第563話・武田の動き

Side:今川義元


「では同盟の再度の結びは致さぬと仰せですか?」


「信濃での同盟破りをわしが知らぬと思うのか? 誓紙への誓いも守らぬのでは話も出来んわ」


 武田から正式に同盟の結び直しを打診する使者が参った。亡くなった我が妻の代わりに、新たに晴信の娘をせがれに嫁がせ、わしの娘を晴信の嫡男に嫁がせるというものじゃ。条件は悪うない。織田と比べると武田が卑屈に見えるほどにな。


 とはいえ仏と呼ばれ信義を重んじる信秀と、同盟破りの晴信では価値がまったく違うわ。


「なんという仰りよう。あれは向こうに非があったもの。我らの御屋形様には非はございません」


「死人に口なしか? 済んでしまえばなんとでも言えるわ」


 雪斎と相談して武田とは正式に縁を切ることに致した。織田とはまだ話が付いておらぬが、所詮は信濃で負けておる武田では同盟相手として不足じゃ。


「それに、武田殿は尾張にも使者を送ったと聞くが?」


「それとこれは別の仕儀でございまする。今や尾張は様々な品を手に入れるのに欠かせぬ相手。その尾張と誼を結ぶことは当然でございましょう」


 ふん。戯言を。晴信めが織田と北条と組んでわしを孤立させようとしておること、知らぬと思うてか。


 織田と北条がそれに乗れば今川家は終わりかもしれぬがな。武田が信用出来ぬのも事実。臆してばかりではすべてを失う。ならば動かねばなるまい。




Side:真田幸綱さなだゆきつな


「おおっ、なんと賑やかな町だ」


 年の瀬も押し迫っておるこの日、甲斐から信濃と美濃を通って尾張の清洲にようやっとたどり着いた。


 信濃でも噂に聞くことが大いに増した、尾張はこれほど栄えておるとは。共にここまで旅をしてきた者たちも、清洲の人の多さと賑わいに驚きを隠せぬ様子であった。


 本来ならば年越し新年の支度をする頃だが、そうも言っておられなくなった。今川が甲斐を攻めるという噂がまことらしいからな。


 わしは甲斐の御屋形様の命で尾張の織田と誼を結び、それに備えなくてはならん。


れど、尾張は変わっておるな」


しかり、関所が少なかった。その分、一度に取られる銭は多かったが……」


 念のため来る前に尾張のことは調べさせた。特に御屋形様は素破どもを使い調べておられたので、ある程度は知っておられたが。


 いろいろ知らぬことも多かった。何処にでもあるはずの関所が、尾張では少なかったことも驚きだ。信濃では近隣の者が勝手に関所を造って税を取ることがよくあるのだが。


「清洲へ入られるには、ご芳名ほうめいといずこからいらしたのかお伺いするのが決まりとなっております」


 清洲の町を目前にして最後の関所があった。ただここでは銭を払う前に名と何処の者かと問答があるらしい。


「我らは甲斐の武田家家臣である。某は真田源太左衛門幸綱。この一行の宰領を務めておる。甲斐の御屋形様の命により尾張守護斯波様に目通りを願うために参った」


「真田様、清洲では刃傷沙汰はご身分を問わず、詮議の対象となります。お気を付けください」


「あい分かった」


 入る前にいくつかの警告をされた。清洲は人が多く、旅人も多い。諍いなどがよくあるらしいが、身分を問わず詮議を行うのでなるべくは騒ぎを起こすなということらしい。


 まあ叩きのめすくらいなら構わぬようだが、手傷を負わせれば嫌疑となるようだ。もっとも他国でそのような愚かな行為をする者など連れてきてはおらん。


「わざわざ言及するということは前例があるのか?」


「まあ、以前にさるお方の御家来が、祭りの際にぶつかった幼子を無礼討ちにすると騒ぎを起こしましてね。それ以来、刃傷沙汰には厳しいのですよ。さすがに喧嘩くらいでは騒ぎませんけどね」


