第591話・上手くいかないこともある

Side:久遠一馬


 あれこれと順調に進んでいると思っていた矢先、懸案のひとつが拗れた。織田と今川で吉良家の扱いを話していることが吉良家に露見してしまったんだ。


 交渉内容は織田の評定衆なら知っているし、今川の重臣クラスでも知っているだろう。誰かがうっかり漏らしたのか、それとも確信犯なのかはわからない。


 エルたちも関係者すべてを監視しているわけじゃないからね。


 義統さんに抗議の文が届いたというので、信秀さん、信長さん、信康さん、政秀さん、オレとエルで急遽対処案を相談することになった。


「それで、吉良殿はなんと?」


「怒っておるわ。今川に臣従するくらいなら討ち死に覚悟で戦をすると文が届いたわ」


 詳しい内容は聞いていなかったので義統さんに聞いたが、その内容に苦笑いが出てしまう。当然だよな。あっちもこっちも邪魔者扱いなんだから。


「ならば勝手に戦をしたらよろしいのではありませぬか?」


「ところがだ。吉良はわしに臣従するとも言うてきた」


 冷たい一言で切って捨てたのは信康さんだ。しかしここで義統さんが文の続きを話すと、一同はなんとも言えぬ表情になった。


 めんどくさいことを考えたなぁ。ひとりで勝てないことも理解しているのか。


「いかがなさるので?」


「要らぬわ。なんのために家臣をそなたに仕えさせたと思っておるのだ。これ以上、身内でくだらぬ争いを起こさせぬためぞ。今更吉良など召し抱えられぬわ」


 信秀さんは表情を変えぬまま、義統さんに問い掛けた。義統さんが誰を家臣にするかは信秀さんですら口を挟めないことだ。


 ただ、義統さんは心底迷惑そうに答えた。当然だよね。太田さんとか義統さんの家臣だった人たちだって納得しないだろう。


 せっかく義統さん以下、みんなが協力して頑張っているのに、吉良家が義統さんに臣従したらろくなことがなさそう。織田に臣従するのはプライドが邪魔するんだろうか。


 さすがに史実で斯波義銀と会おうとなった時に席次で揉めたという人たちだ。


「潰すに潰せませんしね。戦をするほどの相手でもない。そこまで考えての行動だとしたらたいしたものですが……」


「最悪でも今川と斯波のいずれかに従えば、生きていけるという考えはあるはずじゃな。ただし分家の今川よりは、斯波のほうがまだこえが良いということであろうな」


 浅井とかもそうだけど、この時代の武士って意外と家の存亡とか掛かっているという意識がない。古い家だと鎌倉時代とかその前からなんてこともあるから、まさか自分の代で家が滅ぶなんて思ってもいない。


 負けたら臣従すればいいと考えるのが一般的だ。それが安易な戦に繋がるということでもある。まさか要らないと押し付けあっていたとは吉良家としては思いもしなかったのだろう。


 ただ問題は、斯波家や織田家が吉良家を潰すのは現時点では難しいということだ。潰すほどの意味がある勢力でもなく、形ばかりでも従う意思もある。加えて足利家に連なる名門を潰すと面倒になるという事実がある。


 どこまで計算ずくなのか疑問に思い、その疑問を誰というわけではないが問い掛けてみると、義統さんが答えてくれた。


「弾正忠、そなたが面倒見るか?」


「致し方ありませんな。ただし名門権門の扱いは致しませぬ。他家と同じ法を守ることが条件でございます」


 まあ吉良家の現当主である義安としても、反今川で動いているからね。今更今川には従えないという事情もあるんだろう。


 信秀さんは渋々といった様子で吉良家の受け入れを決断した。


「条件は厳しめに言うておくか。秋の武芸大会のように席次で一々不満を持たれても面倒だ。足利ゆかりの血縁で生きたくば近江の公方の下にでもゆけばいいのだ」


 ただし義統さんはそれ以上に厳しい条件を突きつけるらしい。昨年の武芸大会で北畠家の具教さんのことを不満げに見ていたこと、みんな知っているんだよね。あれがなければもう少し歓迎したんだけど。


 三河は上手くいかないなぁ。松平家も臣従と現状維持で揉めている。あちらもまた織田から臣従しろと言わないので話が進んでないらしい。


 まあ長年敵対していた相手の臣従なんてこんなものだと言えば、そうなんだろうけどさ。




「うーん。山の村に人を増員するか」


 吉良家の話も終わり屋敷に戻ったが、春の前に決めておかないと駄目なことがある。他国の忍びなどが探りにくる山の村の人員の調整だ。


 工業村とか牧場もそうだが、どうしても周囲に山しかない山の村は狙い目に見えるのだろう。


 幸いなことに椎茸栽培や炭焼きに木酢液に寒天の製造で収支は悪くない。そうそう、山の村ではマッシュルームの栽培もしている。こちらは牧場で最初にテストして山の村でも試して成功したものだ。


 マッシュルームは馬糞などを発酵させて堆肥としたものを利用して栽培している。すでにこの時代の欧州にあるものだからね。特に癖のあるきのこでもないし、ウチの領地などで使っている。


「炭焼きはそろそろ、ほかの生産拠点も考えていいんじゃないかしら」


 山の村の体制を悩んでいると、メルティが山の村の成果を普及させることを提言してきた。確かに尾張北部や美濃や奥三河など、炭焼きが出来そうな場所は多いんだよね。


 農業改革も今年は更に試験的に導入する場所が増える。ジュリアの弟子となっている武闘派とかも興味があるようで一部で試してみることになったからね。必要な技術は順次家中に広めることもいいのかもしれない。


「今年は稲の新品種を、直轄領を中心に試験栽培をする面積を増やします。こちらの指導に素直に従った者たちを中心に試験栽培をする場所の選定をしております」


「みんなが協力してくれて楽になったね」


「そうですね。本当に良かったです。ただ段階的な普及の計画は変えません。不測の事態も絶対ないとは言い切れませんので」


 それと稲作はようやく試験的に普及させる段階に入っている。農業試験村と太田さんの領地に織田家の直轄領の一部で昨年試験栽培した結果だ。


 エルもようやくこの段階にこぎつけたと嬉しそうだね。農業を始めとした第一次産業は国の基本だ。もっとも現状だと収量と病害虫や冷害に強いことを優先した品種になる。


 それでもこの時代の赤米よりは美味しいんだけど、信長さんなんかはウチが持ち込んでいる宇宙要塞産の米を植えたいらしいけどね。


 あれは現状ではウチと織田家だけでしか食べていない特別な米になっている。この時代では輸送も大変だからさ。


 更なる新品種は農民の皆さんが近代的な農法に慣れたら、順次投入すればいいだろう。まずは近代農法に慣れて習得してもらうことが最優先で、そのための育てやすい品種だ。


 ウチで用意した新品種は基本、全量をウチで買い上げだ。相場よりも高値で買い上げているし、あれF1種だからそのまま翌年植えても失敗する。


 買い上げた米は帳簿の上では織田家の管理下に納めて、現物はウチで玄米なり白米に精米した段階で、織田家から家臣たちに俸禄の一部や褒美として下賜している。そのままあげると植える人が出るだろうからさ。評判はいい。精米済みで保存には向かないが味も良く、同じ一俵の米でも籾殻もみがらが無いから実質増量しているしね。


 まあ農業改革は農地整理を含めて気長にかつ慎重にする必要がある。現時点では誰がみてもわかる成果が出ているだけで十分過ぎるほどだろう。


 ウチのようにチートがないと、数十年単位で試行錯誤が必要な案件だ。


 焦りは禁物だね。



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