第571話・年越しの八屋

Side:八五郎


 八屋は今日も朝から賑わっておる。もっとも今日は菓子の持ち帰りだけなのだが。それでも客が途絶えることはない。


 饅頭と羊羹とカステイラを作ることで精一杯なのだ。新年を迎えるので、武士、寺社、商人に、せいを出して働いた庶民に至るまであちこちから頼まれておるからな。


 饅頭はともかく、羊羹とカステイラを売っておるのは、ここと工業村の中の飯屋くらいだ。工業村の中は許可がなければ入れぬ。


 おかげで織田領中から買いに来るほどだ。昨日など美濃の斎藤様がわざわざご自身で買いに来られておった。美濃で年明けを迎えるために持ち帰る土産だそうだ。お持ちになった重箱に詰めておるのを、満面の笑みでながめておられた。


 ただ、領民は買いに来てくれるが、守護様や織田様の御家中にはさすがに届けぬわけにいかぬからな。無論、重箱持参の使いの奉公人に、今か今かと催促されることもある。あの様子では新年を祝うだけではなく、年越しのはなむけを致すのであろな。


 久遠様にお仕えしておる忍び衆の者たちも年の瀬ということで尾張に戻っておるので、彼らに手伝ってもらい頼まれた菓子を納めに行ってもらっておるくらいだ。


「なんだ、今日は飯はやってねえのか?」


「すみませんね。今日は菓子だけなのですよ。ただ、なんでもいいのならば出せます」


「そっか、悪いな。なんでもいいから食わせてくれ」


 こんな日であるが、やはり飯を食いに来る客もおる。


 もともと八屋には所帯をもっておらぬ男連中もよく来るのだ。特に三河や美濃からひとりで流れてきた流民などは、大半がひとりで暮らしておるからな。そんな者らのために具沢山の味噌汁と白い飯は用意してある。


「親父、勘定ここに置いていくぜ」


「はい、ありがとうございました。……三吉殿、銭が多いですよ」


 さっき来た男も白い飯と具沢山の味噌汁に魚を焼いたものを食べて満足げに帰っていくが、ふと見るとお代の銭が多い。常連の男にしてうっかり者だったのかと苦笑いを浮かべつつ、見渡すがすでに店を出てしまったようだ。


 男もそれほど裕福なわけではない、清洲の賦役で暮らしておる男だ。人付き合いが苦手で不愛想な男だが、ほとんど日参にっさんして来る男だ。年を越す銭には困るまいが、これがあれば酒でも飲めるはずだ。返してやらねばと慌てて追いかけていく。


「釣りはいらねえ。少ねえがそれで酒でも飲んでくれや」


「三吉殿?」


「……親父、体を労われよ。もう若くねえんだ」


 相変わらず愛想はない三吉殿だが、そんな三吉殿が少し照れくさそうに、そう言ってくれた。


「オレの親父はとっくに亡くなっていてな。実家はもう兄とその子たちで一杯だ。親父の飯が食えねえとオレは生きていけねえからな」


「三吉殿、来年もよろしくお願いいたします」


「ああ、こちらこそ来年も頼む」


 最後までこちらを向かぬ三吉殿を見送り、わしはふと一息ついた。


 雑兵にすら素破と蔑まれ、貧しい土地を耕して生きてきた。そんなわしがこれほど人様に必要とされて労いの言葉を掛けてもらえるとは。


 長生きをしておるといいこともあるものなのだな。


 共に甲賀から出てきた殿は、今日はどうされておるのだろうか。近頃はゆっくりと顔を会わせる機会もないほど、お互い忙しくなってしまった。


 年が明けたら殿の下にご挨拶に行くか。今の暮らしはすべて滝川の殿のお導きがあったればこそだからな。




Side:久遠一馬


 今年はほぼすべての家臣がそのまま帰省せず尾張で年越しを迎える。昨年まで帰っていた石舟斎さんとかも含めて。特に命じたわけではないが、尾張にみんな慣れてくれた部分もあるし、中には郷里の身代を超えてしまい面倒になった所もあるんだろう。


 大晦日の今日は、恒例となったアンドロイドのみんなが尾張に滞在しているので、ウチの屋敷は賑やかだ。年越しなんだなと実感する。


 元の世界ではあまり年越しを意識してた生活はしてなかったけど、こちらでは普通に年越しの準備をする。オレも少しは戦国時代に慣れたということだろうか。


 今川と武田は完全に戦モードだ。とは言っても実際に戦が始まるのは、いつになるかわからないが。互いに戦の準備をしつつ、諜報と謀をしているので、こちらも事態の推移を見極めていく。


