第424話・戦々恐々とする者たち

Side:太原雪斎


「本證寺が落ちたか」


「はっ、ことごとまさに焼け落ちておりまする」


 織田と本證寺の戦を確認に放った物見の素破が戻ってきたが、思わずため息がこぼれそうになるわ。


 勝鬘寺を先に落としておいて本当によう思う。いたために被害も相応に出たが、こちらが勝鬘寺を落とす前に本證寺を落とされては、今川家の沽券に関わる。


 もう織田は格上なのじゃ。せめてこの件で織田に今川家の断固たる姿勢を見せねば、今後の交渉も出来なくなるわ。


 しかし内輪揉めした本證寺に織田が負けるとは思わなんだが、ろくな抵抗も許さずほぼ無傷で勝つとはな。


 この辺りの一向衆の拠点じゃぞ?


「やはり久遠の戦はそれほどまでに違うのか?」


「はっ。鉄砲の数が桁違いでございました。ほかにも木を組んだ見知らぬモノで、石かなにかを本證寺の中に撃ち込んでおった様子。それと鉄砲の音より大きな音が、本證寺の中から絶え間なくしておりました。恐らくは金色砲かと思われますが……」


 肝心の久遠は、相も変わらずよくわからぬ戦をしておるか。金色砲はわかるが、投石でもしておったのか?


 しかも織田はそのままの勢いで抵抗しておる末端の寺を次々と潰しておる。


 加賀のようになることも十分あり得たのじゃ。それがこれほどまでにかたよいちじるしき流れになるとは……。


 こちらも勝鬘寺を落として西三河で一揆を起こしたところを叩いておるが、まだまだ予断を許さぬ不穏な情勢でもある。


 嘆かわしいことに武功が欲しいという理由だけで、織田との戦を主張する者が少なからずおるのじゃ。


 しかもそのような者に限って、戦は時の運だと知ったような口を利くのだから始末に負えん。しかも、こちらの兵力は織田の半分なのじゃぞ。時の運で戦に勝てるのならば苦労せぬわ。


 もはや、問題はこの事態をいかに収めるかじゃな。なんとしても、織田との関係改善の糸口とせねばならぬな。




Side:久遠一馬


 西三河の情勢は、矢作川を挟んで織田と今川が睨み合う状況が今回の戦で変わってしまった。矢作川の東側からも織田に味方した国人が出たため、織田の勢力圏が矢作川を越えてしまったのだ。


 国人勢力の大小は別にして、有名どころでは吉良家が織田に味方すると多少の兵を出している。ただ、あそこは遠江にあった領地を今川家に奪われた因縁があるらしいからなぁ。


 目的は織田に味方して遠江の領地を取り戻すことだろう。


 ちなみにこの吉良家は、足利家に連なる名門としてこの時代でも有名だが、史実ではかの有名な忠臣蔵で討たれた吉良家の祖先となる。


 それは余談だが、三河の国人衆の大半が織田に心から臣従するというよりは勝ち馬に乗る目的や、本證寺に借金がありそれを踏み倒す目的など、必ずしも戦後も織田に従うか怪しいところも少なくない。


 まあ矢作川より西の国人衆のように支援は欲しいが『領地は認めろ。口は出すな』というのが彼らの本音だろう。


 もっとも戦になれば働く気はあるようなので、この時代としては一般的な対応なのだろうが。




「それで…、本願寺は本證寺を破門にすると?」


「はっ、遅くなり申し訳ありませぬ」


 本證寺との戦が終わった数日後に、やっと石山本願寺からの使者が来た。


 距離的なことを考えれば早い到着なんだろうが、一足以上に遅かったね。


 すでに三河三ヶ寺と言われた本願寺系の寺は、未だに内乱が続いている上宮寺以外は物理的に存在しないと聞き驚いている。


 本願寺のトップである本願寺証如は破門を決断したが、まさか破門を告げる使者の到着を前に本證寺が滅ぼされるとは思っていなかったのだろう。


「本願寺はこの始末、如何につける気だ? わしとしては本證寺にまつわる者は全て裁いて責を負わせるつもりだが?」


「暫しお待ちいただけませぬか? 拙僧の一存では答えられませぬ」


「よかろう。ただし上宮寺には直ちに破門を伝えろ。すぐに降伏せねば、あそこも攻め落とす」


「はっ、かしこまりました」


 やっぱり使者はこの場ではなにも決められなかったか。


 石山本願寺としては破門をしてから、攻めるなり降伏させるなりすればいい程度の認識だったのだろう。


 ところが、いざ来てみたら既に戦は終わっていたのだから、遅いと言われても仕方ないよね。しかも、派遣した使者の立場では戦後の交渉もできない。もし、使者が間に合わないことを考慮していれば、この場で交渉ができる高僧を使者として派遣していたはずだ。


