第551話・正徳寺の会談

Side:久遠一馬


 尾張と美濃の境界にあるとある寺に今日来ている。


 正徳寺。史実において織田信長と斎藤道三が会談したことで知られている寺だ。いわゆるこの一帯は寺領として独立している地域になる。


 まあ、こんな寺はこの時代は珍しくない。とはいえ、今日ここに信秀さんのお供として来たことは少し歴史の齟齬を感じてしまう。


「わざわざご足労頂き、恐悦至極に存じます」


 寺で待っていたのは道三さんだ。きっちりした正装で待つ道三さんに少し違和感があるね。


 今日ここに来たのは道三さんから、信秀さんと非公式に会いたいと頼まれたからだ。お供は三十人ほど。名目が遠乗りだからね。オレとエルに警備兵を指揮するセレスとその精鋭が護衛として付いている。


「構わん。城に籠っておるのはあまり性に合わぬからな」


「早速ですが、ご相談致したいことがございまする」


 メンバーは道三さんと側近がふたりに、信秀さんとオレとエルの三名がいるのみ。わざわざ呼び出したことに驚きもあるが、用件はある程度知っているんだよね。


「新九郎殿の奥、近江殿のことか?」


「やはりお気づきでしたか」


 来る前に信秀さんにも推測として話している。斎藤家が織田に臣従するうえで問題なのは義龍さんの奥さんである近江の方の扱いだ。


 織田と斎藤の両家の話し合いでも少し出ているが、基本的には離縁して送り返すのがこの時代の基本だ。そのつもりで織田と斎藤の両家は話をしている。


 近江の方は、北近江の浅井久政の妹になる。史実では浅井久政の娘か、その父である浅井亮政の娘かで説がわかれていたが、どうも浅井亮政の娘らしい。


 浅井家の現当主である浅井久政。史実では浅井家滅亡のきっかけを作った人物でもある。長らく評価が芳しくなかったが、いつの間にか再評価されたりする人物だ。


 北近江は歴史に詳しくないと浅井三代がまさに治める土地と錯覚するが、北近江の守護家である京極家はいまだ健在で、浅井は織田と似ていて下剋上にて治めているという形に近い。


 元の世界では同盟相手として有名な朝倉家ともそこまで親しくないようで、朝倉家と六角家の緩衝地帯として生き残っており、六角家に従属する形で京極家を抑えている現状である。


 こちらの調べたところによると、戦や略奪のことしか頭にない周囲の国人と比較して、そこまで愚か者ではないらしい。ただ、浅井久政という男は自尊心が強くて、それでいて格上には弱くへつらうが格下には強く出るような人物のようだ。


 この時代では珍しくないが、女性を自身の権力と家のための道具くらいにしか考えてないようで、そこがきっかけで近江の方との仲はよくないらしい。


 戦は苦手なようだが、時世を見ることもできるはずだし、内政も考えることができるはずの点では有能に思えるが、欠点は人望があまりないことか。まあ見方によっては時世もなにも読めない家臣が問題とも見えるが。


「実は本人が近江に帰るくらいならば、清洲に行き人質となるほうがよいと申しておりまして……。無論、某もそのようなことは許されぬと申したのですが、今度は自害してでも帰らぬと言い始めました」


 わざわざ信秀さんを呼んだのは、近江の方が帰るのが嫌だと、オレたちには至極もっともと思える意見を述べたが、この時代の武家にとっては、駄々を捏ねていると見られていることが理由だ。史実の龍興となる喜太郎君はまだ数え年で三歳になる子供であり、道三さんも孫になるので可愛がっているという事実もある。


 無論、道三さん自身はそれでも斎藤家のために返すことも覚悟していたらしいが、浅井久政の気性と六角に反発する家臣たちでは、格下と見ている斎藤家から娘を返されたり自害されると美濃に攻めてこないとも限らない。


 その対応に苦慮したというのが現状になる。


「くっくっくっ。美濃の蝮も勝てぬ者がおったか」


「面目次第もございません」


 信秀さんは笑っていた。まあ最近まではライバルだった相手なんだ。主家を暗殺したなんて噂があるほどの人物であるのにもかかわらず、嫁と孫に苦慮する姿が面白かったのだろう。


