第349話・関東地震
Side:久遠一馬
花見も終わると織田領では完全に農繁期に入っていた。
各地の賦役は大半が中断していたが、最近では賦役専業で働いている人が増えているので、清洲城の改築に伴う町の拡張工事と蟹江の港の工事は一部が続いている。
長島と北伊勢から来ている出稼ぎの人たちもほとんどは一時帰国したが、一部では報酬が出る賦役を優先する人が出始めていた。
米などは税として大半が取られてしまうが、賦役の報酬は今のところ税が掛からないので人によってはそちらのほうが実入りがいいらしい。
仕事は農作業と同じ肉体労働だし、一日三食の食事を食べられるように気を配っているからだろうね。
願証寺や北伊勢の国人衆からは特になにも言ってきてはいない。今のところ大多数が田畑を捨てて尾張に来たわけではないことと、最初に派遣した人数分の礼金を年一で払っているからだと思うけど。
現状では村に戻っても田畑がないような貧しい人が村を捨てただけだろう。
ああ、蟹江の工事は港が一部完成したことで工事が以前より確実に進んでいる。城を含めた全体の完成にはほど遠いけど、港に関して言えば今年中に使えるかもしれない。造船ドックや蔵などの施設の建築も進んでいる。
尾張全体では景気は相変わらずいい。とはいえ細かな問題や課題は山ほどある。長年対立している土地や水利権などの揉め事は相変わらず解決には程遠い。
それと若者が清洲・那古野・津島・熱田・蟹江へと出ていくことに、一部からは反発が起き始めている。惣による自治といえば聞こえはいいが、言い換えれば古くからの慣例と因習に縛られているのがこの時代の農村だ。
現状では立場が低い者や生活が苦しい者から出ていく傾向にある。当然といえば当然だけど。
そんな変化は、長年の秩序を重んじる者と言うより、枠組みの中で
中には村の掟として出るのを禁じたり、領主が村々に割り当てして一定の人数は出ていくことを禁じたりしてるところもある。
とはいえ移動の自由を妨げるのは織田分国法に背くことになる。国人衆と土豪などにはすぐに警告が与えられたし、小さな村なんかは移動の自由を妨げるならば賦役への参加を禁じると通達が出された。
まあ、実際にそんな馬鹿なことをしてるのはごく少数派だ。農繁期に一時的に戻るように促すくらいなら禁止してないし、警備兵の一部も実家の村が忙しいところは一時帰郷を許可している。
現状では村々に回る銭と食糧を考慮しながら分国法による統治を段階的に実施してるんだ。当然というか匙加減ひとつで不満が大問題になるだけに、事実上の采配はエルの意向がかなり働いているけど。
美濃の道三との関係も順調だ。井ノ口の商人を中心に尾張からいろいろ品物を売っている。ついでに斎藤家の取りなしで尾張との商いが続いているとの噂を尾張側から流しておいた。
塩や海産物なんかの生活に必要なものは安価で売り、金色酒や砂糖や鮭などの嗜好品や高価な品は井ノ口の商人が更に他国に売りに行けるようにと融通している。
おかげで道三の評判も史実よりは悪くない。
「そんなに酷いのか」
「はっ、入ったばかりの知らせにて、こちらで裏取りまでは致しておりませぬが、駿河から甲斐辺りまで大きな地揺れが起きたとのことでございます」
暦は四月も後半に入っていた。
望月さんが駿河に送った忍び衆から駿河・甲斐・関東で大きな地震が、この時代の言い方だと地揺れが起きたとの知らせが届いたと報告をしに来た。
史実で北条家に打撃を与えたと言われる地震だろう。実は史実の情報とエルたちの科学調査などで震源地と規模はほぼ予測されていたんだけどね。
第二回の関東との交易船団はすでに帰還している。船団をこの時期に合わせることも考えたが、一歩間違えればこちらにも被害が出るのでその前に帰還させたんだ。
「詳しく調べるべきと、お考えでございますか?」
「うん。あまり無理をしない範囲で」
「心得ましてございます」
望月さんはさっそく忍び衆に調査をさせるために部屋を後にした。
部屋には信長さんとお市ちゃんにエルたちがいる。お市ちゃんはエルの膝の上に座り、彼女の大きな胸を頭のクッション代わりにして楽しそうにしてる。
すっかりウチに来るようになっちゃったなぁ。
「甲斐はいいとして、駿河と関東で地揺れとは。荒れるか?」
「どうでしょう。地揺れで失ったモノを略奪で取り戻そうと皆が動けば戦になりますが。関東は河越の戦と先年の鎌倉沖の戦で北条が大勝しておりますので、そう易々とは動けないでしょう。今川の場合は、織田よりは松平などに
ただ三河の織田領はここ二年の賦役で安祥城を改築して防御力が増している。それに織田と北条との関係もあるから、今川は全力で三河を攻めることは出来ない。口減らしや食料を奪うためにこちらを攻めるのはないと思う。
仮に今回の地震で史実よりも疲弊しても、表面的に追い詰められてない以上は、勝算のない戦などしないだろう。
同じく被災した武田だが、一番欲しいのは海に面した領地だろう。とはいえ、あそこは今川とは同盟関係にあって信濃を攻めているからな。こちらと領地を接してないし、あまり影響はないだろう。
ただ、こうなると少し困るかもしれないのが、表向き今川に臣従しているものの、内部が親織田と親今川に分かれている三河だろう。立場が弱いところにしわ寄せがいく。
「警戒は必要か」
「ですね。ついでに北条には米でも贈りましょうか。余ってますし。貸しを作るいい機会です」
まあ今川はいい。どうせ大きな動きなんて出来ないんだ。これを機会に北条に恩を売って貸しを作るほうが
「米をか?」
「地揺れからの復興は大変ですから、見舞金も贈ればいいと思いますよ」
支援物資と見舞金は元の世界では珍しくもない。大きな地震が起きると判明してからエルたちと相談して準備をしていた。
昨年の豊作の影響もあり、美濃での騒動で尾張と美濃の米は値段が上がったり下がったりしていたが、西国に売る予定として、現在はウチで一定量を備蓄している。
それを船で運んで送る計画だ。信長さんもそんなこと聞いたことがないのか驚いてるが、北条との友好は今川がいる限り、特に重要だ。
史実での北条氏康はこの地震の対応に手間取って後手に回った。地震の翌年には公事赦免令をだして税制の免除や改革を行い、何とか収めたはずだ。
北条は税の中間搾取をなくそうとしていたようだし、今の織田の改革に通じる部分が多い。
地震の規模的に考えても多少の援助物資や見舞金では焼け石に水だが、送った事実が重要なんだ。
「恩を売ることで優位に立つか。お前たちらしいな」
エルの膝の上のお市ちゃんが折り紙をやりたいと言い出したので、みんなで折り紙を折りながら北条への支援を相談していく。
信長さんは少し呆れてるような表情をするが、支援は単なる善意以上の価値があることをすぐに理解したらしい。
信秀さんの許可を貰って、準備が出来次第、支援物資を送ろう。
これから秋にかけては食べ物が足りなくなる頃だ。向こうでも喜んでくれるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます