第386話・椎茸栽培の始まり

Side:山の村の長老


 ここ山の村にわしらが来てから、もうすぐ一年になるか。尾張の北部の山中にあり、周りは山で囲まれておる。


 米は作っておらん。畑を耕して山の木々を利用することでわしらは生きておる。


 わしはもともと甲賀の山で育った。山の暮らしには慣れておる。殿が山の中に村を作り新しい試みを行うと聞き志願した。


 もう年で忍び働きではお役には立てん。死んでこいとの申し付けならば子や孫のために喜んで死地に行こう。飢えることなく人並の暮らしを与えてくだされた殿への恩は決して軽くはない。老い先短い命程度でお役に立てるのであれば、いくらでも差し出す覚悟はある。


 冬には山の木を伐り山の手入れをした。殿は間伐とおっしゃられておったが、山の木がよく育つように間引くんだそうな。


 ほかには冬の寒さを利用して凍み豆腐や寒天という新しい品も作ったな。


 まるで焼き物でも焼くような立派な炭窯を作り、炭焼きの生業なりわいも始めた。ほかでは野焼きで作るところもあると聞くが、この方法がいいらしい。


 あとは使い道のなかった炭の粉で炭団を作って売るようにもなった。炭焼きの余禄よろくで木酢液という売れるものも出来た。木酢液はなんでも田んぼに撒くと虫を退治出来るんだとか。


 春から今の秋に掛けては畑を作って芋や野菜を植えておった。ほかには竹と桑の木に加えて柿や葡萄の木なども植えたな。


 山で山菜や自然薯を採って、山菜は塩漬けにして保存したり清洲に売ることもしておる。わしのような年寄りは木彫りで箸や食器などを作ることも始めた。


 そうそう文字の読み書きが出来ん者には教えるようにと命じられたので、若い者や子供たちのみならず女や年寄りも加わりみな日時にちじ毎に集まり学問を学んでおる。


 暮らし自体は驚くほど楽だ。わしらはみな久遠家に仕える身。禄が出るし働きに応じて褒美もある。


 木酢液や凍み豆腐や寒天などの品物は全て殿のものになるが、品の数と質によって褒美が出るのだ。みな張り切って日々、はげんでおる。


「源三じいさん! 大変だ!!」


 先ほどからわしは殿にお届けする報告の書状をしたためておったが、若い衆が血相を変えて駆け込んできた。野盗でも来たか?


「し……し……し……」


「なんだ。なにがあった!?」


 なにか言おうとしておるが言葉が出てこないほど驚いておるらしい。なんだ。死人でも出たか!?


「し……しいたけが生えてる!!」


「なっ、まことか!!」


 近頃、弱った足腰に力を入れて立ち上がると若い衆がようやく言葉を口にした。


 殿の命でここでは椎茸を作ろうとしておったのだが、まさかこんなに早く出来たのか!?


 椎茸はわしらの様に山で生きておってもなかなかお目に掛かれるものではない。干して売れば驚くほど高値になる。


「なんと……」


 歳も忘れてわしは若い衆と共に椎茸を作るべく試しておった場所に向かう。だいぶ前に間伐として伐った木を干して、一定の長さで切って並べてあるところだ。


 そこには確かに椎茸が生えておった。まだ小さいが確かに椎茸だ。


「すぐに殿に知らせを出せ!」


 椎茸は久遠家のよく売れる商品のひとつだ。長島の願証寺などが高値で買ってくれる。これが作れれば山の村は安泰だ。


 とはいえ喜んでばかりはおられぬ。他国の間者がこれに気付かぬように警戒せねばならぬな。


 久遠家の秘密を探ろうと、ここにも間者が来ることがあるのだ。警備を強化せねばならんな。




 後日、殿から褒美として金色酒や銭が届き、村のみんなで祝杯をあげた。


 ここの収穫がなくてもわしらは飢えぬが、それでは申し訳がたたぬ。殿は先々には山で生きる者たちの暮らしを楽にしたいとお考えなのだ。


 わしらにその手伝いが出来た。そのことがなにより嬉しい。


 いつの日か尾張ばかりか日ノ本の山に住む民が飢えぬ日が来ることを願わずにはおられぬ。


 そのためにわしはこの命が尽きるまで頑張るつもりだ。




Side:久遠一馬


 尾張では稲刈りが始まった。文官衆はデスマーチとまでは言わないが今年も忙しいことに変わりはなく、ウチの家臣の中にも実家や親戚の手伝いに戻った者がちらほらといる。


 そういえば、清洲城では寺のお坊さんに文官仕事を手伝ってもらっている。信長さんの結婚式の時に祝いの品を横領しなかった人なんかを中心にね。


 政治に宗教を関わらせたくないが、現状ではそれは不可能な理想論でしかない。まあ寺社のほうも願証寺を筆頭に織田と敵対する気がないところは、積極的に織田と交流して存在感を示したいんだろう。