「さて、いかがするか。一馬、エル。いかに思う」


「本人と会われてみたら、いかがですか?」


「単純に六角家と交渉されたほうがよいのではないでしょうか。浅井家は六角家に従属しております。美濃方面への野心もあまりないようなので、上手く取り計らっていただけるかと」


 とはいえ笑ってばかりもいられない。浅井家の問題は結構面倒だ。


 オレの考えとしては近江の方に会って見極めたほうがいいと思うが、エルは単純に六角家に丸投げでいいのではないかと告げた。


 確かに六角家の現当主である定頼は幕府管領代として全盛期で、浅井家に対して絶大な影響力がある。子分の面倒は親分が見ろということか。


 何気にエルも厄介事はごめんだと考えているのがわかるな。


「それは某も考え申したが、某では身分が足りませぬ」


「ふむ、守護様にお願いするしかあるまいな。三好が思うた以上に揺るがず威を振るっておる。管領代殿も少し気になっておろう。山城、摂津から目が離せぬのに、まさか背後の美濃と尾張を敵にするまい。浅井家の恨みを買うかもしれんが……」


 どうやら道三さんも同じことを考えていたらしい。信秀さんは六角家に正式に頼むなら守護の義統さんに頼まないと無理だと考えをめぐらすが、同時に浅井家の恨みを買う損得を考えている様子だ。


「この件、どうあっても浅井は面白くないと思います。返すのが一番無難ですが、その本人が帰りたくないと言った時点で面目が丸潰れですので。無理に返して諍いでも起きれば、恨まれるのは織田家と斎藤家です。むしろ浅井を無視して六角家と朝倉家と誼を深めるべきかと思います」


 エルは返すのを強要することには反対か。浅井を無視するようにと進言をしている。


 織田家と六角家との関係はいい。陸路の商いは六角領を通るので、安易に関係を壊せないというのもあるが、尾張から畿内への物の流れは大湊からの海路と六角領を通る陸路になるんだ。その利は六角家としても手放せないだろう。


 それと朝倉家だが、史実では最後の当主となった朝倉義景こと朝倉延景と信秀さんは手紙のやり取りがある。


 昨年の花火大会で越前の公家が来て以降、織田からは陶磁器や紅茶を送ったりしているし、朝倉家からは絹織物なんかが届く程度の親交はある。


 朝倉家は斯波家と因縁があるのであまり大っぴらに関係を良くはできないが、相手は一向衆と組んで越前に攻めてくるのではと警戒していたし、こちらは美濃に攻めてくることを警戒していた。


 とりあえずその心配はないというか、疑心暗鬼で敵対する事態は避けようというのが両家の現状になる。


 朝倉家も織田とウチの力を概ね理解しているからね。越前にある湊の繁栄をもたらしている日本海航路は昔から北は蝦夷に南は明や朝鮮からの品が行き交うので、ウチの影響力を現段階でも理解しているんだ。手強い相手だよ。


 それに朝倉家では絶対的な存在である朝倉宗滴も未だに健在だ。現段階で織田との戦が割に合わないのを向こうも知っている。


「一度うてみるか。新九郎殿を茶会に招待する。奥方と息子を同伴で来るがいい。織田では花火大会の際には願証寺の証恵を妻子と共に招いて宴をしたこともある。その程度ならば騒がれまい」


 しばし沈黙が辺りを支配したが、信秀さんは問題となる近江の方と会うことにしたらしい。


 この時代の価値観でいえば、家と家の関係の上で嫁入り嫁取りをした相手に対して、ここまで配慮するのはまずあり得ない。


 これは確実にエルたちの影響だろう。時勢や世の流れを見極めて帰りたくないと言っているのか、ただのお馬鹿さんなのか見極める必要はあると考えてもおかしくない。


 近江の方と喜太郎君は将来的に浅井家と戦になったら、北近江を切り取る名目として使えなくもない。多少強引な解釈になるが。


 

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