第557話・慰霊祭と甲斐

Side:武田晴信


 それにしても酷い結果であったな。村上の追撃は熾烈を極めておった。そんな中で信濃衆の寝返りや裏切りなど噂になったことで大混乱した。


 わしは影武者を立てて少数で退いたが、落ち武者狩りごときに後れを取って手傷を負わされるとは。一生の不覚。


 相手は誰ぞの恨みだとほざいておったゆえ、元は武士かもしれぬが。


「御屋形様、三ツ者の知らせでは、やはり今川の様子があやしゅうございます。太原雪斎和尚が自ら尾張に行ったとのこと。それと駿河では今川は尾張ではなく甲斐を攻めるとの噂がありまする」


 傷を癒しつつ、村上がこれ以上騒がぬように対処しておったところで駿河に放った子飼いの素破である三ツ者の知らせが届いた。


 まさか今川が甲斐に攻めてくるというのか? 確かに少し前から怪しき動きはあったが。


「今、攻められるとまずいですな」


「左様、信濃も盤石とは言えませぬ」


 先の大敗を引きずるのか、家中の者たちは動揺しておる。同盟などあてにならん。左様なことはわしが一番よう理解しておるわ。


 織田は強く、またたく間に大きくなった。勢いのある今の織田を攻めるのは下策だ。一方、我が武田家は信濃で敗れて戦どころではない。今川が攻めてきても驚きはないな。


「備えねばならん。弱き者は食われるのみ。そなたたちは今川に食われたいか?」


 駿河に追放した父上からはなんの音沙汰もないことも気になる。まさかこの機に今川と共に甲斐に攻めてくる気ではあるまいな?


 下手をすれば寝返りが出るぞ。至急いかにかせねばならんな。


「御屋形様、ここはいっそのこと尾張の斯波と誼を結ばれてはいかがでしょうか。それと北条とも話をしてみるべきかと」


 家中が動揺する中、弟の典厩てんきゅうが今川家を押しとどめるべく策を口にした。確かにいい策だ。


 父上がわしではなく典厩を跡継ぎにと考えたのもわかる。


 今川と敵対しておる尾張の奴輩やつばらならば話す価値はあるか。北条は厳しいであろうな。今川も信じておらぬのであろうが、駿河の河東を失ったのはわしが今川寄りの姿勢を示したこともあると恨んでおるかもしれぬ。


 然れど、手をこまねいておるわけにもいくまい。あとは駿河の父上にも探りの文を出すか。国境の近隣の国人は裏切るやもしれぬ。連中を見張る必要もあるな。


 まあ、今川との戦は父上の頃にはあったことだ。そう易々と負ける気はない。


 とはいえ、わしは少しばかりやり過ぎたところもある。武田家が困っても助けてくれる者などおるまい。国は己で守らねばならん。


 ちょうど村上との戦で、父上の頃から仕えておった煩い連中もだいぶ討たれたり、武者働きの出来ぬ身になり隠居なのだ。今ならわしの力を強める好機となろう。己のことしか考えぬ国人衆どもに振り回されるのはもうごめんだ。


 わしはこんなところで落ちぶれる男ではないぞ。義元め。後悔させてやる。




Side:久遠一馬


 慰霊祭は盛大なものになった。


 願証寺や一向衆系の寺が多いが、宗派問わずお坊さんが百人ほど集まりお経をあげる様子は元の世界では見たことがないものだね。


 本證寺の一件で亡くなった人たちの遺族も一部では来ている。本證寺の元末寺もいるが、こちらは若干肩身の狭い感じだ。


 実は三河では一向衆離れが今も続いている。織田家は一連の処罰以降は残った寺には差別をしていないが、本證寺の悪行は今も紙芝居として各地でやっている。それと尾張の寺社の僧や神職が、寺がなくなった各地を巡回して相談に乗っていたりする。


