀さんのライバルとも言える存在であるし、今後は評定衆としても美濃の守護代家という格が加わるので上のほうになる。


 信秀さんも道三さんも言葉は少ない。とはいえこのふたりは言葉以上に互いを理解しているようにも見える。


 その後、守護様である斯波義統さんが上座に座ると道三さんの挨拶があり、斎藤家臣従に関する評定が行われる。


「東美濃と北美濃は揺れておりまする。臣従したいという者もおりますが、尾張の統治は今までと違う故、戸惑う者が多いようでございます」


 尾張としては斎藤家の臣従で安泰となるが、美濃は混迷し始めている。道三さんから残る東美濃や北美濃の件の報告がされたが、臣従を仲介してほしいという依頼が道三さんのもとには増えているらしい。


 道三さんと近い東美濃の明智家も、光秀さんのいる家などは斎藤家家臣として臣従することになったが、明智一族で言えば臣従をしていないところもある。


 東美濃の動きが鈍ったのは、今川と武田が敵対したことで信濃方面からの危機や圧力が減ったせいだろう。北美濃は主敵が朝倉家だが、こちらも朝倉家が融和路線に転換したことで危機感はあまりない。


 面倒なのは近隣の領主と仲が悪いとか、代々因縁があるとか細々とした過去の積み重ねによる諍いがあることか。


 あいつが臣従するならオレは嫌だとか。あの利権をウチに寄越せば臣従するとか注文が多い。


 尾張はまだ織田一族が長年治めていたということで抵抗感は少なかったが、美濃はそうはいかない。


 東美濃で言えば遠山家は先の戦で本家が臣従を検討し始めたらしいが、分家筋はそこまで乗り気じゃない。織田も一時的な勢いで調子に乗っているんだと考える人が未だに多い。


 美濃の完全な平定はまだ時間がかかるだろう。




◆◆◆◆◆◆◆


 天文二十年、四月末。美濃の守護代家である斎藤利政が織田弾正忠家に臣従したと『織田統一記』にはある。


 すでに守護家であった土岐家は美濃にはなく、守護代家である斎藤家が事実上の美濃のトップであったが、西美濃を織田に奪われた状況では勝機がないと判断した利政は戦うことなく臣従を決断した。


 この決断は現代では『無血臣従』と呼ばれており英断だと称賛されているが、当時では批判も少なくなかったようで、略奪者が国を売り渡したと批判した国人もいると伝わる。


 利政のことは織田家でも警戒していたようで、臣従の条件は同時期に臣従をした西美濃の国人と比較しても厳しかったものの、実入り自体は変わらぬように配慮されていた。


 一方の織田家ではこの頃は領内の統治について議論が行われていた時期でもあり、当時主流だった国人や土豪の領地を認めることで成り立つ室町時代からの統治からの脱却を本格的に始めていた時期でもある。


 通説では久遠家がそれを主導していたと思われていたが、近代に入って明らかになった研究で、織田家家臣もどちらかと言えばこの改革を進める側だったことが判明している。


 根回しや説明を重視した久遠家に対して、織田家家臣の一部が甘いと零した手紙が現存しており、従わぬ者には武力を以って当たるべしとの考えが一定数以上あったのは確かである。


 なお織田領全域で関所の統廃合が行われたのもこの時であり、過去の律令制を基にした中央集権の方針が明確になったのもこの時期である。





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