第609話・それぞれのお花見

Side:近江商人


「いったいどうなっておるのだ?」


 なんという光景だ? 関ケ原では笛や太鼓を鳴らして祭りをしておるではないか。


 浅井家が今須宿を奇襲したと聞き、織田家が報復に出るものとばかり思って、持てる限りの武具と米を持って関ケ原まで来たのに、あまりの光景にどうしていいかわからぬ。


「よう、考えることは同じだな」


「ああ、しかしこれはどういうことだ?」


 呆然としておると、顔見知りの商人が声を掛けてきた。この後に報復に出るのかとも思い、顔見知りに事情を聞くが、その答えにわしらは驚くしか出来なかった。


「報復をしないだと? これだけ兵がおってか?」


「わしの聞いた話だ。敵を欺いて夜にでも動くのかもしれんが、それはわからん」


 報復などしない。賊如きに報復などする価値もないと不破家の者が笑いながら語っておったという。それよりも今日は織田様の観桜会の祭りの日らしく、みんなで祭りを楽しむんだとか。


 織田では浅井は賊扱いなのか。


「浅井方の近隣の城では戦支度で騒がしいのだぞ」


「知らん。ただ、ものを売りたいならそっちに行くべきだな。ここだと売れん。米を炊いて握り飯にするとぼちぼち売れておるがな」


 浅井方の城では織田と戦になったと、近隣の商人から兵糧や武具を買い漁っておるというのに、関ケ原では祭りだとは。


「これが海の魚か。うめえな」


「だろ? 今度からは買ってくれよ」


 呆然としても始まらぬ。ここまで来た以上は手ぶらでは帰れぬ。祭りを見物してどうするか考えようと見渡しておると、魚の干物を焼いて配る者がおる。あれは鯵か? ここは内陸の関ケ原だぞ。


「もし、それはあじか?」


「ああ、そうだよ。食うかい?」


「ああ、いくらだ?」


「今日はお代は要らないよ」


「それでは儲からぬであろう」


「いつも儲けておるからな。祭りはみんなで楽しむのが尾張流なんだよ」


 鯵の干物は、程よい塩加減と脂が乗っておって美味い。聞けば尾張の商人らしく、観桜会に合わせて関ケ原でも祭りをするべく、わざわざ尾張から来たんだそうだ。


 近江にも越前などから海の魚は入るが、お世辞にも安いとはいえぬ。まして銭も取らずに配るなど聞いたこともない。近江には近淡海があるのに、川魚でさえ貧しき者は口に出来ぬのだ。


 よく見れば銭も取らずに配っておる者以外にも、明らかに儲けを度外視しておる者ばかりだ。聞けば尾張と美濃ばかりか伊勢の商人もおるとか。


「こっ、金色酒!?」


「なんだ、同業か。本当は領民だけなんだがな。まあいい、この場で飲むだけなら売ってやるぞ。ただし、持ち帰る気なら駄目だからな」


 どこよりも人気の屋台は金色酒だった。しかもここも恐ろしく値が安い。貧しい風体の者たちが買えるほどだ。


 思わず並んでしまったが、売っておった男はわしを見て少し顔をしかめた。なるほど、領民相手だからこそ安く売るのか。だが何故儲けを放棄するのだ?


「信じられん。少し先まで持っていくと言い値で売れるぞ」


「そんな野暮なことしねえよ。オレは久遠様に直々に頼まれてここに売りに来たんだ。賦役で頑張っておる者たちに飲ませたいからってな」


 なんと、この若い男は久遠家の出入り商人か!?


 ああ、なんと澄んだ酒だ。近江にて売られておる金色酒よりも澄んでおる。


「美味い。これが本場の金色酒か」


「ウチは混ぜ物も一切ない本物よ。ほかじゃ味わえんぞ」


 味わうために舐めるように飲んでみても味が濃くて澄んでおる。男の自慢げな表情以上のものだ。近江に出回っておる金色酒は水で薄めておるものが大半だからな。たちの悪い商人だと、そこらの濁酒を濾したものを混ぜてさらに薄める者もおるのだ。


 それでもわしのような商人では飲める値ではなく、何処の武士や僧などもありがたがって買うのだとか。


 鯵の干物とも合うなぁ。商いなんかどうでもよくなりそうだ。


「浅井様の勝てる相手じゃないな」


 近江の商人たちはこの機会に儲けようと走り回っておるが、この分だとお代を回収する前に浅井様が潰されるんじゃないのか?