 まったく問題がないわけではないが、許容範囲内だとエルも言ってたし。


「二千人かぁ」


「練度も規模もまだまだですが、一定の役割は果たしています」


 警備兵がとうとう二千人を超えた。報告してくれたセレスいわく、まだまだ増やさなければ足りないそうだけど。


 とはいえ二千の職業兵は今後の織田の貴重な戦力になるだろう。彼らは警察でもあり軍人でもある。


 別にウチの兵ではないんだけどね。警備兵が始まった時の慣例からほとんどジュリアとセレスが訓練をほどこして、そのまま指揮している。正式には信秀さんと信長さん直轄兵なんだけどね。実質的にはウチの兵になってしまっている。


 織田家中にはその点について危惧する声もあるらしい。清洲・那古野・津島・熱田・蟹江という尾張下四郡の主要なところで治安部隊の兵が、ほとんどウチの子飼いという状況は確かによくないとも言える。これは、今後の課題だろう。


 力を持ち過ぎた家臣が殺されたり潰されるのは珍しくない。


 もっとも信秀さんと信長さんは全く気にしてないけど。信秀さんに至っては塚原さんの一件を理由にジュリアを織田家の剣術指南役にしちゃったくらいだ。


「どのくらい必要なの?」


「この先を見越すと五千は最低でも欲しいです。国境警備兵や広域警備兵も創設するにはまったく足りません」


 ジュリアが武術指導をしている割合が多い分、現状ではセレスが警備兵の運用を担当している。


 細かい差配は任せているが、国境を警備する国境警備兵や織田領内全体を警備する広域警備兵の創設はオレやエルも加わって相談していて、信秀さんの許可も貰い創設の準備をしている。


 史実の江戸時代のように厳しくも出来ないが、国境警備はそろそろ必要なんだよね。人の流れは把握する必要がある。現状でも偵察衛星や虫型偵察機でウチは密かに把握してるけど、表立って把握が必要な時期だ。


 広域警備兵は他国からの流れ者が一部では治安悪化に繋がっているから必要だった。流れ者が野盗になって盗みをしたり、逆に流れ者を狙って銭や荷物を奪う領民もいたりする。


 もっともこの時代の国人衆の領地は一種の独立領なんで、織田家も本来は自由に出来ないんだけどね。転機は北条の公事赦免令を知った信秀さんが、同類の改革の検討を命じたと同時に広域警備兵の創設を決断したことか。


「人が余ってたんだけどね。来たばかりの頃は」


「使えない人材も多いです。家柄などから厚遇を要求する者は排除していますので」


 オレたちが尾張に来た頃は、町なんかには暇を持て余していた連中が結構いたんだけどね。


 最近ではそんな人、ほとんど見なくなったなぁ。賦役だけじゃない。お金が回ってるから様々な仕事で人手不足なんだ。


 それなのにセレスいわく警備兵として使えない人材も多いらしい。本来は教育して矯正しなければならないんだろうが、今はのんびりそんなことをやっている余裕はない。


「まだいたんだ。そんな人」


「いくらでもいます。他国から来た者はとりあえず素性を偽る者が多いですし、国人衆などの二男や三男以降は大体そんな感じです」


 実は尾張で暇なのは国人衆の子弟なんだよね。当主と嫡男以外の二男以降と叔父なんかは暇だが賦役に行くわけにもいかないし、変に身分や地位に拘るから警備兵としても使えない人が多い。


 学問が出来るなら文官という選択肢もあるが、文官って馬鹿にされているんだよね。この時代だとさ。


 信秀さんからはだいぶ前に使えないなら捨て置けと許可は貰っている。


 偉そうにしてお役人様になる人は警備兵にいらないからなぁ。最近は織田家の力も桁違いになったんでそんな人は減ったと思ってたのに。


「どうしようかね。その人たち」


「戦でならば纏めて先兵として使えます。用兵や兵法が私たちとは違うので一般兵は任せられませんが」


「少し可哀想になるね。いくら個人の武力で頑張っても銭以外の褒美は難しいだろうし出世も出来ないだろうに」


 扱いに困る人たちなんだが、セレスは戦で先兵、前線送りとしてしまえばいいと言って驚かされる。それって前線で使いつぶしてしまえってことだよね。確かに、前線の兵士ならば規律さえ守ってくれれば腕っぷしだけで大丈夫だけど。


 ただし現状の織田だと統治は文治統治を目指してるから、いくら手柄を挙げても統治出来ない人には領地の管理は任されないだろう。


 石舟斎さんくらいの腕前があれば別だけどさ。


 そうそう石舟斎さんは順調に禄が増えている。美濃の戦で活躍したし護衛から警備兵の手伝いまでなんでもするからね。


 国人衆の意識改革にはもう少し時間が必要だろう。


 今川と戦が出来ない理由のひとつでもある。




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