第391話・お清と千代女・その二
Side:滝川お清
いつの間にか夜明けです。こんなに眠れなかったのは初めてかもしれません。
いつか他家の嫁に行くのは女として当然のこと。わかっていたはずなのに……。身分が違うということなのでしょうか。
求められて嫁に行くのが幸せというものなのでしょう。
尾張に来てもうすぐ二年になりますが、本当に楽しかったです。戸惑うことも多く、よくわからないことも多かったのも事実ですが。
頑張って働いた自身の禄で、反物を買って着物を
私たちから側室にしてほしいとは言ってはいけない。それはわたしにもわかります。
エル様はわたしたちの気持ちを聞いてくださいましたが、命じていただけないということは、やはり殿も御方様たちも、わたしのことが必要ではないということでしょう。
母も祖母も家同士で決めた他家である滝川家に嫁に来たのです。わたしもそれが当然。大丈夫です。わたしは久遠家のため滝川家のため、何処にでも嫁に行く覚悟があります。
Side:望月千代女
夢を見ていました。なかなか寝付けず起きているのか夢なのかわからぬ中、貧しい信濃に嫁いで、甲斐に従い苦労する夢を見てしまいました。
父上は尾張に来る前に久遠家への仕官が叶わねば、信濃の本家に嫁に出すといっておりましたから。そのせいでしょう。
近江の中でも決して裕福と言えぬ甲賀に生まれた父上は、旧主である六角家に従っておりました。六角様は管領代という地位を公方様に頂いたといいますが、甲賀衆はどこまでいっても甲賀衆でしかありません。
六角家に従っても望月家に先はないかもしれない。久遠家に挨拶に行くと決めた際にそう語っておりました。
幸いなことに久遠家に仕官が叶い、尾張望月家の現状は甲賀の家ばかりか信濃の本家よりも実入りは大きいでしょう。家禄という額で言えばまだ信濃のほうが多いかもしれません。額面の上では。
また、久遠家は日ノ本にご領地を求めないので、当然、望月家にも領地はありません。このため、領地の維持の
父上は役職では事実上織田の忍び衆を束ねております。以前から大殿に仕えていた直轄の忍びもおりますが、現在は大殿の命で彼らとも協力していて父上に差配が任されております。
父上の表向きな立場は久遠家家臣ですが、すでに織田家中のみならず外にも知られた存在です。
先日には武田に臣従した本家から使者が来たので、返礼にとこちらの使者も出しましたが。本家には、直截な言葉には出さなくても『氏素性の怪しい南蛮崩れ如きに仕えた恥知らず』と、嫌味を言う者がいたそうです。
戦で戦って負けたなら仕方ないが、父上のことを『ただ銭が欲しくて旧主を裏切ったのだ』と酒の席で言われたと聞き及んでおります。
それを聞いた尾張望月家の者の中には怒りのあまり、絶縁してしまえと言った者もおりました。
ただ父上は冷静でした。あんな本家でもいずれ織田が武田と
まあ、揉めているのは甲賀も同じですが。
わたしたちのあまりの暮らしの変貌ぶりが面白くないのでしょう。若い者はまだまだ尾張に来たい者が多いようですが、叔父が許さなくなったようです。
甲賀を見渡せば望月家だけではなく、そんな尾張に来ることを禁じた家が幾つか出てきました。殿はお気になさらぬお方ですが、久遠家家老の滝川様は、来るならせめて家族を連れてくるように言っております。そのせいか、ここ二年で甲賀から来た者は千人どころか二千人すら超えました。
無論のこと女子供や老人も多く、全てが御家の力になれるわけではありません。されど目端の利く者や
私の嫁ぎ先は滝川家でしょうか。それが最善でしょう。
信濃に行かなくてもいいことを喜ぶべきでしょうね。武田と村上の戦が続く信濃になど行っても苦労するだけです。
まして久遠家のことを侮り、嫌味を言う者など許せません。
殿やお方様たちが家臣や領民ばかりか、世の中のことをどれほど考えているか知りもしないで。
大義もなく、奪うために戦うことしか頭にない武田などに降った己たちを悪びれることもなく、他者を批判する本家など不要です!
殿には短い間でしたが、いい夢を見せていただきました。
この恩は生涯忘れることはないでしょう。
久遠家のため。望月家のために、私は……。
Side:久遠一馬
「エル。ふたりを側室に迎えようと思う」
昨夜はエルと二人にしてもらった。最近は複数で夜を共にすることが増えたから久々だったかも。
夜が明けて部屋が明るくなった頃、一緒に寝ていたエルと目が合った。
エルからはふたりの本音と言葉を聞いたし、エル自身の本音と不安も一晩かけて聞いた。
いろいろ考えて訳がわからなくなるほどだったが、ここまで来ると受け入れないという選択肢は取りたくない。
「それがいいと思います。私たち以上にふたりにとっては人生を左右する重大なことですから」
オレとエルも本音を互いにぶつけたせいか、エルに、この件に関して今までにはなかった余裕が見えるようになった。
優しく微笑んだエルもまた、自身の本音とお清ちゃんと千代女さんへの想いで悩んでいたんだ。
どちらにしても得るものと失うものがあると思う。ただオレとエルやみんなの関係だけは、なにがあっても変わらないというのは確認出来たはず。
身近な女の子の願いすら叶えてやれないで、この先この時代を平和に出来るとは思えないしね。まだ十代だし早い気はするんだけど。
血縁外交がちょっと面倒になることは確かだけど、対処出来ないほどじゃない。
「でもさ。結婚って難しいね」
「私と司令は難しく考えすぎだとジュリアに言われました。元の世界の価値観なんて忘れてしまえと」
「ジュリアらしいなぁ」
アンドロイドのみんなも、個々の見解や本音では様々だろう。ジュリアなんかはこの時代に一番適応して楽しんでるからね。エルのことを心配してアドバイスしたんだろう。
オレも実はちょっと前にジュリアには言われたんだよね。好きなことしていいんだって。遊女屋とか飲み屋に行ってもいいし、バカ騒ぎとかしてもいいってさ。
お清ちゃんと千代女さんは本当に喜んでくれるのだろうか。少し不安がある。エルたちのように付き合いが長いと、その辺はお互い気心が知れてるからいいんだけどね。
答えは早いほうがいいだろう。今日の午前中にでも伝えよう。
ただ心配なのは後世でなんて言われるかだよな。怖いなぁ。信長さんとか藤吉郎君がオレ以上に奥さんをいっぱい迎えてくれたらいいんだが。無理で無茶なことは分かってるけど、願うぐらい良いじゃないか。
エルはご機嫌な様子で着物を着ると朝食の支度に行った。いろいろと決まったら気持ちが楽になったんだろう。
オレも起きて鳥小屋の掃除でもするか。
しかし、あれだね。結婚と言えばもっとこう当人同士で話し合って、相手の家族に挨拶に行って、婚約したりと、元の世界だとそれなりの手順があるけど、この時代だと違うんだなぁ。
まあ滅ぼした家の娘を強制的に側室にした人もいるしね。あの人に比べたらマシだけど。
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