 少し気になったので世間話程度に話を聞いてみるが、その話には思い当たることがあった。


「それは土岐家の者のことか?」


「はい。さようです。甲斐にまで知られておるので?」


「以前、伝聞でんぶんとも流言りゅうげんともさだからぬ噂を聞いたことがある。和睦の場で騒ぎを起こした愚か者がおるとな」


 あの話はまことであったか。あまりに愚かな話なので、織田が流した騙りかと思うたのだが。


 清洲はもともと人が多いが、今は年の瀬も間近なのでさらに人が多いらしい。ぶつかったくらいで騒ぐ旅人が多くて困っておるとのこと。


「よろしければ、こちらから先触さきぶれとして城に使いを出しておきまするが、いかがされますか?」


「よろしくお願い致す」


 少し話をして関銭を払って清洲の町へと入った。


「旅のお方、今夜の宿はお決まりで? ウチは白い飯と金色酒が付きますよ!」


 町に入ると宿屋の客引きが早くも幾人もおる。しかし白い飯と金色酒も付くとは。いくらせしめる気だ? まあ我らは宿の前に城に行かねばならぬので係わりないが。


「飴~。甘くて美味しい飴はいらんかね~」


「尾張名物うどんいかがっすか~」


 町は信じられぬほど活気がある。広く真っ直ぐな道沿いには物売りが多くおって、甲斐では高価な飴やうどんなる料理を売っておる。


「あんな者たちまで……」


 同行しておる者が思わず声をあげたのは、甲斐ならば貧しき農奴のうどのような男がわっぱと共に飴を買っておる様子を見たためか。


 茶碗一杯の飴を買ったその親子は、さとに帰って家族で食べるのであろう。嬉しそうに帰る姿にただただ見入ってしまった。


「然れば、望月の者が騒いでおったな」


「仏の弾正忠様か」


 弾正忠とはわしも名乗っておる僭称だが、ここでは使えんな。織田の信秀は正式に三河守の官位もあるが、もともと私称しておった弾正忠にも思い入れがあるのか、今でもその名で呼ばれておると聞く。


 わしと皆は顔を見合わせて、甲斐や信濃とのあまりの違いになんとも言えぬ思いを感じた。


 仏の弾正忠は、攻めた先の土地の民まで案じて飯を食わせてくれる。信義を重んじており、道理を曲げる者には容赦ないが、素直に従えば悪いようにはされない。


 あの望月の愚か者がそんな噂を信濃で言いふらしたせいで、武田家は先の戦で大きな被害を出した。御屋形様も激怒したが、今信濃の国人である望月家を潰すのはまずい。望月家は別に武田家を裏切ったわけではないのだ。


 今、望月家を潰せば、武田家に従う信濃衆がさらに動揺致そう。ただでさえ今川が甲斐を攻める支度をしておるというのに。信濃がこれ以上揺れると大変なことになる。


 それに甲賀望月家から独立した尾張望月家が、織田信秀の猶子となった久遠家に仕えておるのだ。待遇もよく働きも目覚ましいらしい。せっかく噂の南蛮渡りの久遠家と繋がりが出来たのだ。安易あんいには潰せん。


「あれはなんだ?」


「馬が箱を牽いておるのか?」


 そのまま場の雰囲気に呑まれるように城の方角に歩いておると、見たこともないものが通り過ぎていった。


「旅のお方、あれは馬車ですよ。守護様や織田様のお子の皆さまが那古野の学び舎に通っておいでなのです」


 なんだあれはと戸惑う我らに、近くで食い物を売っておった者が笑いながら教えてくれた。いかにもここでは珍しくはないが、旅の者はみんな驚くのだそうだ。


「守護家の者が出向くのか?」


「はい。尾張ではそうです。皆で学ぶことで得られるものも多いのだとか。とても楽しいのだそうですよ」


 信じられんな。斯波家は守護家で三管領の家柄であるし、織田は今や近隣を支配する者ぞ。それがわざわざ出向くのか? 師をたっとぶにしても、過ぎておる。


 理解出来ん。城に呼べばいいではないか。


 尾張はいったい、いかがなっておるのだ? 斯波家は傀儡とされておると報告にもあったのはそのせいか?


 これは織田と誼を結ぶことも一筋縄ではいかぬかもしれぬな。心して掛からねばならん。




◆◆

晴信。史実の武田信玄


真田幸綱。またの名を幸隆。史実の真田幸村の祖父となる人。


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