第594話・新美濃三人衆?

Side:不破光治


 関ケ原の普請場の一角にあるゲルの中は、意外と言えば失礼かもしれないが暖かい。無論、炭で暖をとっておるが、天幕のようなものだと聞いておったわりには屋敷より暖かいかもしれぬ。


 春の気配があるとはいえ、山には雪が見える。特に朝晩の冷え込みは死人が出ないのが不思議なほどだ。


「恐ろしきは織田だな」


 今宵は氏家殿と稲葉殿と飲んでおる。もともと同じ西美濃の国人であるわしらは特に親しいわけではないが、それなりに見知った仲ではある。


 盃に入った金色酒をくいっと飲み干した稲葉殿が、唐突に織田を恐ろしいと語るとわしと氏家殿も同意するかのように酒を飲む手が止まった。


 関ケ原には瞬く間に万を軽く超える賦役の民が集まった。銭を払い飯を食わせる織田の賦役を、他国と同じ賦役と呼んでいいのか疑問もあるが、その動員する力は恐ろしくもある。


 それにそんな大勢の賦役を当たり前のように支える銭と兵糧に恐ろしくなる。わしの城も今では大垣から送られてくる兵糧や銭でいっぱいだ。家臣たちがその量と迅速さに顔を青くしておるほどだ。


 こんな相手と戦など出来ん。織田がその気になれば美濃はすぐにまとまる。それを身をもって知ったのだからな。


「大湊からの荷も多いな」


「あそこは久遠殿には逆らえんそうだ」


 驚きなのは伊勢の大湊からの兵糧なども多いことか。わしはふとそんな疑問を口にしたが、わしらの中で一足先に織田に臣従した氏家殿がその訳を教えてくれた。


 神宮や北畠家の手前もあり大っぴらにしておらんようだが、久遠殿に逆らえんほど上手く御されておったとは。


「浅井は来ぬな。早く来ねば戦にもならなくなるぞ。まさか六角や朝倉が動くわけでもなかろう」


「浅井久政は凡将と聞くからな。なにか考えがあるのか。家中がまとまらぬのか。恐らく後者であろうな」


 ここに来てからというもの、稲葉殿は因縁ある浅井が攻めてくるのを今須宿で待っておったが、少数の奇襲もないことに肩透かしをくらったようだ。


 浅井久政の評判はよくない。臆病者でなにも出来ぬと評判だからな。


 それとこれはさっき届いた知らせだが、懸念しておった朝倉は援軍を見送った。いかにもこの一件が織田や六角の謀ではと警戒しておるらしい。


 もっともウルザ殿の読みでは、事態の推移次第では少数の援軍は来るかもしれぬということだが、狙いは言わずと知れたことだ。浅井ではなく北国街道であろう。あそこは朝倉も捨て置けん街道だからな。


「今須宿の陣地も進んでおる。稲葉殿ひとりで撃退して終わるのではないか?」


「やれと言われればやる。だが織田の殿の望みは浅井を引き込んで叩くというもの。これを機会に近隣に織田の力を見せたいのであろう」


 浅井相手にこれほどの賦役と城が要るのかという疑問は、一介の民ですら口にするほど。もっとも少し頭が回れば、これが畿内への策なのだと気付くことだが。


 稲葉殿の兵たちの士気は高い。織田からは稲葉殿ばかりか、稲葉殿が集めた兵にまで銭が出ておるそうだからな。しかも高価な鉄砲や、織田でしか扱っておらん弩まで稲葉殿に貸し与えたほどだ。


 新参の者への扱いではない。


 ここまで来ると援軍を送って今須宿で撃退してもいいようなものだが、小うるさい浅井を存分に叩く機会であることに変わりはない。


 特に浅井は先代の頃に美濃に攻めてきて好き勝手をしたからな。一旦和睦したが、それを浅井から反故にしたのだ。美濃の者からすると恨むことはあっても好むことも許すこともあるまい。


「そういえば安藤殿はいかがする気であろうな?」


「さて、頼まれぬのに臣従するには理由がないからな」


 ふと氏家殿がこの場におらん安藤殿の名を挙げた。氏家殿は早々に織田に降り、わしもそれに続いた。稲葉殿は斎藤家との繋がりと浅井の件を口実に降ったが、安藤殿は未だに動かん。


