第450話・とある商人の尾張訪問

Side:名もなき堺の弱小商人


 なんと大きな湊と町だ。本当にここが数年前まで、村落すらなかったというのか?湊では黒い南蛮船や多くの船が接岸して荷を下ろしておる。


 途中に寄った大湊も栄えておったが、ここも凄いな。町ではあちこちで家を建てておるではないか。


「駄目だ。駄目だ。堺の商人には売れん。帰ってくれ」


 わしが尾張まで来た理由は、もちろん仕入れだ。金色酒は無理でも硝石や絹は欲しいと思うて来たのだが、どこも怪しげな者を見るような目で見て門前払いだ。


 噂以上に堺を毛嫌いしておるらしい。何故だ?


「まあ、遠いところから来たんだ。話くらいはしてやるが、恨むなら織田様にむかって偽手形や偽金色酒を造っておるそっちの商人を恨め。尾張じゃ堺の商人を見たら、騙しに来たと思えというんだ」


 何軒か商家を回っておると、ようやく話を聞いてくれる者がおった。


 織田と堺の関係が拗れておるとは堺を出る前に聞いておった。駄目なら織田と敵対しておる駿河にでも行けばいいとも言われておったが、本当に駿河まで行かねばならぬのやもしれぬ。だが、駿河などに何がある?


「わしは人を騙したことはないぞ」


「そうかもしれん。だが、あんたがそうだと誰があかしてする? まあ手ぶらじゃ帰れんのだろうな。どうしても困っておるなら伊勢の宇治か山田に行けばいい。硝石は無理でも絹くらいは売ってもらえるだろう。ここじゃ、無理だ。久遠様は不義理を嫌うからな。堺の商人は相手にしておらん」


 人がいいのだろう。わしは特に銭を出してもおらぬのに、この商人はここ蟹江の商人たちの冷たい態度の理由を教えてくれた。


 そもそも尾張には堺の商人を名乗る者はほとんど来ないらしい。堺の商人は西国や遠方の商人の名を騙って、商いをしようとするとか。


 少額でまともな取引なら見逃しておるそうだ。言葉遣いで見透みすかされておるようだがな。


「久遠様が来る前が酷かったからな。堺は。言い値でなくば売らぬし、おのれたちで造った悪銭を平気で寄越す。そもそも気に入らん商人を排除しておったのは、そっちだろう?」


 そうだ。堺は東の商人には随分と横柄な態度で買い叩いておった。二束三文で買い叩き、高値で売る。まあ堺に限らず、どこもそんなもんだが。


 結局は尾張の商人が堺の上に立ったということか。少なくとも堺と取引をしなくて困ったとは聞いておらん。


「久遠様に会えるか?」


「無理に決まっておるだろ。久遠様は織田の大殿様の猶子だぞ。だが、ご家中の湊屋様になら、紹介状でもあれば会えるぞ。湊屋様は大湊の会合衆だったお人だ。そっちに伝手でもあれば紹介状でも貰ってこい」


 無理だ。そんな伝手があればこんなところに来てはおらん。


 駄目か。せっかく来たのだ。もう少し尾張を見て歩き、伊勢で仕入れて帰るか。




 蟹江の旅籠は、まだ出来たばかりの木の匂いがいいところだった。


「いらっしゃいませ。お泊りで?」


「ああ、一晩頼む」


「借り切りの部屋と寄り合いの大部屋があります。あと部屋付きのまかないとお酒も選べますよ」


 驚いたのはここの旅籠はいろいろと選べるらしい。大抵のところは一晩泊って飯が食えるが、部屋と飯や酒が選べるとは嬉しい。


 驚いたのはそればかりではない。この蟹江には温泉があるらしい。あいにくと宿には温泉を引いておらんようだが、近くに入れる湯屋があるという。


 せっかくなので供のものと一緒に借り切りの部屋にして、飯もいいものにしてみるか。なんでも金色酒が飲めるらしい。商人には売らぬがここで飲むだけならば誰にでも売ってくれるという。しかも安い。