 宗教の影響力は減らしていきたいが、精神的な拠り所としてこの時代だとまだ必要な存在であることに変わりはない。


 まあ甲賀出身の忍び衆も薬師や行商人として各地に入っているし、織田家としても紙芝居などで広報活動はしている。少なくとも史実の三河一向一揆はもうないだろう。


「立派な石碑ですね」


「本證寺に従っておった僧は泣きそうな者もおるわ。そなたもなかなか恐いことをする」


 そうそう、本證寺跡地に設置する石碑が完成して同時にお披露目となった。大きいものは全長二メートルオーバーの大きな石碑だ。運んでくるのが大変だっただろうな。


 大きいのは慰霊碑としての文が書かれているが、複数あって小さいほうには本證寺の悪行と身勝手さをきちんと書いてある。これで後世にも事実が伝わるだろう。


 ところで、信秀さん。石碑を恐いと言うのはどうかと思う。根切りよりは遥かに優しいはずだ。


 放っておくと史実の織田信長のように、後世で極悪非道な魔王にされかねないからね。本当に宗教って、自分たちの過去にやっていたことを棚にあげて、やられたことばっかり伝えるんだから。中にはその上でそんな織田信長も許した自分たちのことを、暗に自画自賛するようなところもある。


 この世界では寺社の悪行もきちんと伝えて歴史として残す。イメージ優先で自分たちだけいい人になろうなんて許さない。


 無論止めようとしたお坊さんがいたことも伝える。とは言っても少しでも多くの真実を残せば、この時代の寺社が武士と大差ないということはきちんと残るだろう。


 もっとも元の世界でも、そこまで一方的な歴史が残ったわけじゃないけどね。一部のマスコミや関係者が独自の説や勝手な言い分を真実のように流すことで、作り上げたというイメージは消えることはなかったからね。


 きちんと調べれば相応の真実は残っていたが、知らない人が大勢だった。




「あれが太原雪斎か?」


「そうですわ」


 そうそう、この慰霊祭には今川家からも何人か使者がきていた。というかまた太原雪斎が使者なんだね。今川家にはほかに外交できる人材いないのか?


 ウチのメンバーで太原雪斎と直接面識があるのはシンディだけだ。昨年の熱田神社のお祭りでエルたちもちょっと見たらしいけど、オレは初めて見るな。


「なんか、やつれてないか?」


「過労気味。休養をとるべき」


 毅然として振舞っているが、なんというか顔色が悪いようにも見える。ケティは遠目から見ても過労だと断言したくらいだ。大丈夫だろうか。あの人が倒れると織田と今川は戦になる気がするんだが。


「先の清洲での会談では失態を演じたので、他人には任せられないのでしょう」


 太原雪斎が来た理由はエルが推測してくれた。今回の慰霊祭のあとで、例の期間限定での停戦交渉もあるしね。前回は互いに条件を出して終わったので、これから条件のすり合わせ交渉になる。


 ちなみに今回は斯波義統さんも慰霊祭に来ている。織田家は斯波家の家臣だしね。こうした公式行事はやはり必要なんだ。


 もっとも本人が一番喜んでいるけど。今まで尾張から出たことがなかったので、三河とはいえ他国に行くことが嬉しかったらしいね。


 それにしても歴史は面白いね。史実であった三国同盟を、織田、今川、北条でやりたいと太原雪斎は考えているらしいとは。


 武田も武田で一番苦しい時期に、全盛期の義元に目を付けられるとは運がない。


 武田は元の世界では人気があったけど、この世界ではどうなるんだろうね。今後の行方次第だといえばそうだろうが、史実で武田信玄を褒めるために書いたような、甲陽軍鑑みたいなものでも出ないと厳しいかもね。


 織田家でも武田の評判って芳しくないし、もっと言えばあまり興味もない感じがある。


 というか同盟破りは元の世界で考える以上に嫌われる。強ければまた別だが、同盟破りをしてまで弱いとなると誰も相手にしないんだよね。


 まあ武田信玄ならば、この状況からでも挽回しそうで怖いけど。





◆◆

三ツ者。武田家の忍び。

典厩。武田信繁。晴信の弟。

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