第452話・信長と信清

Side:久遠一馬


 石山本願寺からの返事はまだ来ない。距離もあるし難しい問題なのは理解するが、時間が空けば空くほど不利になることにまでは頭が回らないのだろうか。


 三河の元本證寺系の寺は、結局、願証寺がある程度だが面倒を見ている。むろん信秀さんの許可のもとでだ。


 こちらも外部から人を連れてこないとか、停止中の守護使不入はそのままにするという制約は付けたが。他宗派への鞍替えや寺領の領民から不満も出ていたので、願証寺としては動かざるを得なかったのだろう。


 この件は対一向衆の戦略として、熱田や津島の神職に尾張の一向宗以外の寺の者が三河の支援として入っていたので、このままでは一向宗の信徒が減るばかりで先細りだとの危機感があったんだと思う。


 ただ、願証寺としては大変だろう。周りの織田領では冬の期間も飢え死にしないようにと賦役をしていたが、一向宗の寺領の領民は対象外だったんだから。


 一部の寺では完全に織田に従うことと引き換えに、支援を頼んできたところもある。一向宗の寺も千差万別だ。ある程度食えるところは様子見だが、食えないところは動かざるを得ない。


 特に、一揆に参加しなかった寺ほど、まともな坊さんがいる寺だからね。寺領の領民が飢えていくのを黙ってみていられなかったのだろう。


 願証寺としては信仰を守れるなら、織田への完全な臣従でもいいと考えているようだ。


 まあ、そうでもしないと三河の一向宗が完全に消えてなくなる、なんてこともあり得ると気付いたらしい。


 松平宗家は中立に傾きつつある。今川家が西三河への関与を減らし、多少の影響力は残しつつもある程度は自由にさせて様子をみていることもある。


 これを喜ぶ者と困惑する者、苦々しく思う者など反応は様々だ。


 今川との関係を重視してきた国人衆なんかは喜んではいない。先日話題になった吉良家もそうだ。まあそれでも三河は前よりはマシになった。


「織田十郎左衛門信清でござる」


「久遠一馬です。何度かお会いしておりますが、こうして直にお話しするのは初めてですね」


 そろそろバレンタインの季節だ……けどこの時代にはないしね。しかも旧暦だし。


 この日、那古野城にやってきたのは織田信清さん。二十歳くらいの若者だ。信長さんより年上らしい。


 犬山城の織田信康さんの嫡男で、史実では織田信長と対立して武田に逃げて犬山鉄斎と称した人だ。


 別にオレが彼を呼んだわけじゃないんだ。信康さんに頼まれたんだ。信長さんのもとで息子を使ってやってほしいと。


 信康さんは先の三河の戦では、先遣隊の大将として織田の領地を守りつつ、本證寺を追い詰めた人だ。


 今回のことはどうも三河の一件が理由らしい。もともと信康さんは戦のみならず政もわかる人らしい。犬山が遠いのであんまり接点がなかったが、三河でウルザとヒルザと共に戦ったことで、息子を信長さんの近習として学ばせてやりたいと頼まれたんだよね。


 ウルザとヒルザいわく、信康さんは話のわかる人だったと。戦略的な視点とか今後の織田家での地位の確保などいろいろ考えた結果だろう。


「それで、某はなにをすればよろしいのでしょう」


 応対したのはオレと信長さんだ。信清さんの表情は硬い。緊張しているんだろうか。それとも面白くないんだろうか。


「まずはあちこち見聞して参れ。今の尾張は日々変わっておるのだ」


 信長さんにとってはいとこか。ってオレもそうなのか。


 さっき聞いたら、信清さんとはそんなに親しくもないらしい。信長さんとどうしようかと相談していたんだが、この人あんまり犬山の領地から出ないらしいから、まずはあちこち見学させることにしたんだ。


 実は学校に入れてしまえばいいとも思ったんだが、この時代は二十歳って働き盛りなんだよね。現状では学校の平均年齢はもう少し低い。


 学校に入れて、信清さんは役に立たないと思ったように受け取られても困るし。


 ただ、今のままだと正直使いにくい人で、役に立つとは言えない。まあ、弾正忠家の急激な改革を直に見ていない人はほとんどついてこられないのが現状だけどね。あちこち見て本人の志望を聞いて教えていくしかないか。