 そうだ。飯の前に温泉に行くか。


「おおっ、これはいい湯だ」


 寒い季節だからか温泉は混雑しておる。旅の者から地元の者まで様々だ。旅の疲れも吹き飛ぶようだわ。


 滅多に入れぬ温泉に、わしと供の者はついつい長湯してしまった。


 火照る体を冷ますように町を少し歩く。近隣には遊女屋や飯屋も多いな。銭があれば、さぞ楽しかろう。


 入りたくなるのを、目を逸らし口を固く結んでこらえて旅籠に戻ると、飯のときになっておった。


「おおっ、これは豪勢だな」


 飯は部屋でゆっくりと食えるらしい。ふたりでは多いほどの鍋がぐつぐつと煮えておる。


 魚もある。やはり海が近いところはいいな。


「むっ、これは……団子か?」


「ああ、それは麦を粉にして練ったものですよ。水団とここでは呼んでいます」


 団子に似ておるな。旅籠の者の話では、尾張では麦や蕎麦などを粉にすることが流行っておるらしい。


 うむ。もちもちとした白い水団に味噌の汁が絡んで美味い。


 畿内の水団とは違うが、本当に美味いな。魚も塩加減がいい。


 さあ、お目当ての金色酒だ。


「これはまた、堺のものとまったく違うな」


 わしなどでは相手にもしてくれん堺の豪商が、南蛮の金色酒だと称して売っておる酒を飲んだことがあるが。まったく違う。


 余計な雑味がないな。甘くもなく、いったいなんの酒なのだ?


 結構な値がかかるが、同じものを堺で飲み食いしようと思えば、十倍でも足りんかもしれん。


 堺では会合衆以下、尾張など田舎だと未だに見下しておる。本当にこのままでいいのか?


 このままでは尾張に取って代わられるのではないのか?


 まあ、堺がどうなろうが。わしには関係ないがな。所詮は吹けば飛ぶようなしがない商人でしかない。


 ああ、ここはいいな。酒も飯も美味いし温泉もある。このあとは清洲と那古野にいくつもりであったが、帰る前にもう一度寄って帰ろうか。




Side:久遠一馬


「警備兵を織田家の直轄にして戦に使わないことにしたから、ウチの兵が足りなくなっちゃったね」


 この日オレはロボとブランカをブラッシングしながら、喫緊の課題をエルとセレスと資清さんとで相談していた。


 警備兵を治安維持の専門部隊にすると、三河の時みたいにウチが預かって使うことが出来なくなる。


 もともと警備兵は織田家に所属していながら、ウチが管理して使っている兵となっていた。いささか問題もあるので完全に織田家に移管したのだが、そうすると戦で使える兵が足りなくなる。


 特に部隊長とかこの時代でいえば足軽大将か、一般兵を直接指揮する人が足りなくなるんだ。


「基礎訓練は警備兵と共通でいいと思います。織田家の警備兵と共に当家の武官も育てるべきでしょう」


「そうですね。ただ新兵の育成には時間がかかります。現状でも警備兵から衛生兵や文官に配置転換している者がおりますので、当家でもいくらか引き抜けるかと」


 エルは今から武官の育成に踏み切るべきだと考えるのか。警備兵は相変わらず人が足りない。まとめて育てて、あとで希望と適性から割り振るのもいいか。


 ただ、セレスは今のうちにいくらか引き抜くべきとの意見だ。当分戦はないとは思うが、どうなるかわからないからね。引き抜くなら早いほうがいいか。


「忍び衆からも人を出すことが出来まする。得手不得手があり、他国でのお役目に向かぬ者もおりますれば……」


 そんなふたりの意見を聞いた資清さんからは、忍び衆からの配置換えを進言してきた。


 確かに忍び衆は数が増えたからね。腕利きはウルザとヒルザが引っ張っていったが、まだまだ戦で使える人はいるか。


 ウチは特に諜報活動は大人しく問題を起こさないようにしているから、腕っぷしに自信がある忍びは使いどころが難しい人もいる。


「まずは家中からも志願者を募るか。血縁者とかでもいいから。特に機密を扱うわけではないからね。指導でどうにかなるだろ?」


「はい。使えるようにします」


 他所から引き抜く前にまずは家中で集めようか。ウチの家臣や忍び衆もぼちぼち増えている。それに古参の家臣や忍び衆は、親戚縁者が頼ってきて面倒を見ている人も多いんだ。


 武官は忍び衆より機密を扱わないから、そこまで厳密に人柄や素行、背景を精査しなくてもいいしね。


 育成はセレスにお任せだ。すずとチェリーにも手伝ってもらおう。


 あのふたりは騒ぎも起こすが優秀なのも確かなんだ。


 セレスもいるし、多分大丈夫だろう。


 

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