 一時、織田に臣従しておらぬ国人衆を束ねようとしておった節もあるが、国人衆の反応は芳しくなかったようだ。安藤殿は野心があるものの人望が今一つだからな。


 しかも相手は仏の弾正忠。むやみに刺激するような行動は誰も望んでおらぬ。


 安藤殿とて臣従する理由がほしいのが本音であろうな。山城守殿も新九郎殿も健在なのだ。いかに西美濃で勢力があるからといって所詮は国人でしかない。出来ることと出来ないことがある。




side:久遠一馬


 蟹江の新しい屋敷には当然ながら温泉を引いている。屋敷の温泉は家臣とかウチの関係者に開放しているが、入っているのを見たことがない。蟹江の町には公衆温泉もあるのでそっちに行っているらしい。


 代わりによく見かけるのが、エルたちアンドロイドのみんなの姿だ。今日はミレイとエミールが入っていた。


「あら、お清殿と千代女殿。久しぶりね。いらっしゃい」


 蟹江が忙しいというので視察に来たんだが、来てみればふたりは温泉に入っていたんだ。


 待っているのもなんなんで、エル、ケティ、お清ちゃん、千代女さんと一緒に入るが、ふたりはのんびりと窓から庭の景色を眺めながら入っていた。


「ミレイ、エミール。検疫が不完全ですよ」


「わかっているわ。でも検疫の概念すら知らない人たちなのよ。無駄に反発する人も多くて困っているのよね」


 エルはふたりの姿に先ほど視察した結果を注意していた。実は港の検疫が一部形式的なものになっていて徹底されていなかった。


 担当する人たちには流行り病などの防止のためと説明したんだけどね。忙しいこともあり、手抜きになっている部分があった。


 ミレイは笑って誤魔化すわけではないが、ちょっと困った笑みを見せながら説明をする。


 当然それはオレたちも理解している。もともと尾張は日ノ本を代表するような港なんてなかったんだ。津島は河川湊であるし、熱田も東海道の宿場町程度の湊しかなかった。


 普通に港を運営するだけでも経験がなくて大変なのに、検疫や防諜などやることが多い。人は随時増員しているが、大変なのは変わらないんだよね。


「そんなに反発するのか」


「他国の人に身ぐるみ剥がされて病じゃないかと疑われるのよ。当然抵抗するワケ」


 報告は上がっていた。とは言っても直接現場に来ないと大変さは実感出来ていなかったらしい。


 エミールに愚痴をこぼすように大変さを語られてしまう。


 人だけじゃない。ネズミなどの小動物も脅威だ。なるべくそれらを尾張に上陸させないようにと検疫をさせているが、評判はあまりよくないんだよね。


 とはいえこの時代の船って総じて不衛生なんだ。一番マシなのはウチの指導で改善しつつある佐治水軍の船だろう。


 ケティたちが衛生指導を行なっているし、長旅のためにも衛生の必要性を語って改善している。次点では尾張の商人の船か。一部では大湊の船もウチの真似をするように船の衛生を自主的に改善しているが。


「博多でもしないというのも、抵抗されている原因ではないでしょうか」


「そうね。それもよく言われるわ。博多どころか明や南蛮でもしてないことだから。本当はこれ、ウチの秘伝なのよ」


 抵抗されることに悩むオレたちに、千代女さんがその原因に気付いたらしい。ミレイはそんな千代女さんに感心したようにその通りだと告げる。確かに同じ商用港でもここでしかしてないからなぁ。意味を理解しないと反発もある。


 ただこうしてみると、エルたちと一緒に話に加われる千代女さんは有能なんだよね。お清ちゃんは統治より、医師か看護師向きだとケティが目を掛けている。


 ふたりは相変わらずエルたちに遠慮しているけどね、奥の序列というか自分たちの立場を気にしているんだ。


 エルたちのほうはそこまで考えてないけど。一部のオーバーテクノロジー関連の秘密以外は開示して特に隠していない。銭の鋳造とか各地に開拓地を広げていることとか、資清さんたちが知っていることではあるが、彼女たちにも教えている。


「根気強くやるしかない」


 結局この問題は、一番困難さを理解するケティの一言がすべてだった。元の世界の基準で正しいことも、この時代では意味不明なウチの習慣でしかない。


 衛生観念が周知されている元の世界ですら、子供の頃から何度も何度も教えてようやく形になることなんだ。


 こういうことは続けることがなにより大切だろう。現場の皆さんには今度お酒でも差し入れしておくか。




◆◆

不破光治。美濃と近江が行き来出来る東山道の要所である関ケ原を治める領主。


氏家殿。稲葉殿。安藤殿。史実の美濃三人衆。

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