 この時代でもそこまで無計画ではない。まあ、飢えれば計画の前に奪いにいくのだろうが。武田の治める甲斐は今年も不作らしく大変なようだ。甲斐の領民は負けたら飢え死にという意識もあるのが強みなのかもしれないね。


「薪割り、終了と」


 オレはさっきから薪割りをしていた。屋敷の奉公人のみんなも、最小限の人員を残して休みにしたからね。自分たちのことは自分でやる。薪割りも慣れると結構面白いし、いい運動になる。


 個人的に単純作業を黙々とやるのが苦にならない性格のせいだろうか。


 資清さんたちは最小限という扱いに少し迷うようだけど、オレたちは偉くなっても他の人みたいに暮らしを変える気はないと言ってあるので理解はしてくれている。


「申し訳ございません!!」


 割った薪を台所とおふろ場に運んでいくと、ウチでは珍しいほど切羽詰まった声で謝罪する女性の声がする。


「どうしたの?」


「お皿が一枚割れただけです」


 台所ではエルやケティが料理をしていたが、手伝っていた若い侍女さんが白磁のお皿を割っちゃったらしい。顔色を真っ青にして微かに震えながら土下座をしている。


「怪我はない? 次からは気を付けるようにね」


「本当に申し訳ございません!」


 白磁のお皿もまだ一般には売ってない高級品だからなぁ。割ったほうからすると大変なことをしたと思うのも無理はないか。


 気にするなというのも変だよね。なるべく普通に次から気を付けるようにと注意して終わりだ。ポイントは次という言葉で許すと明確にすることだろう。


 なんかここまで怯えられるとオレが暴君みたいだが、彼女の年収の数百倍の価値が付けられてるからなぁ。仕方ないね。しかも比較的新しい奉公人だし。


「接ぎましょうか? 職人街に確か職人がいたはずです」


「そうだね。それがいいかも」


 年配の滝川家の女衆の人が気を利かせて、彼女を一旦別の部屋へと連れ出した。叱られるんだろうな。でも叱ることで彼女が覚えることもあるし、精神的に楽になる部分もあるだろう。


 滝川家のみんなは、こういう時の気の使い方が上手い。


 オレは危ないから割れたお皿の破片を拾って片付けようとしたが、エルがお皿の修復についてたずねてきた。


 この時代にも金接という技法で、漆とか金を用いて割れた陶磁器を修復する職人がいる。尾張には元は畿内から流れてきた職人がいるはずだ。ウチで陶磁器をばら撒いているので繁盛しているみたい。


 一瞬そこまでしなくてもと思ったが、割った人が気にするかなと思ったので修復したほうがいいだろう。その気になれば宇宙で大量生産出来る代物なんだが。


 本当、モノの価値って人によって違うんだよね。ウチの場合は陶磁器に一筆書いた保証書のような鑑定書のようなものを付けるだけで値が一気に上がる。


 基本頼まれれば書いているが、書いても売値は変えていないし、その売値も一筆の中に入れて、転売ヤー共のウチへの責任転嫁を防ぐ。あと何処から持ってきたかわからないような骨董品を鑑定して証明書を書いてほしいなんて依頼もあるが、そちらは断っている。


 目利きが出来る人がそれで飯を食うのはいいが、ウチはそこまではやらない。価値を鑑定するだけならいいんだけど、ウチが価値を認めたこと自体が価値になるのはあまり好ましくないからね。


「おっ、酢飯か。今日はお寿司かな?」


「はい。手巻き寿司を準備しています」


 後片付けを終えて台所を見るとケティが酢飯を作っていた。大きなたらいで大量に作っていて大変そうだ。いつもながらウチの台所は、元の世界の映像アーカイブで見た、給食センター並だなぁ。


 今夜はオレとアンドロイドのみんなと、お清ちゃんと千代女さんたちで宴にするんだ。去年と違い、新しく妻として迎えたお清ちゃんと千代女さんもいるけど大丈夫かな?


「まだ、足りない」


 ケティさんは静かな闘志を燃やして酢飯を大量生産している。人数が多いこともあるけど、ケティ自体良く食べるからなぁ。それを考えているんだろう。


 よし、おれもやることは終わったし、手伝うか!!





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