 この世界ではどう考えても信清さんが敵対なんてなさそうだし。活躍の場を探してあげないと。


「お話は終わりましたか? 菓子でもいかがでしょう」


「おおっ、いいな」


 とりあえず社会勉強で決まった頃、帰蝶さんが菓子を持ってきた。カステラだね。信長さんの表情が明るくなった。


 これは那古野城の料理人のカステラだな。オレ、最近味がわかる男になったんだ。


「これはおいしゅうございますな」


「であろう? 近頃では砂糖や蜂蜜が入っておる菓子が売られ始めたが、まだまだかずのところの菓子には及ばん」


 信清さんは菓子が珍しかったんだろう。あまり変わらなかった表情が変わった。


 好きなことになると口下手な信長さんも饒舌になる。信清さん相手に喜々とした表情で菓子の話をしているよ。


「オレはな。皆が少し頑張れば酒や菓子が食える国にしたいのだ。そのために織田は動いておる」


「……質素倹約が美徳だという者もおりますが」


「では皆で貧しく雑穀の粥を食うのか? まさか武士が食わんものを領民が食うのを認めるわけにはいくまい。それに、武士が食べるものは百姓が作っておるのだ。我らが食ってやらねば百姓も困るであろう」


「いえ、某はただ若様のお考えをお聞きしたく……」


 信清さんはやはり真面目なんだろうか。遠慮しがちに質素倹約ということを口にした。実はこの言葉もよく言われていることだ。ウチと織田家は贅沢をしているのだと。


 武士は質素倹約に励み武芸に汗を流すという価値観があるらしい。一種の理想なんだろう。むろん間違ってもいないんだけどね。特に、お金の出どころは元の世界で言う税金だからね。税金として考えるならば、私的な贅沢に使うのは問題だと思う。


 一方の経済で考えると、上の人間から率先して使わないとお金が回らない。それに文化や食生活を豊かにしないと、いつまでたっても時代は変わらないだろう。


「倹約してその銭で戦でもするか? だがこの菓子に使われておる砂糖にしても高値で売れてゆくのだ。国を富ませて更に力をつけて、戦わずして隣国を屈服させるのも間違いではあるまい。無駄なことなどないのだ。そなたに領内を見聞して参れと言ったのも、そのためだ」


 信長さんも少し変わったね。自分から考えや理想を語るようになった。


 政秀さんが前に言っていた。以前の信長さんはなにを考えているか政秀さんですらよくわからなかったんだって。


 まあ、信清さんは特に親しくもなく接点もなかっただけに、変なわだかまりもないんだろうけどね。


 信清さんに限らず質素倹約と口にする人は、経済を理解していない人がほとんどだ。当人たちの気質が武官であり、文官ではないということも影響しているんだろう。軍人が税金で贅沢な生活をしているのは、確かにおかしな話ではある。


 ただし、この時代では税金の価値観も違えば仕組みも違う。個人の収入と税金の区別がないからね。一概には責められない。


「まあ、それ以外にもいろいろやってますけどね。米が多く採れるようにするとか、飢饉に備えた対策もしています。やることが多くて大変なので十郎左衛門殿が来てくれて助かりますよ」


 織田家とウチがやっていること。知っている人は、知りたいと動いたか、知らされたからこそ知っているが、知らない人は、元から蚊帳の外だから知らないんだよね。


 情報格差っていうのかな? 自分で情報を集めないと外のことは全く知らない未知の世界になってしまうからね。元の世界でも、山奥で敢えてメディアに触れず、近所付き合いもない状況で生活していたら、世の中の変化なんか全くわからないからね。まあ、さすがに飢饉対策の備蓄ぐらいは知っていると思うけど。


 最近の事業としては領内の一定の基準で選定された場所に拠点となる公民館を建てるべく、調整しているところだ。三河の安祥と美濃の大垣に作る診療所も、公民館の機能を併設させるべく検討している。


 一次目的は子供たちに基礎的な学問を教えることと、住民が集まり会合をしたりする場所を提供することだ。二次目的として、巡回診療に、織田の施策の広報である紙芝居やかわら版の地域拠点の機能があってもいい。


 一次目的はどちらも現在は寺社が担っている。それを完全には否定はしないが、宗教と教育は別にしたいし、領民が頼る場所を提供することで寺社の影響力を減らしたい思惑もある。


 公共のサービスは統治者がおこなうべきだし、直轄領にのみ整備することで、各地の国人衆の影響力も落としたいしね。


 エルたちと今考えている最新の案件は、公営市場を作ることだ。


 現状では先物取引もなければ常設の市場もない。商人が自由にとも勝手にとも言える形で物を売り買いしている状況だ。それが悪いこととは一概には言えないが、農民や職人の無知に付け込むのが平素の商い、金勘定かねかんじょういやしいとか言って、自身の無知から目を背けている武士を丸め込んで、その領地丸ごと駄目にできれば大商いと、豪語する悪徳商人がいるのが現実だ。


 そこに織田家が公営市場を開き、米や麦に大豆、塩などの重要産物に対しては市場を通した競争入札を取り入れることで、領民が市場価格で品物を売り買い出来る仕組みを作れるようにしたいんだ。売り主を明確にすれば、石を混ぜて嵩増しするようなことも自然に淘汰できるだろうしね。


 ぶっちゃけ、ウチが価格調整をやりやすくなるんだ。美濃の時は利用したが、米の乱高下は正直避けたい。


 仕事はいくらでもある。信清さんには頑張ってほしいモノだ。



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