 ただ、見方を変えれば石山本願寺は、本證寺に対する監督責任を放棄しなかったとみることもできるのか。無論、この時代にそんな考えがあるのかはオレにはわからないが。少なくとも、この件は本願寺とは無関係だとは考えていないのだろう。本證寺の後始末の交渉の席につく気はあるようだからな。


 問題は捕虜に本證寺のトップである玄海上人がいることだろう。身分があるし、さすがに見捨てられないはずだ。


 この人は織田にとっても本願寺にとっても、切り札にもババにもなるジョーカーなのかもしれないね。




 後日、上宮寺は織田が攻め落とした。本願寺の使者の破門通告も無視されたので、結局は織田が処断する形になったのだ。


 上宮寺は、松平家次と一揆勢が騙し討ちするような形で中立派から奪ったところなので、寺の防備の一部が破壊されていたことや、桜井松平家の家臣や一揆勢の一部が逃げたりして組織だった抵抗はほとんどなかったらしい。


 現在、織田側の軍勢は一揆に加担したほかの寺の制圧、または、接収する作業を続けていて、ウチではジュリアたちが寺の制圧に参加しているし、ケティたちは戦の負傷者の治療などで忙しい。


「それにしても、人って勝手だね。ウチも他人のことをとやかく言えないけど」


「当然ですよ。皆さん生きていくのに必死なのですから」


 オレはエルやメルティに太田さんや一益さんと一緒に、織田家の文官衆と戦後処理の下準備をしている。


 本證寺の生き残りや願証寺に三河の国人衆たちは、戦後の三河織田領での一向宗の扱いで様々な働きかけをしてきている。


 他には成り行きで増えた矢作川より東の国人衆の扱いも、決めなくてはならない。


 基本的には織田分国法と検地と人口調査の三点セットを受け入れるのが、臣従の条件になる。


 というか尾張や美濃で散々やっている政策なのに、未だに寝耳に水だと反発する国人や土豪がいるのが驚きだ。


 エルたちは当然の反応だと冷静だが、オレとすれば従わない人は独立領主としてご自由にどうぞという以外にはない。


 この時代としては普通の反応なんだし、時代の先を行く統治方法を試みている織田が異質なのは理解するから一概に非難する気もないけどね。


「しかし、新しい領地が増える度に、これを繰り返すのか」


 ただ面倒なのは、また家柄とか先祖代々のなんちゃらとか言う人がいることだろう。


 それを言えば配慮してくれると思っているらしい。


「うふふ。放っておくのが一番よ。どうせなにも出来ないんだから」


 オレに権威とか家柄とか言われても考慮しないのに、それがわからない人に嫌気がさす。まぁ、この時代に自分を売り込む方法は、自己の能力や実績ではなく、怪しげな先祖の権威や家柄を誇ることだからな。諦めるしかないか。だけどメルティはそんなオレと対照的に、最早眼中にないようであっさりしている。


 確かに最低限の情報収集すらしない国人や土豪なんて放置でいいか。


 ただ三河と違い雰囲気が対照的なのは美濃衆になる。あっちは必死だ。


 家柄とか先祖代々とか言える余裕すらなくなりつつあるからね。中立として様子見だった間に、織田家はどんどん大きくなっている。


 先に臣従した者とは生活から織田家での待遇や地位に至るまで、明らかな格差が生まれている。それは旧来の秩序や関係性とは全く違うものなんだ。


 斎藤家が臣従しないからと中立だった者が多いが、斎藤家は織田家の姻戚として遇されても国人衆レベルはそうはいかない。


 気が付いたら中立の自分たちだけ置いてけぼりだからね。


 実際のところ今回の戦でも美濃衆の活躍は凄かった。斎藤家からは義龍さんが来ているし、美濃三人衆なんかも活躍していた。


「あとは今川なんだよなぁ。来るかな?」


「太原雪斎殿にその気はありませんよ。ただ、今川家中では戦を望む者が多いと思います。家中の統制をどこまでできるかですね」


 残る最大の懸案は今川だ。あそこが来ると来年の冬に、また三河に来ないといけなくなる。


 エルは戦にはならないだろうと予測しているが、それでも準備は欠かせないのが現状なんだろう。


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