第586話・山の村の冬
Side:織田信長
「これは思っておった以上の要所だな」
不破の関に関するウルザからの書状が届いた。南北を山に囲まれたかの地は、要所中の要所で間違いがないらしい。もっとも爺に言わせると古より要所であったというがな。
とはいえ久遠家でさえ同じく要所と見ておって、城が必要だというのだから古き話も無駄ではないということか。
「城と砦か」
「親父は好かんか?」
ウルザの報告に親父が一言呟くと、重臣一同が
「尾張ではな。尾張で籠城などする時点で織田は終わりだ。そこまで追い詰められたら、素直に降るほうがいい。だが美濃と近江の国境は城と砦で守るべきであろう」
なるほど。籠城など出来ぬ土地故に城には拘らなかったということか。
清洲城は今までの城とはまったく違う堅固な城だが、それでもゆくゆくは清洲の町を水堀で囲むという。とはいえそこまでしても、確かに清洲が大軍で囲まれるならば織田は終わりだな。
そういえばかずも、清洲城改築の説明をしておった時に言っておったな。籠城などする時点で終わりだと。
三河の西は
「浅井は驚くでしょうな」
「それは驚くだろう。そもそも織田は他家とは戦に対する考え方が違う。まして浅井は六角の
「浅井には対抗して城を建てる銭もあるまい。同じ立場で争えぬ策が有効なのは久遠殿でよくわかる」
反対意見はないか。当該地を治める不破が認めるとウルザの報告と共に書状を寄越したからな。他が口を出すことではないとも言えるが。
驚いたのは、織田の戦に対する考え方が違うと重臣たちが理解しておることだ。
一見するとこの策も無難なように思えるが、本筋は久遠家の今までの策と同じだ。敵が対抗出来ぬ策で戦うというもの。要所を押さえて城で固めてしまえば敵に出来ることは、対抗して城を築くか攻め寄せるか。
城を築く銭もなければ、攻め寄せる兵もおらぬ。浅井に出来ることは六角か朝倉を巻き込むことであるが、両家が浅井のためにそこまでするかと言えば怪しいな。
「東山道経由での人と商いの流れは相当なものだぞ。桑名のようにそれを締め上げれば、近淡海の湖賊や北近江の商人と浅井の繋がりに楔を打ち込める」
「あそこは、もともと浅井とさほど強い繋がりはござらぬぞ。むしろ困るのは六角であろう。あまり締め上げ過ぎて北近江が荒れれば、越前からの北国街道への影響も出る。それに叡山もあるしな。なかなか面倒な土地なのだ」
一馬とエルたちはなにも語らず重臣一同の合議を見守っておる。とはいえ不安そうな様子はない。今まで久遠家が見せてきた策を上手く利用する重臣たちに、安堵しておるようにも見える。
一馬たちはやり過ぎると面倒だと嫌うからな。重臣たちが考えてくれるのを望んでおるのか。
軽々しく絶縁状など送ってきた浅井はこのことを知れば、いかな顔をするのやら。
Side:源三
「ふむ、よい出来じゃの。これなら殿もお喜びになるであろう」
寒い冬にもかかわらずここでは忙しい。山の木々の間伐に炭焼きや寒天作りがあるからの。特に寒天はここでしか作っておらず、椎茸栽培と同じくいい銭になる。
作物も芋類はあまり苦も無く育つし、モロコシという作物もいい。
わしの役目はここでの暮らしを逐一書状にしたため那古野の殿の許に送ること。上手くいったことはもちろんながら、上手くいかぬことも記して送らねばならん。
失敗はお叱りを受けることを懸念して隠したくもなるが、久遠家では失敗よりも隠蔽が一番お叱りを受ける。失敗したこともまた経験となる。ここに来るまでわしも考えもしなかったことだ。
試行錯誤と殿は言うておられたな。失敗は皆で共有して同じ失敗をせぬように努力する。久遠家が優れておる秘訣というところか。
「爺様、また素破だ」
「始末したか?」
「ああ」
「人相書きを描いておけ」
ここの暮らしは
ただし、ここのところ困ったことがある。この山の中の村を探ろうと素破が来ることか。ここの存在は公にはしておらぬが、織田家中ではそれなりの身分ならば知らぬ者がおらぬ程度には知られておる。
久遠家の富の秘密を探ろうとやってくる者がおる。
「しかし爺様、そろそろ始末しきれんぞ」
「わかっておる。殿に書状をしたため、余すことなくお伝えするわい」
ここには鉄砲や弩などの織田でも新しき武器も十分あるし我らも弱くはないが、気が抜けぬことが増えておることは懸念しておるし、銭になる椎茸栽培を増やすにはそこを守る人手が要る。
他国からの素破が増えておることはすでに報告しておるが、この先は蚕での養蚕なども試すならば、無理だと思う前に殿にお知らせせねばならん。
「三雲の素破がまたおるぞ」
「あそこは主家の六角家にも内密に動くからの。滝川様や望月様の出世と我らの暮らしぶりがよほど気に入らんらしい」
意外なことに織田家中からの素破はまず来ぬ。殿は頼めば嫌とは言わぬが、つまらぬ策を講じると容赦せぬ面もあるからの。久遠家を敵に回す者が家中におらんことはいいが、現状で久遠家を一番敵視しておるのは甲賀の三雲家だ。
六角家がやり過ぎるなと何度も止めておるにもかかわらず、三雲家は久遠家の秘を探ろうと人を送ってくる。
何故それがわかるかと言えば、送られてきた素破が寝返っておるからだ。中には逆に三雲家を探るために三雲家に従っておるふりをしておる者もおるほどだ。
六角家と近い立場を利用して甲賀の惣を牛耳るのが三雲家の狙いだが、甲賀における三雲家の支配は驚くほど下がっておる。肝心の六角家が織田家と久遠家との融和に終始しておるからな。
滝川家の伴一族と望月家の望月一族やそれに近い者たちは、六角家と織田家の融和を支持して六角家の方針を歓迎しておる。肝心の伴一族や望月一族があまり動かぬので、むしろ六角家の統制が強まっておると聞く。
殿もその報告にさすがは管領代殿だと感心しておったほどだ。
「可哀想にな。故郷の家族が三雲の元におって逆らえんのだろう」
「三雲は伊賀のように、甲賀の棟梁になりたかったのかもしれぬな」
同じ甲賀の者とはいえ縁もゆかりもない。とはいえ以前は同じ立場だったので哀れにも思う。もっともわしらに出来るのは、せめて人として弔ってやるだけだがな。
甲斐の三つ者や相模の風魔ですら、ここには安易に探りを入れぬというのに。同じ甲賀の者が来るのが皮肉なものだ。
甲賀も今の六角家の管領代様ならいいが、代替わりしたらどうなることやら。この村に住まう者は最早甲賀に縁がない者ばかりなので構わぬが。
「そういやあ、爺様。こんなもん売れるんか?」
「さての。やってみるというところであろう」
村の若い男は報告を終えると始末した素破を弔ってやるために、わしの屋敷を出ていこうとするが、ふと置いてある木彫りの熊や狐や犬の彫像に視線を向けて不思議そうな顔をした。
手先が器用な者に作らせてみよと殿が命じられたので作らせたものだ。
出来はいいが、誰が買うのかと疑問もある。まだ仏様のほうがいいのではとも思うが、殿が山の生き物がいいとおっしゃったので作らせたのだ。
まあ、殿になにかお考えがあるのであろう。
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