 片や戦だと支度をしておるのに、こちらでは祭りだと皆が騒いでおる。面目もなにもあったもんじゃない。


 問題はわしだな。米でも炊いて損しない程度に売るしかないか。




Side:近江の方


 心地よい春の日差しの中、私と喜太郎は清洲の観桜会を行なっている寺にやって参りました。ここには民から僧侶に武士まで多くの人が集まっております。


「ははうえ、ひとがいっぱい」


 喜太郎はあまりの人の多さに驚き、私の手を強く握ってきます。思えば喜太郎は祭りというものに来たことがありません。


 斎藤家ではの子とはいえ元服前の世子が祭りに行くなど、あり得ませんでしたから。


「そうね。みんな祭りを楽しみに集まったのよ」


 ただここは尾張です。斯波家や織田家では幼い子たちも祭りに行くことを許されております。世を知らずして国は治められない。それがここでの流儀。


「これは近江の方様と喜太郎殿、祭り見物でございますか?」


「はい。ただ、慣れぬもので思わず見入っておりました」


 護衛の者たちも斎藤家の者です。慣れぬ祭りに私たちはしばらく寺の山門で立ち尽くしていると、医者でもある曲直瀬殿が通りかかり声を掛けてくださりました。


「ははは、そうでございましょう。では某が少し案内致しましょう」


 曲直瀬殿は尾張に来る前は京の都にいたというお方。さすがに人が多い祭りにも慣れておられるようでございます。


「凄い賑わいでございますね」


「京の都でもここまでの賑わいは久しいですからな。ただ尾張の者たちは慣れておる様子。ここでは祭りは珍しくありませぬ」


 噂に聞く花火や武芸大会のことでしょうか。尾張の者たちは祭りに慣れているのだとか。しかし京の都より賑わっているというのは流石に驚くしかありません。


「事前にお聞きかと思いますが、ここでは身分をかざしての振る舞いはご法度でございます。守護様ですら人が並ぶところでは並ばれております」


「はい。聞き及んでおります」


 どういう事情かは詳しくは知りませんが、尾張の祭りは身分に問わず楽しむものなのだとか。身分を振りかざすと土岐家のようになるぞと笑われてしまうそうでございます。


 並びたくなければ供の者でも並ばせればいい。そう教わりました。


「曲直瀬せんせいだ!」


「せんせいもお花見ですか?」


 しばらく屋台の出店が続くところを歩いていると、見知らぬ子たちが曲直瀬殿に駆け寄ってきました。服装からして、そこまで貧しい者ではないでしょう。


「おお、ちょうどよきところであった。そなたたちの屋台はどこにあるのじゃ?」


「こっちだよ。案内します!」


 この子たちも屋台を出しているのですか? 喜太郎よりは大きいですが、まだ幼い子だというのに。


「せんせい、この子だれ?」


「うむ、美濃斎藤家の世子である喜太郎殿だ」


「偉い子だ。若様より偉い?」


「さすがに三郎様と比べてはいかんの。竹千代殿と同じくらいじゃ」


 領民にしては身なりがよく、また身分にも恐れを抱かない子たちを、私は不思議に思っておりましたが、この子たちは久遠様が育てている孤児なのだと曲直瀬殿が教えてくださりました。


 噂で聞いたことがあります。久遠様は身寄りのない年寄りを雇い、捨て子を集めて育てていると。この子たちがその捨て子だとは。


「喜太郎様、カステイラおいしいよ。私たちが作ったの。食べて!」


「うん。たべたい」


 彼らは喜太郎にも声を掛けて、私たちにあれこれと美味しい屋台や楽しいところを教えてくれます。


 慣れていない人には優しく案内してあげなさいと教えられているのだとか。なんと素晴らしい子の育て方をしておられるのでしょう。


 喜太郎も楽しげです。立場上、同年代の者たちも気を使ってしまうので、純粋に声を掛けてくれるこの子たちには感謝しかありません。


「あっちで慶次様が絵を描いているよ」


「紙芝居はあっちだよ」


 楽しげに瞳を輝かせる喜太郎に、思わず涙が込みあげてきます。


 尾張に来て本当に良かった。




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